中臣鎌足 2


 しかし友達と言えど、入鹿とは学堂以外で会うことがない。それもそうである。彼は蘇我そが家の一人息子だったのだから。大きな力を持つ蘇我の人間と机を並べて学び、肩を並べて帰るだけでもおかしな話だった。


 ところが、この入鹿という男はどこまでも気さくな人間だった。いや、気さくと言うよりは世間知らずと言った方が良いのかもしれない。

 彼は身分など見えていないかのように鎌足に話しかけてきた。こちらが敬語を使うと嫌な顔をする。理由を聞けば、そちらの方が年上じゃないかと言われた。自分は年上のお前に敬語を使っていないのだから、お前も敬語を使わなくていい。そう言って不思議そうに首を傾げた。

 入鹿はそんな男だった。今でいえば、天然と呼ばれる部類なのかもしれない。本人は至って真面目なのに、その真面目さが人とずれていて面白かった。


 二人はよく共に帰った。道中で休憩がてらに話をした。しかし年相応に遊ぶわけではない。二人とも流行りの遊びには疎かった。

 二人にとって、何より楽しかったのは議論である。他の少年たちからすれば、青春の全てを学業に捧げる二人はまこと滑稽に見えただろう。しかし二人にとっては、意見を交わし合うその時間が一番の楽しみだった。


 そもそも、鎌足は元々議論が嫌いなはずだった。他人の意見に納得できないたちだったのである。自分の意見はいつでも理論で固められていて、それを覆すなど以ての外。自分の中で論理が成り立っているのだから、それが正しいに決まっている。そう思うがゆえに、鎌足の頭の中には他人の意見を取り込む余地などなかった。


 しかし、入鹿はやはり不思議な力を持っているらしい。ある日の帰り道、学堂で持ち上がった議論について、たまたま鎌足が意見を述べた。もちろん、己と同格の理知を持つ入鹿ならば頷くだろうと確信していたからである。

 ところが入鹿は首を縦に振らなかった。まるで天と地がひっくり返ったかのような衝撃だった。自分の意見に頷かない奴は頭が弱いからだと決めつけていた鎌足にとって、自分と同じ、もしくはそれよりも上の学力を持つ入鹿の行動に鏡が割れたかのような心地がした。

 その後、目を丸くしている鎌足が見えているのか居ないのか、入鹿は自分の意見を並べ立てた。

「お前はこう言ったが俺はこうだと思う」

「お前のここの解釈には賛成だが、その後の見解はこう違う」

 彼の中の論理が語られる度に、鎌足の顔は崩れていった。

 それは自分の意見に反対された怒りからか。いや、違う。鎌足は初めて人の論理に共感を覚えたのだ。その共感のことを「納得」と呼ぶのだと、そう知ったのはまだ少し先のこと。しかし、その言葉を知らずとも、鎌足は納得という感情を自分の中に落とし込んだ。

 初めて他人の意見を面白いと思った。初めて自分の意見が絶対では無いことを知った。それからというもの、入鹿と居ることが何よりも楽しくなった。入鹿の言葉ならばすんなりと頭に入ってきた。

 自分の意見をいえば彼は納得してくれる。そして反論もしてくれる。そうすることで、鎌足の中の意見や論理はより明確になっていった。それを以て、今度は入鹿の意見に共感や疑問を抱き反論する。そうすると彼は嬉しそうに笑った。

 もしかすると、彼は初めから鎌足の弱い部分を知っていたのかもしれない。鎌足が他人の意見を吟味する度に彼は満足そうな顔をした。

 だから鎌足も彼の弱みである世間のことを教えてやった。家に囲われた御曹司にとって、鎌足の話は面白いらしい。入鹿もそうやって柔く脆い部分を固めていった。


 その時から、鎌足は入鹿を特別な存在として扱うようになった。ただの友達とは言い表せない。ただの友達だとは思いたくない。

 鎌足はその関係を上手く言葉に出来なかったが、それはきっと、「親友」とでも呼ぶのだろう。

 それはずっと一人で生きてきた二人にとって、初めて生まれた唯一無二の存在だった。












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