第54話源家と平家

一閃。完全に虚を突かれた清盛の首を、九郎は鮮やかな太刀捌きで刎ねた。

 清盛の巨体はふらふらと揺れた後、背を地面に向けて倒れる。そして、地面に一度ぶつかった後に、巨大な潮の塊に変貌した。

 俺と九郎は荒い息を吐きながら、塩の山を見やる。

「……勝った、な」

「ああ。なんとか、だけどな」

 勝てば官軍ってのが、この時代の戦いだ。だから平治の乱で勝った平氏は栄華を極め、こうして負けて消えた。それだけのことだ。

 気が付くと、周囲から戦闘音は全く聞こえなくなっていた。いつの間にか朱清が呼び出した骸骨武者たちは消え、周囲には傷ついた源氏武者たちだけが呆然と立っていた。

 だが、俺たちがいるところより百メートルほど離れた場所に、一人の白髪少女が蹲っていた。朱清だ。

 俺と九郎は、蹲って顔を膝に埋めている朱清の下へ歩いた。

 俺と九郎の背後で、与一が弓を絞る。

「与一。おれが指示するまで、決して矢を射るなよ?」

「……分かりました。ですが、お気を付けを」

 与一の忠告を受けて、九郎は一歩前に出る。

「何故じゃ……源九郎義経」

 その時。膝を抱えた朱清が弱々しい口調で言った。

「何故じゃ。何故、私から幸せを奪うんじゃ。私は、ただ……清盛じいさまや、他のみんなと、楽しく幸せに暮らせるだけで良かったのに……。何故、また私から大切な人を奪うのじゃ? そして今度は、私を殺そうというのか?」

 九郎は何も言わない。

「だが、残念じゃったの! 私を殺しても、私は元の時代に戻るだけじゃ! もし戻っても、また再びこの時代へ渡ってくるからの! そして次こそは、お前を殺してやるのじゃ!」

 涙を浮かべ、怒りに顔を赤くする朱清。

 そうか。この時、俺はようやく分かった。この朱清も、九郎と同じく一族再興を夢見て戦っていた少女の一人だったのだと。

 九郎は太刀を逆手に持つと、それを朱清目がけて振り下ろした。

「ひっ!」

 朱清の悲鳴が、小さく漏れた。

 しかし、九郎の太刀は朱清の身体を貫くことなかった。太刀は、朱清の広げられた脚の間、その剥き出しの土に突き立てられていた。

「な、んの……つもりじゃ?」

 目を白黒させながら、朱清は九郎に問う。

「おれとお前は似た者同士だ。同じく家の再興を目指し、戦いに身を投じる者だ。だからこそ、おれはお前を許す。かつて、清盛入道が赤子だったおれを助けたように。おれは、この場で平朱清を許す。それが、清盛入道からの借りを返すことにも繋がろう」

 九郎は続ける。

「しかし、次戦場で遭ったならば容赦はしない。おれは常に、平家討伐の最前線にいる。挑みたくば、今度は決死の覚悟で来るがいい。おれも、全力でお前と戦うことを約束――」

「なぜじゃ!」

 九郎のセリフを遮り、朱清が叫んだ。

「何故、お前は戦えるのじゃ! 私はお前に言ったはずじゃ! お前は兄に裏切られて死ぬと! なのにどうしてそんなことを口走れるのじゃ!? 戦った果てに得られるものは何もないのじゃぞ!?」

「得るものなら、ある」

 泣きそうな形相の朱清に、九郎は優しい声音で言った。

「富や名声は、手に入らぬやもしれん。だが、俺の近くには仲間が――郎党達がいる。おれはこいつたちと、長い旅をしてきた。京から奥州への、長い旅だ。その中で、共に笑い、泣き、喧嘩をして……共に背を預けながら戦ってきた。きっと、これからもそうなのだろう。戦に勝って笑い、仲間の死を悼んで泣き、そしてきっとくだらないことで喧嘩をするのだろう。そういう時間が、おれをきっと幸せにしてくれる。なら、おれはそれでいいと思うのだ」

 九郎の言葉は、俺にもずっしりと響いていた。

 あの時、俺が女としての道を歩むことを勧めた際に九郎が起こった理由。それは、九郎がこの旅を大切な思い出として心に仕舞っていたからだ。

 平家を滅ぼすことが源九郎義経としての願いであれば、少女牛若としての願いは、きっと仲間と旅をすることなのだろう。

 鞍馬山に幽閉されていたからこそ、九郎は壮大な日本の国々を渡り歩きたいのだろう。

 九郎は朱清に微笑む。少女のような、可憐な表情で。

「おれが……わたしが望むのは、幸せな死に様ではない。幸せな生き様なのだ。子や孫に平和と安寧の中で看取られて逝くのではなく、たとえ悲運の中一人きりで死ぬとしても、最期まで幸せだったと思って死にたい。仲間と共に逝きたい」

