大きく化けたきゃ沓とばせ!

鹿月天

序章

記憶


 響く耳鳴り、揺らぐ面影。二つの景色が重なった。小学校に入る頃からふとした時に視界が捻れた。それはいつも唐突で発作のようにおとずれる。

 正直頭は痛くなるし、泣きそうな程に怖かった。何も分からない、何も見たくない。見慣れた友人や家族の顔で違う誰かが微笑んでいる。夏風に揺れる長い袖と、木や藁で出来た建物が見えた。洋服もビルも車もない。それが目の前に霞んでは、日常をひしひしと蝕んだ。


 しかしそれは一瞬のことで瞬きの次には消えている。いつも通りの街と騒音。慌てて周りを見渡しても不思議な世界など見当たらない。そうやって首を傾げていると、見慣れた家族や友人が口を揃えてこう言うのだ。

「どうした? お化けでも見たような顔をして」

 そうか、お化けにでも騙されたのだ。自分は宮司の息子だから変なものが見えるのかもしれない。きっとそうだ、そうに違いない。幼いながらに納得し、いくつもの季節を超えてきた。


 しかし妖の仕業ではないことは、いとも簡単に知らされた。

 小学四年の夏休み、近所のお兄さんが開いていた教科書に何気なく目をやった時だ。ハッキリとした景色が目の前に広がり、思わず目を見開いた。

 故郷に横たわる甘樫丘あまかしのおか。その上に淀んだ暗雲を背中に、見慣れた幼馴染の首が斬れた。血を纏って振り返ったのは最近委員会で知り合った同級生。彼を主人だと認識するのに一秒の暇さえ要らなかった。

 ナカトミノカマタリ、中臣鎌足。そうだ、かつての自分はそう呼ばれていた。

 

「大丈夫か?」

 突然肩を叩かれて飛び上がる。目の前のお兄さんが心配そうにこちらを見ていた。半袖の洋服から伸びた手の先。風に煽られた歴史の教科書が五つの文字をはためかせている。

「大化の改新」

 その瞬間全てを悟った。そうか、自分が見ていた世界はこれか。あっけなく腑に落ちて、もう奇妙な恐ろしさなど消えていた。


 なんともまあ不思議なものだ。正体が分かれば恐怖などどこかへ消えてしまうらしい。あの耳鳴りも二重の景色も、もう自分一人で操れる。何も恐ろしいことなどなかったのだ。

 ただ、ほんの少し特殊なだけ。ほんの少し、不思議な記憶があるだけなのだ。


 人はそれを、「前世」とでも呼ぶのだろう。








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