相談


 担任が変わって三回目の放課後を迎えた。窓の外はすっかり緑に覆われている。チラチラと踊る木漏れ日の合間に野球部の掛け声が響いていた。


「せんせー! 委員会のことで話したいんすけど」

 帰りのホームルーム終了後、はじめたちは上宮うえみやを呼び止めた。明日改めて委員会を決めるというので相談を持ち掛けたのだ。

 名簿を整理していた上宮は智の呼び掛けに顔を上げる。長い睫毛に夕日を絡めると、手触りの良い名簿を教卓にふせて「ええ、いいですよ」と微笑んだ。

「俺ら生徒会やりたいんですけど学年で三人なんですよね? 他のクラスとかどうなんすか?」

 この学校では、生徒会長の他に学年から三人ずつ生徒会役員が選出される。クラスの指定はなかった。

 上宮は「そうですねえ」と視線を横に向けると、窓の外を流れる車の列を目で追いかけた。反射する夕日を眩しそうに受け止めながら、「今のところは誰もいなかった気がします」と視線を戻す。

「三人で立候補するんですか?」

「あ、違うんすよ。翔太しょうたは親に止められたので来年から。今年は俺と一だけです」

「おや、そうなんですか? てっきり三人一緒なのかと」

 ほんの少し丸まった上宮の瞳が翔太をとらえる。小さく肩を揺らすと翔太は気まずそうに目を逸らした。

「まぁ、今年は異例ですからね。他のクラスからもこのクラスからも立候補は貴方たちだけですよ」

「あっ、そうなんすか······じゃあ俺と一は決まりかな。あと一人誰だろ」

「まあ、いなかったらいなかったで今年度は許容しようとの話ですよ。如何せんあのような事件がありましたので」

「ふーん? じゃあ一年生は俺ら二人だけの可能性もあるのか」

 そんなことを言って智が教卓に肘を乗せた。制服の袖がサラリと滑り、手の甲に踊る宿題のメモがあらわになる。それを翻すようにして智は手に顎を乗せた。

「他の学年にも知ってる人いるといいなー。今のところあおい先輩しか知らないし」

 フラフラと片足を揺らす智に「こら」と一は眉を寄せる。

「教卓に頬杖つくな」

「えー? お堅いなぁはじめくんは」

「ふふ、放課後ですしいいと思いますよ。頭が重いのはそれだけ勉強した証です。ただし、葛野くずのくんも他の先生の前ではやめましょうね」

「······はーい」

 くすくすと苦笑した上宮に、智は一瞬キョトンとしてから頬杖を解いた。どこか興味深そうに目線をあげると「先生ってさ」と上宮の目元を見つめる。

「なんか仏みたいだよね。背ぇ高いし」

 何故背が高いと仏なのか。思考回路は分からないが、智の言いたいことは分かる気がした。

 同調するかのような一の瞳に、上宮は「そうですか?」と眉を下げる。

「背が高いのは昔からですよ。実家にあった楠木くすのきと背比べをしていたからでしょうかねえ」

「あはは、わかる。俺も庭の向日葵と背ぇ比べしてた」

 朗らかに笑った智の顔にどこか無邪気な幼さが見えた。なんとなく、上宮を気に入っているのだろうなと思う。それは酒井に向ける好意ともまた違っていて、瞳には晴れ晴れとした尊敬が見えた。

 どこか昔の記憶がチラついて、一はうーんと眉を寄せる。何も覚えていないくせに智は少しも変わらなかった。


 彼はかつての葛城皇子かつらぎのみこである。中大兄なかのおおえと呼ばれた我が主君だ。

 智は葛城そのもので、葛城もまた智そのものだった。いや、幾分か鋭さは落ち着いたが、それでも隠しきれない光の断片が、明日を切り開く瞳が、いつも葛城と智を重ねるのだ。それが今の一にとって、複雑な感情を呼び起こす鍵となっていた。


 ──上宮かみつみや様にお会いしたかった。


 蘇った声につられて上宮に目を移す。かつて葛城に言われた言葉だった。

 上宮王······厩戸皇子うまやとのみこが亡くなった四年後、葛城は飛鳥に生を受けた。決して会うことの出来なかった厩戸に、葛城はどこか憧れていたのだろう。

 それが千三百年の時を超えて、智に夢を見せたのかもしれない。輪廻転生の旅の途中でほんの少しの贈り物を、と。

 馬鹿げた話かもしれないが、実際に前世を見る一にとって、神と隣り合わせた鎌足にとって、そんな巡り合わせにも意味を感じた。同時に、あまりにも変わらない智をみていると、彼が記憶を取り戻すことが少し怖くなる。彼は今と過去を線引きすることができるだろうか。それが心配だった。

 笑い合う智と上宮を横目にして一は小さく息をついた。共調するかのように、夕陽を孕んだカーテンがさらりと鳴った。






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