 九郎の答えは、俺の知っている武士の考え方とは違っていた。

 勇壮な死に様よりも、幸せな生き様。

 名声より、身近な幸せを選ぶ。

「幸せな……生き様」

 朱清が、少しだけ呆然とした後に再び顔を上げた。

 その表情は、残忍な笑みだった。

「くかか。では、やはりお前とは相容れぬな、源九郎義経。私の幸福は平家の繁栄。お前の幸福は義経一行の幸せ――ひいては源家の繁栄じゃ。やはり私とお前は水と油、平家と源家じゃ」

 そう言うと、朱清は飛び起きた。

 そして、不敵な笑みで俺と九郎を睨み上げる。

「今日のところは引く。……清盛おじいさまが、待っておる」

「げっ。清盛の奴、まだ生きてるのかよ」

 驚いた。確かに、塩になったはずなのに……。

「バカめ僧兵。清盛おじいさまは命を分けた若い半身を作り上げただけで健在じゃ! もっとも、もう、命の息吹はほとんど半身に使ってしもうたようじゃがな……」

 一瞬だけ弱々しく瞳を潤ませた朱清だったが、すぐに鋭い目つきに戻った。

「源九郎義経! そしてその郎党共よ! 此度は勝ちを譲ってやる! じゃがな、平家を侮るでないぞ? 次に会う時に命乞いしても許さんからな!」

「ああ。次は容赦しない。その時を、楽しみにしておるぞ……朱清!」

「うっさい! 名前を呼ぶなばーか! バカ義経!」

 舌を出して片目を瞑りながら、朱清は漆黒の煙に飲まれていった。

 煙が晴れた後、そこには朱清の姿も、骸骨武者の姿もなかった。

 青筋をこめかみに浮かべた九郎の隣で、俺はおそるおそる訊いた。

「……やっぱり、あのバカ女をさっき殺しておくべきだったとか思ってないか?」

「……後悔先に立たず、だ。思ったところで、逃がしてしまったのだから仕方あるまい」

 九郎はぷるぷると握っていた太刀を震わしていたが、やがてそれをなんとか鞘に納めた。

 その直後、周囲から歓声が沸き起こる。戦に勝った勝鬨だ。

 周囲の武者たちが勝利に酔いしれる中、九郎は俺の服の裾を握った。

「ん? どうしたんだ九郎?」

 九郎は俺から顔を背けたまま、ぼそぼそと告げる。

「いやその……今更なのだが、助けに来てくれて……あ、ありがとう」

 ……何をそんなに照れる必要があるのかねえ。

 何でもないことなのに、俺まで顔が赤くなっちまう。

「何言ってんだ。郎党なんだから、当然のことじゃねえか」

 俺が笑って言ってやると、きょとんとしていた九郎もニコリと微笑んだ。

「うむ。そうであったな。頼りにしておるぞ、弁慶。それとも……む、武蔵と名で呼んだほうがいいか?」

「はあ? なんでだよ、俺が言っても直さなかったくせに」

「だ、だってあれはわたしが付けた名だし……わたしの初めての郎党だったものだから、つい嬉しくて……い、いやだっただろ? 常々言っておったし、そろそろ呼んでやらねばかわいそうかと思ってだな……」

 あたふたと、一人でコロコロ表情を変えている九郎を見て、俺は思わず苦笑した。

「な、なんだその態度は! 主が必死におぬしのことを考えておるのにー!」

「くっくっく……わりいわりい。でも、いいんだ。今のまま、弁慶でいいぞ」

 だって、俺はもうこの世界で生きるって決めたんだからな。

 お前のためなら、名前くらい捨ててやる。

 とまあ、口には出さないがな。

「とにかく、決着は着いたんだ。早く兄貴のいる黄瀬川に行こうぜ」

「あっ、おい! お前今、何か隠し事をしただろ。口元が緩んでおる!」

「ばっ、馬鹿! 隠し事なんかねえっつーの! いいから行ってこいって! 頼朝の兄ちゃんも、いい話は早いほうが喜ぶに決まっているだろうが!」

 ぎゃあぎゃあと言い争う俺と九郎。ようやく、いつもの関係に戻ることができたのだと、少し安心する。

 俺たちがいつものように言い争っていると、遠くから勝鬨が聞こえてきた。よく耳をそばだてると、それは富士川の向こう岸……源氏が着陣した東側から聞こえてくる。

 それと同時に、空が東から紅黄色へと塗り替わっていく。空が白み、太陽が昇り始め、源氏軍の背中を照らす。

 この時をもって、富士川の戦が終わった。

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