第一・五話
中臣鎌足 1
──お前はどうしたい?
すっかり夜がふけた午前零時。ノートを閉じた姿勢のまま、
今日の昼間、思い悩む
それはかつて翔太に言われた言葉だった。いや、翔太と言えば嘘になる。自分がまだ
当時の自分は若かった。現代でいえば中学生くらいだったろうか。入鹿はそれより二つばかり若かったが、自分と同じく
その学堂の首位はいつでも鎌足と入鹿だった。今でもそうだが、自分はいわゆるガリ勉である。当時の鎌足も、誰よりも早く学堂に赴き誰もいない部屋で墨を刷った。
最後に来るのが決まって入鹿だった。お付の
余ったそこに入鹿が座ると、互いに喋ることも無く黙々とひたすらに文字を綴った。それが友達でも他人でもない当時の二人の関係だった。
初めて声をかけられたのは出会ってから三回目の夏だったと思う。当時の
加えて自分は嫌な人間なのだ。いつも墨と書物だけを相手にし、誰とも喋ろうとはしない。そのくせ首位を取るなど良い八つ当たりの対象だったのだろう。由緒正しい家柄のものが集まるその学堂では、度々嫌な陰口を叩かれた。
ある日、いつも通り一番乗りをして机に向かった後、少し気分転換をしようと外に出た。そして、次に戻った時には筆が一本無くなっていた。一本と言っても、鎌足にとってはたった一本の筆だった。既に人が集まっており、遠くの方に先生の姿が見える。もうすぐ講義が始まるのにどれだけ探しても見つからなかった。
「これ使う?」
ふと、横から声がした。そちらを見ると、いかにも高そうな筆が差し出されている。白い腕をたどった先に、見慣れているようで知らない、初めて正面から見る顔があった。
美しく流れる髪の横に、一本だけ赤い簪がさしてある。彼が何も言わぬ鎌足に首を捻ると、垂れ飾りがチリッと小さく鳴った。
「筆、忘れたんでしょ?」
隣の彼はキョトンとした顔で言う。マジマジと見つめながら、形の良い切れ長の瞳を覗いた。お前はこんな瞳をしていたのかと不思議なところに感心した。
「······ありがと、ございます」
声になったような、ならぬような、そんな掠れた言葉だった。初めて手にした彼の筆は、まるで使い古したものであるかのように手に馴染んだ。柔らかで滑らかな手触り。直ぐに自分が触ることなどない高級なものだと分かった。
結局、使うのが恐れ多くてまともな字を書けなかった気がする。あの日なくした筆は学堂脇の木の根元に転がされていた。
その日から、学堂にいると「おはよう」と声をかけられるようになった。それはたった一つの声だったが、ザワザワと賑わう教室の中で自然と耳に入ってきた。それに鎌足も「おはよう」と応えた。そうすると彼は少し微笑んで席につく。それがいつしか日常となり、数年後には肩を並べて帰るようになった。
そんな夏の日からであろうか。鎌足は彼······入鹿を友達と呼ぶようになった。
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