第二話「雨雲飛ばす風になれ」

計画


「おはよ」

 翌朝、廊下のロッカーに荷物をまとめていると翔太しょうたが声をかけてきた。挨拶を返せば、「生徒会のこと親に聞いてきた」と小さな報告をされる。

「まだ現状が分からないから厳しいって。来年度の生徒会が信頼出来たら考える、って言われた」

 翔太は申し訳なさそうに縮こまったが、少し迷った後に「俺は生徒会やりたい」と顔を上げた。真っ直ぐに一を見つめる瞳に、どこか懐かしい色を見た気がした。

「でも今年は厳しそうだから来年度からにする。お前らのサポートならいくらでもするから、今年で生徒会持ち直して、来年から混ぜて欲しい」

 一は頷いて、智にも伝えるよう促した。智は初め浮かない顔で聞いていたが、翔太に生徒会をやる意思があると分かると「おう」と頷いてニカリと笑った。

「おはよう」

 担任の酒井さかいが顔を見せたので、三人は散るように席についた。

 彼は気だるげに教卓へ手をつく。あの告白から約二週間が過ぎたが、結局辞職するという方向に変わりはなかった。

「おはよ、酒ちゃん」

 あの日から、智は必ず酒井に挨拶を返すようになった。酒井もそれを受けて寂しそうに微笑むと、智に向けて改めて「おはよう」と言う。それが今の日常だった。そのやりとりは、六月があと三日で終わろうとする今日まで続いている。

 その頃になると、酒井が辞職することは学校中に知れ渡っていた。皆があの事件のせいだと分かっていたが、わざわざ声を上げて止めるものは誰もいなかった。

 結局はそんなものなのだ。担任でもない限り、酒井が消えたところで皆の日常は変わらない。いつも通り学校へ来て、寝ぼけ眼で授業を受ける。

 だからこそ、智は酒井の存在を認めてやりたかった。酒井のことを忘れたくはなかった。


「なあ、酒ちゃんさ、呼べば学校に来ると思う?」

 昼休み、智が唐突に問いかけてきた。彼の箸に摘まれた玉子焼きがほろりと崩れてご飯の上に落ちる。いつもなら慌てて拾い上げるはずだが、箸を止めたままだった。

「外部講師とか?」

「そう」

「この学校じゃ無理だろ。一回辞めてるんだから」

 智はムッとして口を曲げた。質問に応えた一に対しての怒りでは無い。訳の分からぬこの状況に対しての憤りだった。

「でも学校に来て欲しいだろ。本当は今すぐめたいけどさ」

「珍しい。お前なら何がなんでも止めると思った」

「そりゃそうだけど、酒ちゃんが本気で考えた答えなんだろ? なら余計な口挟みたくない」

 真面目な顔で言う智に、綺麗な焼き色のウインナーを咥えた翔太が瞬きをする。

「なんかお前 はじめに似てきたな」

 その瞬間智の手の平が翔太の背中を襲った。彼は「いって!」と飛び上がって背中をさする。

「おっさんと一緒にすんな」

「待て誰がおっさんだ」

 聞き捨てならない言葉に顔を顰める。智は素知らぬ顔をしたものの、そこでいつもの会話は途絶えた。

「······どうしたらいいんだろ」

 数秒経って智が呟く。さらりと吹き込んだ南風がカーテンを広げ、また窓の外へと吸い込まれていった。それが何度か続いたものの、そこに混じる夏の香りにふと智が外を見つめる。

「酒ちゃん学校辞めたらさ、普通の人になっちゃうんだろ?」

 彼が言う普通とは何なのか。そこは語られなかったが、言いたいことはおおよそ伝わった。自分とはかけ離れた存在、それが彼にとってのなのだろう。そして自分に親しい今の酒井は、きっと彼にとってなのだ。

「普通、ねぇ」

 翔太が同じように外を見る。そして長いまつ毛の奥に夏の気配を宿すと、「なら······」と一言言葉を続けた。

 綴られた彼の言葉に智は弾かれたように顔を戻した。「それだ!!」と大きく叫んで立ち上がると、「さすがは首席! 頭が冴えてる!」と嬉しそうに翔太の肩を叩く。

「それやって酒ちゃんを驚かせてやろうぜ。そのための生徒会だろ」

 痛そうに肩をさする翔太を横目に一は明るい声を見上げる。視線の先にあった智の顔は、溢れんばかりの期待と希望に満ちていた。

 やはりこの男には光がある。ふとそんな感情が脳裏をよぎる。眩しいほどに輝く瞳はまさに太陽のようだった。

「とりあえずやってみたらいいんじゃないか?」

 珍しくぽろりと言葉が漏れた。光に引っ張られたかのような一の言葉に、目の前の二人がぱちぱちと目を瞬かせる。

「なんかお前もさとしに似てきたよな」

 翔太がまたぽつりと言う。

「だからおっさんと一緒にすんな!」

 それを聞いた瞬間、智の平手打ちが再び翔太の背中に飛んだ。





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