記憶 ~3~

 休息を終え再び歩き始めても、木洩日は神社の名を思い出そうと頭を悩ませ続けていた。

 しかし、その取っ掛かりすら僅かも掴めない。


(こんなとき、『ふぁーめい』に相談できたらな……)


 それを思い――思ってしまい、木洩日の歩みが僅かに鈍まった。

 瞳の光彩が、雲がかったように色を無くした。コマが心配の表情で木洩日のほうを振り向いたことにも気付けぬほど、木洩日は思い出の過去に心奪われた。

『ふぁーめい』の、『ふぁーた』の『ふぁーまい』の顔が心いっぱいに浮かび上がり、目の前の景色が意識から消え失せる。


 数十歩の間、思い出の檻に閉ざされた木洩日だったが。

 しかし不意に、ふと。



『――あなたは行かなければならない。運命を真っ直ぐに見据えて道を行きなさい』



『ふぁーめい』の激励の言葉が鮮烈に蘇った。


(――――)


 木洩日はハッと顔を上げしばし茫然となったかと思うと、歯を食いしばって再び両手で頬を強く張った。


「――ごめんコマ、もう大丈夫」


 コマに見つめられていることに気付くと、木洩日は微笑みを浮かべてそう言い切り、瞳大きく見開くコマの手を取って再び歩み始めた。


「……本当に、良い出会いに恵まれたのだね」


 共に歩を進めながら、コマは柔らかな表情で言った。木洩日は頷き、また少しだけ下を向き、思い出となった景色に目を向けた。


「私、村の人たちと出会えて本当によかった。あのたった数日が、今は永遠の時間のように思えるの」


 木洩日は、草原の地平その先の先を見つめながら言って――そしてその幸いを強く意識したことで、それに思い至った。

 誰かとの出会い、誰かとの繋がり。それは強く強く心に残る、思い出そのものであるということに。


(そうだ、そうだよ! まず私は、カナイにいた頃に出会った親しい人たちを思い出そうとすればよかったんだ! そこから枝葉が広がるみたいに様々を思い出せばいいんだ。――あの神社のことも)


 素晴らしい気付きに思い至り、まず真っ先に両親のことをよく思い出そうとした木洩日だったが、どうしても二人の顔に霞がかかり、完全には思い出せない。

 そもそもよく考えてみれば、木洩日は両親がどんな性格の人だったかということを、なんとなくではあるがとうに思い出していた。それは覚えていたと言ってもいい事情だった。


(そうじゃなくて、今はまったく覚えのない誰かを思い出したい。……お父さんとお母さんのことをきちんと思い出せないのは悲しいけれど、でも今はコマの力になることを考えないと。親しい誰か……私と歳が近い誰かとか……)

(そうすると、思い出すべきは)

(学校――――)


 その考えに至った途端に。


 木洩日の目の前が真っ暗になって世界が消えた。


 何が起こったかを疑問に感じる猶予さえ与えられなかった。意思すら消え失せた闇の中、耳元で響く声があった。



『木洩日。日陰女の木洩日』



 それがはっきりと聞こえた後、数度わーんと反響するように男女様々の声で同じ台詞が暗がりに広がり――。


「木洩日、木洩日ッ!」


 コマの呼び声で、木洩日は闇の中から救い出された。

 自分が膝を付いて蹲っていることにはすぐには気付けなかった。しばらくののち、呼吸が不自然に速くなっていることにも気付いた。


「木洩日、大丈夫か!? 何があった?」

「コマ、私――」


 意識の整理がつかぬまま、冷静を欠いた口調でうなされるように木洩日は言葉を吐いた。


「私、思い出した……」

「思い出した……? 何をだい?」

 差し出されたコマの手を震える両手で取りながら、木洩日は言った。

「が、学校でのこと……」

「…………」


 コマは、苦悶の表情を浮かべた。


「私、私……」


 コマの手を取りながらも膝を付いたまま、木洩日は沈鬱な表情で呟いた。


「そうだ、私、学校でいじめられてたんだ……」

「…………」


 コマは跪き、木洩日の肩に手を回し、そっと体を抱いた。

 木洩日の周りには、両親以外で親しい人などいなかった。そのことを思い出し、そのことに気付き、しばらく木洩日は下を向いたまま蹲ってしまった。

 ――やけに草原の青い匂いが強く香っていた。


 

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