運命の選択
翌日も、木洩日の村での生活はそれまでと変わらなかった。
村の領土あちこちの土くれを耕す仕事に精を出していたのだ。
「ほんとに、行っちまうのか、よッ!」
「うん。――んしょっ! それが私の進むべき道だってことに、気付いたから。えいっ!」
「そうか。そうか……。よっとッ! ……寂しくなるぜ」
「ふふ、ありがとう。――んっ!」
「……無事を祈ってるよ。いつでも」
「……ありがと」
白い巻き毛の少年コマは、木洩日たちから少し離れた場所で、不思議なものを見るように木洩日の様子を窺っていた。
木洩日は彼の視線に気付くとそちらに手を振り、口に手を当て快活な声を投げかけた。
「コマー、どうしたのー?」
「バッ――おまっ! わ、【渡し神様】だぜ!?」
『ふぁーた』は慌てて木洩日の脇を突いたが、木洩日は口に手を当てたまま不思議そうな表情を浮かべていた。
「……なんでだろう。私、コマのこと知ってる気がする。初めて会った気がしないもの」
突然木洩日の前に姿を現した、尋常ではない神気を纏う見知らぬ少年。
不思議なことに木洩日は、彼の存在に対し不審や戸惑いをまったく感じていなかった。
思い返してみれば、昨日初めて彼と邂逅したときもそうだった。
彼の何をも分からぬままに向けられた深い親身には戸惑うところがあったが、そんな彼に対する恐れがあったかといえば、それはどこにもなかった。どころか、何故か心のどこかで、彼の存在を信用していた向きすらある。――そうでなければ、人ならざる気を纏うこの少年に、微塵も恐れを抱かなかったのはおかしな事情だ。
初対面の、見も知らぬ少年であるはずだったのに……。
『そうだ、私は木洩日のことをよく知っているよ。木洩日も私のことを知っているかもしれないね――』
彼がそう言っていたことを思い出す。
(心のどこかで、私はコマのことを覚えているのかな……?)
そう思うと、記憶のどこにも彼の姿がないことが彼に対し不誠実であるように思え、木洩日は申し訳なくなり内心でしゅんとなった。
『ふぁーた』がぽつりと呟く。
「……案外、木洩日もどこかしらの神様なのかもな」
「私が?」
「ないか」
「コラーっ!」
「へへ」
じゃれている木洩日たちの元へ、コマはゆったりとした足取りで歩み寄ってきた。
慌てて『ふぁーた』は姿勢正しく頭を下げたが、木洩日はただ、顔いっぱいに微笑みを浮かべてコマを迎えた。自然とそういう仕草が表に出たのだ。
そんな木洩日に、コマは遠慮がちな調子で声をかけた。
「いいのかい?」
「ん? なにが?」
「君は明日の早朝に出発するかもしれないのに。仕事は大切だが、しかし……その、もっと別のことをすべきではないかと……。……すまない、何も分からぬのに口を挟んでしまった」
「いいの。私この村にすごくお世話になったから、今の私はこれがしたいの」
「そうか。……木洩日はこの村が好きかい?」
「うん、私この村の全部が大好き。でも私はコマと一緒にここを旅立つよ」
コマは自然と発せられたその言葉に目を見開いたが、木洩日は穏やかな表情のまま、汗も垂れていない顎元を服で拭った。
「それが、私が求める運命だって気付いたから。だから行く」
その木洩日の芯の籠った言葉に、隣で『ふぁーた』は顔を反らし弱弱しく俯いた。
コマは毅然とした表情を木洩日に向け、心の本音を吐露するように強く言った。
「強いな」
「ううん。ここにいる人たち、私に優しくしてくれた人たちが強いの。私は元気を貰っただけ」
「――そうか」
「うん。――そうだ、コマも土耕しを手伝ってみる?」
「え?」
「オォオイ木洩日ーーー!?」
『ふぁーた』は度肝を抜かれたように後ろへのけ反ったが、コマはポカンと口を開いた表情をやがて微笑みに変え、くるりと向きを変えると空いている鍬の元へ足を運びそれを手に取った。
「いいね。私もやってみよう」
「えぇえ!?」
「私、結構上手くなったんだ、この仕事!」
「そうか。私も負けないぞ」
「えぇえ……」
その世にも希少な光景に、道行く人々の大勢が足を止めた。
「――おお。【渡し神様】が、私らの村の土を耕してくれていらっしゃる」
「おお、おお、これはご利益があるぞ……」
皆そのような事をニライの言葉で呟くと、コマに向かって手を合わせ、コマと大地に拝みを捧げた。
哀れなのは『ふぁーた』である。すっかり緊迫してしまい、それまで力強くも滑らかだった動きは今やコチコチである。――しかし力いっぱい鍬を土に食い込ませを続ける内に、肩の力も幾分かは抜けてきた。
「……【渡し神様】」
鍬を振り下ろす動作を止めぬままに、『ふぁーた』はコマへと真摯な声を向けた。コマも手を止めぬまま、風に布はためく『ふぁーた』の表情を窺った。
『ふぁーた』は静かに、しかし力強く、願いを口にした。
「どうか木洩日のことをよろしく申し上げます」
「――あい分かった。任せなさい、何があろうと私は木洩日を守る」
コマの返答を胸の内に抱きしめ、『ふぁーた』は無言で頷き、鍬を振り下ろし続けた。
時折、布の下から聞こえるすすり泣きの音が、風に混じって【煌めきの海】へと流れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます