ステージ


 薄暗い用具室。ステージへと繋がる階段の脇で、一はやっとのことで深呼吸をした。

 いよいよステージ本番である。ほんの少しだけ体育館を覗き見れば、思いのほか人が集まっている。応援に来た智の友人らもいれば、面白半分に見に来た人もいる。あの生徒会が何かやるらしいぞとの噂は広まっていたので野次馬も多いのだろう。

 しかしどちらにせよ客は客なのだ。あの人だかりの前で失敗したらと考えると羞恥どころの騒ぎではない。今まで人前に立って注目されることなどなかった一にとって、初めての大舞台だった。

「そろそろ行くよ。司会が合図したらね」

 秦也がニコリと笑う。皆で揃えた衣装は曲に合わせた黒のワイシャツと黒のパンツ。シンプルながら、これがより一層甘いロックをひきたてる。芸術に長けた夏希が選んだ代物だった。


 有志で参加した女子のグループがステージを降りる。司会のアナウンスとともに、秦也が「行くよ」と一歩踏み出した。まるで光の中へ吸い込まれていくようだった。秦也の高い背丈がステージに消え、一回り小さな夏希と葵が続いた。

 ほんの少し歓声が聞こえた気がした。まさか本当にやるとは思っていなかったのだろうか。地味で裏方のようだった生徒会が、事件で顔に泥を塗られた生徒会が、まさか自ら表に立とうとは誰が予想出来ただろう。

 もしかしたらあの事件をきっかけに変わったのかもしれない。そんなほんの少しの期待と、やはり未だに残る腫れ物を見るかのような視線がいっぺんに突き刺さった。

「ほら行くぞっ」

 智がニカリと笑って一の手を引っ張った。照明を背負って歯を見せた智に、どこか懐かしい輝かしさが蘇る。

 ······うん、彼にならついて行っても良い。そんな気持ちを動力に、苦笑半分ステージの上へ躍り出た。

 全ての瞳がこちらを捉えた。やはり緊張はあったが、それでも幾分かは胸の高鳴りに変わる。刺さるスポットライトの奥に見えた群衆が、記憶の彼方でチカリと瞬いた気がした。

「それでは、生徒会のパフォーマンスです!」

 司会が高らかに言い放った。実行委員会の面々も慣れたものである。そんな悠長なことを考えている間にも、聞きなれたイントロが鼓膜を揺らし、視界の端で秦也の腕が美しく伸びた。


 そこからは一瞬だった。羞恥を忘れ、雑念も忘れ、ただ皆に追いつこうと必死に身体を動かした。パフォーマンスというものはこれほどまでに瞬間的なものか。中学校での合唱は些か長くも思えていたが、この時ばかりは光の速さで時が流れていった気がした。

 音楽が止まる。皆で最後の視線を揃えた。もう終わったのか? まるでこの一瞬だけタイムスリップでもしたかのようだ。つい先程まで、自分はステージ脇に控えていたはず。いつの間に終わってしまったのだろう。やり切ったという感情はまだなく、戸惑いだけが心に残る。しかしじわじわと汗ばむような静寂と、一気に湧き上がった観衆の声に意識がステージの前へ引き戻された。

 こちらへ大きく手を振る翔太と山田の姿が見える。その他の生徒たちも、拍手を奏でたりどこか呆気に取られたりと予想以上の盛り上がりを見せていた。

 一は一度瞬きをした後、何か大きなエネルギーが身体にドッとぶつかったのを感じた。衝撃波でも食らったかのような刺激。ぽかんと前を見れば、秦也や智が楽しそうに皆へ手を振っていた。夏希もやり切ったかのような顔でじわじわと喜色を滲ませている。ただ葵だけが、いつも通りの気高さを纏いつつ、猫を被るようににこりと綺麗な笑みを浮かべていた。

 終わったのだ。このひとときで。初めて立った舞台は、あまりにも呆気なく思えてしまった。しかしながら、ぶつかる歓声が徐々に胸の奥を軋ませる。鳴り響くアンコールの声と、舞台袖に控えた吹奏楽部からの拍手が目の端に瞬いていた。

「皆ありがと〜。でもスケジュール決まってるからもう吹部にバトンタッチするよ。また来年よろしくねん」

 飄々と手を振り返した秦也に、ギャラリーの生徒たちが口笛を飛ばす。まだ狐に包まれたかのような顔をする生徒もいたが、それだけ意外性を見せつけることが出来たのだと思うと、少し照れくさくもあった。

 ようやっとのことでステージを降りる。続けてアンサンブルを披露する吹奏楽部の面々がステージへ並び始めた、その時だった。


「せっかくなら違うのも見せてよ」


 凛とした声が客席から飛ぶ。そちらを見れば、一人の男がこちらを見ていた。初めはここの男子生徒かと思ったが、どうも私服姿を見る限り一般客のようである。一と智が「なんだ?」と顔を見合せた時、ざわざわと一部の生徒たちが騒ぎ始める。不思議な空気感の中で、秦也が「ふーん?」と目を細める

「久しぶりだね古野ふるのくん」

 その名前にまた生徒たちがざわめく。加えて横にいた夏希も「あっ」と口を手で覆った。

「生徒、会長さん······」

「えっ!?」

 智が目を丸くした。一も驚いて古野を見つめ、そして記憶の彼方に仕舞われていたかつての生徒会名簿を思い出す。

 古野吉人ふるのよしひと。それはまさに、自主退学したはずの前生徒会長であった。













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