聖人君子
酒井が去って一週間が経った。担任のいない学校生活というのも奇妙なものである。毎朝違う先生が訪れるホームルームはどこかもの寂しく、日替わりの判子が押されたカラフルな出席簿が何故か遠い世界の物に見えた。
そんな中、数学の
「まだ誰も聞いてないと思うが皆の新しい担任が決まったんだ。先輩たちの化学を担当しているから知ってる人は少ないかもしれないが」
新しい担任だと? 随分急な報告だ。
出席簿をトントンと整える槙野に目を向ければ、「
見上げるほどの背丈。細身に映えるシワひとつない白衣。朝日を絡めた黒髪は一本にまとめられ、滝のように背中の白の上を流れていた。絹のような髪は腰に届くほどの長さがあり、彼が歩く度にさらりと翻る。寝癖だらけだった酒井の髪には似ても似つかぬ代物だった。
何より、柔らかな睫毛や整った眉は呆れるほどに美しかった。神というものはこのような姿をしているのだろう。自然と手を合わせたくなるような美人は生まれてこの方初めて見た。
歩く芸術のような彼は、教卓にのぼると皆を見つめた。恐ろしいほど整った顔に、柔らかな朝日が差し込んだ。
「初めまして。普段は二年生と三年生の化学を担当している
花が綻んだかのような笑みに女子が黄色い悲鳴をあげた。先程まで酒井の辞職を寂しがっていたくせに現金なものである。
しかし、
うえみや、上宮。それに聖だと?
どこか引っかかるものがあって眉を寄せる。
柔らかな朝日を思わせる微笑みも、心に染みとおるような声も、どこか遠い昔に見たような気がして頭の奥がチカリと痛んだ。
流れる髪、柔らかな目、そして何より穏やかに緩められた唇に誰かの面影を見た気がした。
「仏みてぇ······」
誰にも聞こえぬような声で智が呟いた。それが一にだけ届いた瞬間、あっと頭に光がさす。
口元だけ綻んだ柔い笑み。それはどこか故郷の飛鳥大仏を彷彿とさせる。さらに例を挙げるとするならば法隆寺の釈迦三尊像か。
上宮の微笑みはまさにそれだった。この世の全てを受け入れるかのような、私利私欲のない柔和な笑み。
それを自然と身につけていた人物は、一の中では······いや、かつての
「かみつ、みやの······」
掠れだけを宿した声のない呟き。一の口の動きに上宮がふと視線を止めた。彼はどこか驚いたように睫毛をあげると、次いで隣の
未だ冷めない女子の言葉が遠く聞こえる。木々のざわめきのような歓声を他所に、一は狐に包まれたかのような顔をした。
これは不思議なことになってしまった。まさかこんな巡り合わせがあろうとは。
彼は
一はそう確信していた。そこに明確な根拠などない。しかし前世の記憶とはそういうものなのだと、高校生になった今となってはすっかり理解しきっていた。
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