凶兆


「あっはっは! それで花の種あげる約束しちゃったの? 相変わらず面白いね君」

 秦也しんやの笑い声が生徒会室に響く。終業式も近づく昼下がり、緑の香りを含む風が吹奏楽の音色と共に吹き込んだ。

 辺りの空気は既に学園祭一色である。生徒会も例外ではなく、ちまちまと昇降口前の見取り図を描いていた夏希なつきが琥珀の瞳をこちらへ向けた。

「僕は素敵だと思います。花の種のプレゼント」

「でも誰がお金出すんです? それ」

 カシャカシャとホッチキスを鳴らしていたあおいが見向きもせずに横槍を入れる。相変わらず現実的なことばかり言う。しかし正直のところ、一も費用のことは気にかかっていた。

 とはいえ納得しないのが智である。彼は「そんなもん先生にいえばどうにかなるでしょ」とあくまで楽観的だ。葵は書類をまとめながらため息をついていたが、気づいたのは横にいた一だけである。

「まあ葵くんが言うことも一理あるよねん。今は学園祭で忙しいからさ」

「でも種買うくらい出来るんじゃないすか?」

「経費によるよ。ただでさえ生徒会の資金減ってんだからさ」

 全ての元凶であった殺人事件の後、実際に活動している生徒会員はほんのひと握りになっている。それもあってか生徒会が使えるお金は大幅に減らされた。今来ていない役員はもう見限られたのだろう。生徒会長などは一学期のうちに自主退学したとの噂で、めっきり姿を見せないらしい。

「ったく来いよな。来ない先輩たちばっかいるから忙しくなってんじゃないすか」

 智は幽霊役員たちの気持ちが理解できないらしい。いつも皆の中心となって生き生きと生きてきた彼だからこそなのかもしれない。一としてはそっとしておいてやれと思うのだが、人手が足りないことに対して嫌気がさすのもまた事実であった。特に文化祭は生徒会と実行委員会の連携で主導する毎年のビッグイベントである。実行委員に手伝ってほしい気持ちはあるものの、腫れ物を触るかのような扱いをされていることは明らかだった。

「ってか俺らもなんかやらないんすか? パフォーマンスとか」

「パフォーマンス?」

 また智が突拍子もないことを言い出す。そういえば、一たちが通っていた中学校の文化祭では毎年生徒会からの出し物が行われていた。主に演劇やクイズ大会、ダンス披露などであったが、それがやけに人気だったのを思い出す。華々しい空気が苦手な一からしても、遠目に見ている分には楽しかった。しかしそれを自分がやるとなると正直逃げ出したくなる。全校生徒の瞳が集まる中で醜態を晒すなど恐ろしい。

 しかし秦也はすぐに納得したらしい。「ああそれね」と言うとニヤニヤと頬杖をついてペンを回した。

「うちは今まで有志しかやってなかったんだよね。でも今年からは生徒会で何かやろうと思っててさ。前に言ったでしょ? 名誉回復するなら学園祭が一番手っ取り早いって」

「は?」「えっ」

 葵と夏希の声が重なる。随分と突然の告白だった。どうやら二年の彼らも聞かされていなかったらしい。飄々と笑ってみせる秦也に対し、夏希が「嘘ですよね?」と慌てて身を乗り出す。

「ひ、人前で何かするとか無理ですよ! 僕すぐに緊張しちゃうんですから」

「大丈夫大丈夫、夏希くん可愛いから」

「そういうことじゃないです!」

 どうも智の発言が厄を招いてしまったようだ。当の本人が「いいじゃないっすか!」とノリノリで秦也に味方する中で、一は気配を消そうと後退りを始める。

「もちろん葵くんと一くんもね」

 見透かされたかのような言葉に肩がはねる。恐る恐る秦也を見ればにいっと細められた瞳と目が合った。まるで獲物を見つけた狐のような雰囲気に、落ち着いた学校生活がガラガラと崩れてゆく心地がする。

「何にせよ私はやりませんから」

 キッパリとした葵の声が横から飛ぶ。あの怪しい男にハッキリと物申せるのが羨ましい。ところが秦也の方が一枚上手のようで、「もう五人分で提出してあるよ? パフォーマンスの申請書」ときた。

「はあ? 馬鹿じゃないですか? 何こっちの了承なくそんなことしてるんですか」

「上宮先生受け取ってくれたけどね」

「チッ、あのお人好し教師」

 葵の眉はもうこれ以上縮まらないというところまでひそめられている。せっかくの美人がもったいない。そんな呑気なことを考えるが、それも現実逃避でしかなかった。

「さっすが上宮先生! よーし頑張ろーなはじめっ!」

 智が勢いよく駆けてきたかと思うと体当たりをするかのように肩を組む。壁にぶつかった右肩が痛むが、それ以上に胃の奥がきりりと傷んだ気がした。








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