「ちょちょちょ! お前ら聞け!」

 その日の放課後、いつも通り図書室に行こうと腰を上げたところで、突然廊下にいたさとしが転がり込んできた。彼ははじめ翔太しょうたをまとめて腕の中に引き寄せると、「やべぇことになった」と眉間に皺を寄せる。

「例の事件の容疑者、生徒会役員らしい」

「は?」

 突拍子もない言葉に片眉をあげる。例の事件とはあの殺人事件のことか。この男は相変わらず耳が早い。

「三年の先輩だってさ。しかも、殺されたのが他の生徒会役員の母親らしい。それで生徒会内の揉め事が原因じゃないかって話になってさ、その先輩と顧問が事情聴取されてるとか」

 よくもまあ今日一日でそれだけの噂を集めたものだ。やたら廊下と教室を行き来してたのは情報収集のためであったか。その野次馬精神に呆れていると、智は「でさ、でさ」と一人楽しそうに言葉を続ける。

「本当かどうか知りたいから今から先輩に聞きに行こうと思って」

「先輩? まさか容疑者の······」

「違う違う! 他の人に決まってんだろ。ほら、小学生の時に滋賀から明日香あすかに引っ越してきた人いたじゃん。飛鳥寺の北あたりに住んでたあおい先輩。あの人生徒会役員らしいんだよ」

 ああ、そう言えばそんな人もいた気がする。確かしばらくしてまた奈良市内に引っ越した人だ。智は親しくしていたようだが、家が遠いので一はあまり喋ったことがない。

「二年四組らしいからさ、行こうぜ」

「迷惑だろ」

「大丈夫だって! 迷惑だろうがそうじゃなかろうが葵先輩は絶対嫌な顔するから」

「それ大丈夫じゃないだろ」

 そんな小言を三人で飛ばし合いながらも結局二年生の教室まで来てしまった。靴紐の色で学年が分かるので、他学年の廊下を歩けば視線が刺さる。しかし智はそんなこと気にしていないのか、「二年四組」という木札を確認して教室の扉を一気に開けた。

「失礼します! 一年の葛野くずのです! 葵先輩いますか!」

 獅子のごとき声が教室に響く。次の瞬間、クラス内が水を打ったかのように静まり返った。さらさらと吹き抜ける夏風の中で、高い耳鳴りが頭を襲う。しかししばらくすると、教室中央にいた女子のグループが「葵くん······呼んでるよ」と黒板の前の席に声をかけた。

 そこには一人の男子生徒がいた。美しく流れる前髪の下で、氷のように冷たく透き通った瞳がこちらを見ている。彼は智を見て一瞬眉を寄せたものの、声をかけてくれた女子生徒に「ありがとうございます」と愛想の良い笑みを浮かべて席を立った。





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