第45話頼朝、挙兵す

 平泉に来てから、早一週間が経った。相変わらず、俺たち義経一行は秀衡の客将という扱いで館に住んでいる。

 基本的に、俺たちは日中鍛錬をして過ごしている。俺は棒術から剣術、槍術、薙刀術、馬術と、この時代でも出来る鍛錬を中心に、走り込みなんかもやって過ごしている。

 九郎は、ここに来てから馬術に精を出している。なんでも、鞍馬山では馬術は習わなかったそうで、今は与一と継信が付きっ切りで九郎にレクチャーしている。

 秀衡は忙しいのか、温泉以来会っていない。次に会ったら元の時代に帰る方法を聞きたかったのだが、仕方ない。

「……ふう。一休みすっか」

 持っていた棒を下ろして杖のように地面に着くと、縁側に腰を下ろした。

 ここは衣川館から程近くにある武者の鍛錬場だ。弓道場の外には馬術のための広場があり、今はそこで九郎が流鏑馬をしている。

 俺は九郎が弓を射るのを、遠くからぼーっと眺めていた。

 最近、気が付けば九郎を目で追っていることが多い。理由はよくわからない。ただ、あの風呂での一件以来、何故か無性に九郎が気になるのだ。

 ……あれか? 風呂で際どい恰好を見てしまったからか? いやでもムラムラしたりはしないしなあ。……不思議だ。

「少年、それは恋じゃよ」

 瞬間。隣から急にじじいの声がした。

 俺は思わず飛び上がる。

「うおあっ!? ――って、なんだよ弁心か。驚かせるんじゃねえよ」

 隣を見ると、そこには丸い輪郭の好々爺。藤原秀衡こと弁心が座っていた。

 さすがは忍者みたいな継信を配下に持つだけはある。一切気配を感じなかったぞ。

「ほっほっほ。驚かせてすまんの。恋に悩む青少年を放っておけなくての」

「誰が恋に悩む青少年だ。これは恋なんかじゃねえ。……たぶん」

「まあ、儂としてもその方が良いがのう。好敵手は少ない方が良い」

「……てめえ、まだ諦めてねえのか?」

 一瞬で怒りが腹の中に湧き上がって、ギロッと弁心をにらみつけた。

「おおう。怖い怖いの。老人に手を上げようとするとは罰当たりな奴じゃのう」

「弱い者いじめは趣味じゃねえっつうの。それより、久しぶりじゃねえか。何か用か?」

「うむ。良い知らせと悪い知らせ、一つずつ持ってきたぞ。どちらから聞きたいかの?」

 俺を見ることなく、弁心は馬上で弓を撓らせる九郎を眺めながら言う。俺は改めて弁心の横に座りなおすと「……じゃあ、良い知らせから頼む」と弁心に伝えた。

「ふむ。では、まずは朗報じゃ。お主、元の時代に帰れるぞ」

「……そうかよ」

「うむ? 思っておった反応とはちと違うのう。どうした? 嬉しくないのか?」

そう言われると、嬉しいと思わない自分を意外に思った。

だが、何度心の中で帰れると思っても、特に感慨は浮かばなかった。

「嬉しくないわけじゃない。っても、どうやったら元の時代に帰れるんだ?」

「うむ。実は陰陽術を操る徳の高い僧が知り合いにおっての? おぬしのことを手紙に書いたら、元の時代に戻れると伝えてほしいと連絡があってな。そやつが今この平泉に向かっておる。あと二日もあれば着くはずじゃ」

「……そうか。んで、悪い知らせってのは?」

こんこんと、棒の先で地面を叩きながら弁心の言葉を待つ。

「……安房国で、再び頼朝が挙兵したそうじゃ」

 ぞわり。と、全身に鳥肌が走った。

 思わず弁心の方を見てしまったが、隣の好々爺は相変わらず九郎を眺めたまま続ける。

「前回の挙兵とは比べ物にならん大軍勢じゃ。前回の石橋山での頼朝軍の総数は三〇〇騎程じゃった。しかし、今回は千葉、上総、武田、畠山、足立――と、名だたる軍勢を吸収して、その軍勢の総数は――およそ四万五千騎」

「よ、四万だと……!?」

 余りにも数字が大きすぎて、一瞬規模が分からなくなった。

 しかし、大変なことになった。秀衡の七万騎には及ばずとも、頼朝軍の数は平氏にとっても当然無視できるものではない。

 誰も見たことがない大戦が始まる。そう思った。

「当然、このことが九郎に知られれば、あの血気盛んな小娘のことじゃ。何が何でも頼朝に合流しようとするはずじゃ」

 ああ。義経としての九郎なら、間違いなくそうする。

 だからこそ、この情報は危険だ。

「……黙っておく必要があるな」

「そう。故に、この情報はくれぐれも九郎に話さんようにの? おぬしにこのことを教えたのは、ひとえにおぬしと儂が『九郎大好き同盟』を組んでおるからじゃ」

「んな同盟に参加した覚えはねえ」

 悪態をついたものの、胸中は穏やかではなかった。

 俺の焦りが表情に出ていたのか、弁心が息を吐く。

「無論、儂の配下にはこのことを九郎に知らせぬようにしておる。安心せい」

 それだけを言い残すと、弁心は弓道場を後にした。

 俺の心には、焦りと不安だけが残った。

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