囲い
「マジで意味わかんねぇよな」
ぽつりぽつりと灯り始めた街灯が車窓を通り過ぎてゆく。光に照らされては消える智の顔が、納得のいかない社会への憤りを露わにしていた。
元々は上手くいくはずだったのだ。彼の中の未来図は、あの挨拶活動によって明るくなったはずだった。意に満たない結果が余計腹立たしいのだろう。智は怒りを通り越した疑問に顔を歪めていた。
「実際には関係なくても外の人間から見たらきっと一緒なんでしょ。他人を一人一人じっくり見れるほど余裕のある人は少ないと思う」
言葉を零したのは助手席にいる翔太だった。ハンドルを握るばあやの横で、流れる景色を瞳に映したまま目を伏せる。
「はぁ? お前秦也先輩みたいなこと言うな」
案の定智は嫌な顔をした。しかし彼とてそんなことは分かっているのだろう。認めたくないからこそ、無意識のうちに理解すまいとしているだけだ。翔太も智の心中は知っているのか、それ以上口を開かなかった。
その時、無機質なメロディが鳴り響いた。皆が肩を震わせるのもつかの間、「ぼっちゃま、すみませんが出てくれますか?」とばあやが焦り始める。どうやら彼女の携帯に着信が来たようだった。相手は翔太の父親らしい。彼女は視線だけでこちらを振り返ったものの、「気にしないで出てください」と苦笑した一の言葉に小さく頭を下げた。
「私にも聞こえるようスピーカーだけオンにしてくださいますか? 恐らくぼっちゃまを心配しての電話だとは思いますが、急用でしたら悪いので······」
「うん······もしもし、父さん?」
翔太が恐る恐る携帯の向こう側に声をかける。次の瞬間、「翔太か!? 今どこにいる! 今日は早いんじゃなかったのか」と滝のように声が流れ込んできた。
「あ、えっと······ごめん、色々あって学校遅くなったの。今ばあやが迎えに来てくれてて······」
「車なんだな?」
「そう。もうすぐ
「遅くなる時は連絡を入れろと言ってるだろう。早めに帰ってきたらお前がいないから心配したんだぞ。家に着くのは何時くらいになるんだ? 八時には着くか?」
「ごめん、次からちゃんと連絡するから。今智と一も一緒なんだ。二人を送ってから帰るから八時過ぎると思う。でも大丈夫だよ、もう高校生なんだし······」
まるで切れ目のない会話だった。スピーカーから流れるくぐもった声が次々と翔太に押し寄せている。急流さながらの勢いだった。押され気味に苦笑した翔太の顔が助手席の窓に映り込んでいた。
「いいか、翔太。お前は大切な一人息子なんだ。お前の身に何かあったら······。ともかく、遊びに誘われたなら遅くなるのかどうかちゃんと聞きなさい。そして遅くなるようなら連絡入れるか断るかして······」
「違うの、一たちに誘われたわけじゃなくて俺が勝手に二人のこと待ってたの。だから大丈夫だって。それに、一は予定立てる時ちゃんと時間あるかどうか聞いてくれるから。安心して」
ようやく向こうからの声が途絶えた。そして「分かった。気をつけて帰ってきなさい」という声を最後に電話が切れる。ツー、ツー、と無機質な電子音だけが辺りに残った。
「ごめん、うるさくして」
翔太が少し疲れたように口の端を持ち上げる。一はそれに口を開きかけるが、「相変わらずだな親父さん」という智の声に息が遮られた。
「やっぱ金持ちは違うわ」
智の言葉は、どこか嫌味混じりで他人事のようだった。今の彼は自分の中にある怒りだけで手一杯なのだろう。自分よりも心配されている翔太が癪に触ったらしい。
しかし、その言葉は書き込みをしたあの青年たちと何が違うのだろう。
青ノ丘高校の生徒会だから。
金持ちだから。
枠に囚われた思考は、智が怒りを向けた書き込みの主そのものだった。しかし、智は己の中に眠る矛盾に気づいていない。一はそれを窘めようとしたが、ふと視線を感じて顔を上げた。翔太がこちらを向いてゆっくりと首を横に振っている。
──俺は大丈夫だからそっとしとけ。
そんな言葉が聞こえてくるような笑みだった。そのまま夜景に向き直った翔太に、一は大きく息を吐く。
まあ、確かにそれが智の個性でもある。気分屋なのだ。こちらが手を差し伸べたくなるほどに。
そう考えて一も窓の外へ視線を流した。静寂だけが耳になだれ込む。奈良市から橿原市へと移った看板の表示に、ゆったりとした夜の闇が降り始めていた。
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