学祭前夜
その年の夏休みは瞬く間に過ぎていった。これほどまでに忙しない夏など何時ぶりだろう。
始業式や課題テストが終わると校内は早速学園祭の色一色に染まる。蝉時雨の中で忙しなく日々が、どこかパノラマの映像のようにも見えた。
クラスでの出し物もプラ板キーホルダー作りに決まった。一年生は飲食店が禁止なので、まあ妥当だろう。ビンゴ大会を推していた一部の男子は悔しそうな顔をしたが、多数決で決まったものは仕方がない。どうせ一や智は生徒会の仕事でシフトに入らないのだし、頑張れとしか励ましようがなかった。
そんな一週間が過ぎた学園祭前日。
実行委員会の面々と一緒にバタバタとテントを立てたり機材の確認をしたりしていたところ、クラスメイトの山田たちが現れた。彼らは一らの姿を見つけると、手伝えることはないかと聞いてくる。どうやら生徒会役員の少なさを見兼ねて助太刀に来てくれたようだった。
秦也も顔を明るくすると、歓迎するといいたげに飴玉やキャラメルをばら撒く。相変わらずだが、どこにお菓子など忍ばせていたのだろう。山田たちは拍子抜けた顔をしたものの、ありがたく受け取ってカラコロ食べ始めた。
「やっぱり信頼されてるねえ智くんたち。改めて見直したよ」
秦也が延長コードを伸ばしながらにやつく。初めは積極的すぎる智の思考に反論もしていたが、まあそれはそれで個性だと認めたようだった。当の智は「あったりまえじゃないすか先パーイ」と歯を見せると、山田たちにほいほいと自分の仕事を任せ始める。そんな図々しさもまた彼の魅力と言っていいのだろうか。やはり誰よりも夏が似合う男に、思わず苦笑いが漏れた。
「そういやステージ発表の予定表ってもう貼っていいんすか?」
「ああそうだね。ならお願いしてもいいかな?」
秦也に頼まれ、智と一は体育館へと向かう。明日はお昼前にステージでの発表がある。ラインナップは吹奏楽部の演奏と自分たちのダンス披露だ。体育館へ近づく度に、吹奏楽の音色がキラキラと光を増していく。確か今日は準備兼リハーサルをやると言っていた。練習に水を指すのも気が引けるが、そっと裏から入場して入り口付近の壁にポスターを貼る。そしてさっさと四隅を留めてしまうと、邪魔にならぬようすぐに退散した。横目にチラリと見えた金管楽器の肌が、照明を照り返して非常に美しく見えた。
「おや、生徒会の方々ですか?」
突然声をかけられて肩を震わせる。振り返ると美しく艶やかな黒髪をした一人の男が微笑んでいた。ぴしりと着こなしたシャツは皺一つなく、これほどの熱気の中でも涼しげである。彼はしなやかで切れ長な瞳を細めると、「お仕事ご苦労さまです」と笑って一たちの横を通り過ぎていった。
彼の背中が体育館に消えた途端、吹奏楽の音色が止む。彼が吹奏楽部の顧問なのだろうか。一は音楽の授業を選択していないので、初めて見る顔だった。
「なあなあ
突然智が声を潜めたので思わず「はぁ?」と返してしまう。彼は「なんだよ」と呆れた顔をすると、「だから音楽の藤川先生だよ。
「なんか音楽の時に挨拶したらお前の話されたぞ?」
そういえば智は音楽を選択していた。しかし当の一はぽかんと口を開けることしか出来ない。
藤川? 確かに、一がいる藤田家からの分流にそんな家があった。しかし小さな頃に軽く挨拶を交わした程度であまり深い仲ではない。
藤川の背中が消えた扉を振り返る。シャンと伸びた背筋、涼やかな目元。そう言われてみれば見たことがあるかもしれない。一より一回りほど年上で、上品な出で立ちをしたお兄さんがいた。もしかしたら彼が。
乱れのないチューニングの音が聞こえてくる。関わりなどないと思っていた音楽の音色が、ほんの少しだけ身近に響いたような気がした。
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