四・五話

葛城皇子 1


(ったく、また断られた)

 よく晴れた春の日であった。青々と芽吹き始めたけやきを目指して葛城皇子かつらぎのみこは飛鳥寺へと足を向ける。

 今日は他の皇子や名門の豪族たちと蹴鞠をする約束をしていた。しかしあともう一人二人欲しくなり、たまたま宮中で居合わせた古人皇子ふるひとのみこを誘ってみた。彼は葛城の異母兄で、皆からは大兄おおえと呼ばれている。つまり、今現在皇位に最も近い皇子であった。対して中大兄なかのおおえと呼ばれる自分は二番目ということになる。それゆえ少し丁寧に声をかけたのはいいが、蹴鞠などせぬと一蹴されてしまった。異母兄とはいえ、たまには遊んでくれても良いでは無いか。昔はよく相手をしてくれていたが、最近はめっきり傍によらなくなった。避けられるようなことをした覚えがないので、最近はどうも寂しさが恨みに変わりつつある。


「悪い、遅れた」

 片手をあげると既に参加者が揃っていた。皆早いものだと思って定位置についたが、見たことのない顔を見つけて「ん?」と首を捻る。

 葛城のちょうど真正面に生真面目そうな男がいた。服や冠を見る限り身分は中ほどもなさそうだった。それなりの地位を持っている輪の中で明らかに場違いな男。それが妙に気になってじろじろと舐め回すような視線を送る。

「突然で申し訳ありません、中大兄皇子さま」

 ふと葛城の斜め前方から声がした。そちらをみれば、大臣おおおみである蘇我入鹿が恭しく頭を下げている。そう言えばこいつが言い出したのだった。春も深まったので蹴鞠でもしませんか、と。

「なんだ、言え」

 葛城は怪訝そうに眉をあげる。何を謝られているのか全く理解できなかった。入鹿は発言を許されると、「そちらの者ですが」と例の男を指し示す。

「もう一人ほど欲しいと思いまして、勝手ながら人を呼ばせていただきました。私の学友でございますが、今は家を出て独り立ちしておりますのであまりお気になさらず」

 入鹿の学友か。その時の印象はそれまでだった。独り立ちなど妙な男だと思ったが、さして興味が湧くわけでもない。一言も喋らず頭だけを下げた男を一瞥すると、「さっさとやろうぜ」と顎をあげる。


 そこからはただ穏やかに蹴鞠をした。元々動くのが好きな性分だが、中でも蹴鞠は好きだった。しかしこちらが中大兄だと分かっているからか、それより下の皇子も豪族たちもどこか顔色をうかがうような素振りがあった。いつもミスをするのは向こうばかりで、葛城を立たせているようにも見える。元々古人の件で苛立っていたのもあるが、それがいささか癪に触った。全く面白くないのだ、そのような八百長は。

 それゆえに少々意地悪な蹴り方をした。勢いをつけず、誰も取れぬような手前に鞠を落としてみせる。その瞬間皆があっ、と言いたげな顔をしてたたらを踏んだ。取るべきかどうか迷っているのだろう。取れば「凄い」と賞賛され葛城の顔が立たない。しかし誰も取れずに鞠が落ちれば、上手く他人に繋げられなかった葛城の落ち度だとも捉えられかねない。どちらに転んでも一か八かの賭けになるのだ。わざとそうやってみせた葛城は尻込みしている周りの皆をこっそりと鼻で笑う。ざまあみろと思った。

 しかしその時、すかさず走り出てきた男が一人、葛城の目の前でその鞠を拾った。皆が唖然とする中、それが一番遠い場所にいたあの固い顔をした男だと分かって葛城は目を丸くする。想像通り、近くで見てもキリリと整った生真面目な表情をしていた。

 驚く葛城を他所に鞠を拾うと、彼は咄嗟に蹴り上げる。どうも不器用なようで鞠は斜め後方、明後日の方角へ飛んでいった。彼は少々気まずそうな顔をしたが、ぺこりと頭を下げて帰っていく。たまたま鞠を掬いとった入鹿が、定位置に戻りゆく男を見てにこりと笑った気がした。しかし男の背中に釘付けになっていた葛城が気づくわけもない。ただ、この輪の中で唯一本気で蹴鞠に取り組んでいるかのような男の行動と心意気が胸に響いて、真一文字に結ばれた口や色のない表情が無性に面白いと思った。











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