ニライ、カナイ。~2~

「名はなんというのかの?」


 放心して。

 やがて心を取り戻し、大いに泣きじゃくり、すすり泣き。

 そしてそれが僅かに落ち着いてきた頃合いで、老人は少女に尋ねた。


「はやさか……」


 少女は嗚咽を漏らしながら名乗った。


早坂はやさか 木洩日こもれび

「そうか、ありがとう。私の名は『ふぁーむぷ』。この村の長であり、私のことは皆単純に長と呼ぶよ。木洩日もそう呼んどくれ」

「私、本当に死んじゃったの……?」

「……もうお前さんも気付いとるはずだ。生きている間にあった、いくつかの感覚が欠落しておることに。残念ながら……」

「…………う、うぅ……」


 木洩日は涙を滴らせながら俯いた。

 死は雄弁であった。

 木洩日は口では疑問を問うたが、しかし落ち着きを取り戻してからというもの、その雄弁なる証明を確かに感じ取っていた。


 生きている間にあった、いくつかの感覚の欠落。

 生者せいじゃに宿るはずの、肌の温度。瞳に映される光景の、妙な平坦。この場所、長の家にはどんな薫りも感じず、生ける証明、肉体の脈動の感覚さえどこにもない。

 欠落は感情にさえ及んだ。

 今この時が現実であると確信しているにも関わらず、起きてからずっと、まるで夢の中にいるように景色の情景が不確かであった。それが感情の欠落から来る認識の曖昧であることに気付くまでに時間はかからなかった。

 恐れも悲しみも感じる。だが、そのどれもが心の奥底には響かない。いまいち曖昧にしか感じ取れない。恐れに悲しみに、痛いという心情が伴わない……。


 そして、己の死を否応なく認めさせる最たる欠落の異常は。

 臓腑を凍てつかせる死の恐怖、それが木洩日の内のどこにも存在しないことであった。

 自身が死んだと聞かされたそのときも、途方もない悲しみは覚えれど、その死に対して恐怖する心はなかった。――死者は死を恐れない。


「私、本当に……」

「…………残念ながら」


 木洩日の気の毒に思わず言葉に詰まり視線を下げていた長だったが、やがて気にかけ労わるような視線で、再び木洩日を見つめた。


「――だがしかし、カナイの人間が死すとき、必ずこのニライに渡れるわけではない。ここに運ばれるのは極稀だ。あんたには、なにか特別な輝きがあるのかもしれん」

「…………」

「……今はゆっくりとお休み。そして目を覚ましたそのとき、この世界ニライの様々を受け止めればよろしい。さあ、横におなり。今はただ、ゆっくりとお休み……」

「…………」


 木洩日は長の手に導かれるままに横になり、そして目を瞑った。嗚咽はやがて静かな呼吸に変わり、木洩日は眠りに落ちた。

 辺りに一安心、または感嘆のため息がいくつも漏れ、皆眠る木洩日をじっと見つめていた。


 

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