語らい


「おはよ」

 学園祭の振替休日があけた火曜日。いつも通りの時間に来た翔太は、いつも通りの挨拶をして席に着いた。しかし智は振り返らない。普段は真っ先に口を開く彼が、今日は誰とも挨拶を交わしていないようだった。一は二人を横目にしながら読みなれた本を開く。いつもなら物語に没頭するのに、今日は何故だか内容が頭に入ってこなかった。

 あの出来事の後、クラスでの打ち上げに翔太の姿はなかった。チャットを送ったが、「父さんに帰ってこいって言われた。ごめんね、楽しんで」とだけ返ってきた。生徒会のパフォーマンスのおかげか、打ち上げでは智と一がだいぶ担がれた。しかし心の隅に残る翔太の笑顔が邪魔をして、二人とも素直に楽しめなかった。


 放課後になっても智と翔太は一切言葉を交わさなかった。翔太はひたすら待つようだった。智の心が記憶を許すまで、ずっと待ち続けるつもりらしい。

 翔太が帰ったあと、智が小さな声で一を呼んだ。彼に連れられて空き教室へ行くと、「どう思う?」と問いかけられる。

「なんであんなこと言ったの? あいつ」

 どうやら翔太のことを言っているらしい。長年付き添った間柄だ。智が少々イラついていることは見ただけでわかる。しかしいつもの憤りではない。悲しいからこそ生まれる怒りだ。

 この男は朝からずっと苛立っているようだった。一方の翔太は今日一日静かに笑っていた。どちらも悲しみや寂しさを表しているのだということは、一にとって手に取るようにわかる。昔からそういう男だった、葛城と入鹿は。悲しい時に悲しいと言わぬのだ。それが二人の壁ともなっているようで、一は苦笑しつつ智の背中をさすってやった。

「貴方が何も知らないと思っているのでしょう。本来、私が話したことは全て口止めされておりました」

 智がついっとこちらを見る。一から綴られた恭しい物言いは、鎌足としての言葉だった。

「あいつ、俺に嫌われてると思ってんのか?」

「そうです、恐らくは」

 入鹿が自分の暗殺を承諾していた。そのことは、本来鎌足と入鹿と、仲介をしていた徳多とこただけが知っているはずだった。もちろん、入鹿からは葛城に伝えるなと言われていた。

 しかし鎌足は話してしまった。ヘマをやらかしたわけではない。伝えるべきだと思って伝えた。死人に口なしとはよく言ったものだ。こんな未来になるなど露知らず、どうせ死んでいるのだからと葛城に全てを話してしまった。

 あの事件の後、葛城は怒りを顕にしていた。それは入鹿が権力集中を図ったことへの憤りではない。彼が急に葛城から遠ざかり始めたことへの怒りだった。きっとあの蹴鞠の場から感じ取っていたのだろう。

 元々入鹿は古人と密接な関係にある。しかし彼らが葛城にも丁寧に接していたことは確かだ。葛城としても、入鹿や古人と言葉を交わすことは楽しかった。彼らの広い知識と兄のような姿勢が好きだった。

 だからこそ、二人が己に背を向け始めたことを許せなかった。何故急によそよそしくなったのか分からないところも腹立たしかった。自分は何も悪いことなどしていない。なのに何故顔を背けられるのか。己への自信は持ち合わせているからこそ、今まで皆に優しくされてきたからこそ、理由もなく冷たい態度を取られることは嫌いだった。

 それは入鹿を殺した後とて同じこと。そうやって苛立つ葛城を見ていると、鎌足としても真実を話してやりたくなったのだ。せめて、何故疎遠になり始めたのかを······その理由だけは知っていて欲しかった。

「お前も同罪だぞ、鎌足」

 智の中に芽生えた葛城の面影が言う。そうだ。千三百年前もそうやって怒られた。

 何故勝手に決めていたんだ、と。自分の知らないところで鎌足と入鹿が密約を交わし、あの政変を仕組んでいた。ただ踊らされた自分が、何も言って貰えなかった自分が、信頼されていないかのようで悔しかった。葛城はそう言っていた。


 そんなことを考えていたら、智が拗ねたように俯いた。何も言わない一に痺れを切らしたのか、「俺が謝んなきゃなんねーの?」と不満そうに呟く。

「確かに古人の兄上が言ってたみたいに人殺しは悪いと思うけどさ、あいつ納得してたんだろ? 俺が思い出すまで楽しそうにつるんできたのに、俺が思い出したら全部最初からやり直しなわけ?」

 ああなるほど、智もまた勘違いをしているのだ。

 一はもどかしい心地で苦笑すると、「いいや、あいつは謝って欲しいんじゃないさ」といつも通りの声音で言う。

「ただ今までみたいに声かけてやれ。おはようって。あいつは待ってんだよ。智の気持ちが落ち着いて、今まで通り話しかけてきてくれるの」

 機嫌を窺う子供のような瞳がこちらを向いた。それはしばらく一の顔をうつしていたが、しばらくして「分かりにくいなあいつ」と照れ隠しのようにそっぽを向く。

 やはり杞憂すぎただろうか。結局例によって智を宥める結果に落ち着いた。過去の激情が増加する分また騒がしくなるのだろうが、その痛いほどの喧騒がどこか懐かしいような気もした。

「お前もまた一緒にいろよ?」

 智がスタスタと廊下へ向かう。その凛とした背中に懐かしい陽炎の色を見ながら、一は「もちろん」と笑って帰路についた。










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