共鳴


 藤川がアンサンブル奏者をステージに並ばせる。同時に、秦也はステージの前へ躍り出て「よろしくねん」と彼女らに片手を振った。

 どうやら本当に即興ダンスを行うらしい。ステージ上の奏者は戸惑いを見せていたが、そこはさすがの吹奏楽部。先輩らしき女子生徒が「いつも通りで」と指示を出すと、緊張や困惑など微塵も感じさせぬ表情で煌めく楽器を構えてみせた。

 藤川が「好きなタイミングでどうぞ」と言いたげに合図を送り、ステージ脇へはけていく。帰りかけていた観客らも足を止め、体育館の中は底知れぬ静寂に包まれた。

 事の発端をつくった吉人は険しい顔つきで秦也を眺めている。ただ音楽の調べだけを待つ秦也は、静かに瞳を伏せて奏者の息遣いを待った。


 指揮を握るファーストトランペットのベルが柔く下げられた。それが明確なリズムを持って再び持ち上げられた瞬間、ステージ上の呼吸が揃うと共に煌びやかなイントロが四方に響き渡った。

 何度もテレビや街中で聞いたフレーズ。音楽に疎い一でさえ知っているほどの、今年一番の流行曲。その軽快なリズムを秦也が逃すはずがなかった。

 ベース、裏拍、メロディーライン。多種多様なリズムにピタリと寄り添う秦也の舞は、指先までもが音楽の一部と化しているかのようだった。

 軽快なステップとキレのある腕の軌道。先程の甘いロックとはまた違ったポップス向けの振り付けは、即興だとは夢にも思えないほど曲に馴染んでいる。

 皆が目を奪われる中、観衆の中央から慎ましやかな手拍子が聞こえてきた。それは次第に波紋を広げ、体育館全体に揃った音が響き始める。智は目を輝かせると、自ら体育館の中を回って手拍子を促し始めた。ぽかんと眺めていた人々もつられて手を叩き、アンサンブルはますます響きを増す。

 トロンボーンが長いスライドをリズムに乗せて横に揺らし、それを受けたトランペットも同じようにリズムをとりはじめる。ユーフォニアムとチューバを吹いていた二人も視線を合わせると、大きなベルを共に揺らした。高々と掲げられたホルンから響いたグリッサンドに、秦也がにやりと笑みを深める。リズムに合わせてスラリとした四肢を軽やかに動かし、美しいターンを決めてみせた。客を巻き込むかのように移動しながら綴られるダンス。それはまさに魅せるための舞であった。金を取るわけでも、何か利益が出るわけでもない。ただ、周りの感情を刺激し、見る側も秦也自身も楽しむための踊り。

 それが皆を一体化させた時、曲のサビと共に音楽が絶頂を迎えた。そのままの熱気で流れゆくアウトロは、まさに余韻と言うべき心の高まりだった。

 輝かしく掲げられた金管楽器の輝きと共に、最後の響きが空気を震わせる。秦也は一度ニコリと顔を上げると、幕を閉じるかのように深々と礼をしてみせた。

 盛大な拍手が辺りを包む。いつの間にか観客の数も増えていた。飛び交う口笛と歓声の中で、秦也はふふんと顔を上げる。そこに見えたのは舞っていた時とは違う、いつも通りの胡散臭い笑みであった。

「はーい、皆ありがとー! もうアンコールは終わりにするよ。金管の皆もありがとねん。素敵な演奏してくれた吹部の子達にも拍手! 次の合奏頑張って」

 秦也が観客と吹奏楽部員に片手を振る。ステージを手でさして拍手を促せば、これまた輝かしい歓声が辺りを飲み込んだ。

 場を覆い尽くす熱気の中で、秦也とアンサンブル奏者たちがステージからはける。「これから休憩に入ります。五分後に吹奏楽部全体の発表を······」という司会の声を横目に、智が秦也に飛びついた。「すげぇっす先輩! めっちゃ盛り上がったじゃないですか!」と目を輝かせる智は、楽しそうにまとわりつく子犬のようだった。

「ふふ〜、まあ僕にかかれば朝飯前よねん」

 おどけたように笑った秦也が体育館を見回す。そこに、吉人の姿は見えなかった。

「お疲れ様でした。素晴らしい踊りでしたよ」

 柔らかな拍手と共に吹奏楽部顧問の藤川がやってくる。秦也はぺこりと頭を下げると、「いやあ、無茶振りしてすみませんでした。吹部の子たちには流石の演奏だったと伝えといてください」と笑う。

「いえいえこちらこそ。あの子たちも演奏が盛り上がって良かったと話してました。次の合奏でも活躍するので見てあげてください」

 藤川の上品な笑みの奥で、吹奏楽部の面々がステージに椅子や譜面台を並べている。休憩の後は全体での演奏があり、それでステージ発表は終了する予定だ。生徒会役員はその演奏を盛り上げた後、軽く片付けをすることになっている。

「まあ、古野くんには少し可哀想なことをしましたが、やはり観客を楽しませるのが第一。素晴らしいパフォーマンスだったと思いますよ」

 藤川の言葉を受けて、智はやっと吉人が消えていることに気づいたらしい。ふふんと胸を張ると、「俺らに口出しするなんて百年早いぞ」と自慢げに目を細める。藤川は苦笑するように肩をすくめると、「何だか将来安泰ですね」と秦也に向き直った。

「では私は準備に戻りますね。改めて、臨機応変に対応してくださってありがとうございました」

 藤川のスラリと伸びた背中が遠ざかっていく。それは次々と運び込まれる大型打楽器の運び手の中に、指示を出しながら紛れていった。

「智! 一! 凄い良かった!」

 休憩から戻ってきた翔太と山田がこちらへ駆けてくる。どうやら楽しんでくれたようだ。

 何も言わずに出ていった吉人の行方は気になるところだが、とりあえずは成功したといって良いだろう。

 続けてやってきたクラスメイトたちにも囲まれながら、初めてやってのけた大舞台の余韻に、一は珍しくはにかむような笑みを零した。

















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