夜の森と焔ノ神 ~1~

「木洩日、木洩日。起きなさい」


 優しいその声に導かれ、木洩日の意識は眠りの安寧から引き起こされた。

 まるで一晩の安息を過ごしたような充実。木洩日はしばしその余韻に浸っていたが、置かれた身の上の状況を思い出すまでに覚醒すると、カッと瞳を見開きガバリと勢いよく起き上がった。


「――私どれくらい……!」


 急き込んで大声を発したが、見れば空はまだほの赤く、時刻は地平の向こうを茜が彩り空が藍色に染まり始めた逢魔が時であった。

 コマは微笑みを浮かべた。


「木洩日は二刻ほどしか眠っていないよ。疲れは取れたかい?」

「……ま、まだそんな時間? なんだか一晩よく眠ったみたいに疲れが取れてる」

「それはよかった。さあ、これをお食べ。長が持たせてくれた保存食だよ」

「うん。……よく眠れたの、コマのおかげ? ありがとう」

「私は少し力を貸しただけだ。君の無事を祈る者の加護が、君に安息を与えたんだ」

「私の無事を祈る……。…………」


 眠りに落ちるその直前に、木洩日は両親の姿を完全な形で思い出していた気がしたが、今やそれは記憶の内のどこにもなかった。

 コマから木の皮のような見た目の板状の保存食を受け取ると、カリカリとそれを食んだ。見た目に反しそれはなかなかに美味で、乾燥させた果物のような芳醇な香りが口いっぱいに広がった。


(でも味は薄い……)


 それを食すと、お茶を飲みながらしばらくまったりしていた木洩日だったが。

 ――やがて、それに気付いた。


(…………ん?)


 地面を見下ろす。

 若草に覆われた大地の奥深くから、響くような鼓動を感じたのだ。

 体の芯を僅かに揺らす、大地が脈打っているような鼓動。――よく注意してそれに意識を向けてみれば、それは一定のリズムで轟きかけていた。

 それはまるで――。


(太鼓の響き……?)


「コマ、コマ! な、なんだか地面が変で――!」

「――うん。夜の前触れを知らせる大地の咆哮だ。じきにもっと大きくなる」

「……。…………」


 木洩日は恐れの表情を浮かべコマの服の袖を掴んだ。

 コマは木洩日のその手を優しく強く握った。


「大丈夫。どんなときも私から離れてはいけないよ? 私も木洩日から決して離れないよういつだって気をつけるから」

「うん……。…………」


 コマの手を握り返しながら頷いたものの、その響きの恐ろしさは到底和らぐものではなかった。

 奇々怪々の恐怖。その鼓動は、人知の及ばぬ闇の先の畏怖そのものであった。

 指先が冷たくなり、痺れてゆく。


(村のすぐ傍に、こんなに恐ろしいモノがあるなんて知らなかった……。あの平穏な村のすぐ隣に……)

(…………怖い、怖い……)


 ドン。ドン――。

 鼓動は僅かずつに大きくなっているように思える。

 コマはより一層強く木洩日の手を握り締めた。


「私が守る」

「……ありがとうコマ」


 木洩日の気が落ち着くまでそうしてから、二人は荷をまとめて再び歩き始めた。

 茜が地平に落ちる。空に明るい藍色が満ちる。


 あと僅か。

 あと僅かで闇の時間。


 

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