第44話風呂に、男女二人
……何なんだ、この気持ちは。
「――ぉぃ」
まさか、俺は九郎と旅をすることが満更でもないと思い始めてるんじゃないか?
「――おい」
まさか。それこそ笑い話にもならねえ。俺は帰りたいんだ。元の京都に。
「おい。何度聞けば分かるのだ。隣、いいか?」
その声を聴いて、俺はようやく自分が話しかけられていることに気が付いた。
「おっと。すまん――」
っと言いつつ、俺は場所を空けて隣の人物を見上げた。
そして、呆然とした。
「く、九郎!?」
目の前には、白いタオルで体を覆った九郎が俺の隣に座っていた。
白い首筋に、タオルを内側から押す小さな膨らみ。付け根ギリギリまで晒されたしなやかな太ももが、俺の視線を釘付けにしてしまう。
吸い寄せられるような九郎の姿に、俺は何とか目を逸らした。
「ばっかお前! こ、ここは男湯だぞ!?」
「……分かっておる。でも、おれは男だ。女湯には行けない」
た、確かに女湯に行っちまうと、姫武者であることがばれるかもしれないだろうけど!
「でも、男湯の方が目立っちまうだろうが! もしそのタオルが外れたら――」
明後日の方を見ながら九郎に言い聞かせていると、ちょんちょんと俺の方に指が触れた。
黙って堪えていたが、九郎が何も言わないので恐る恐る九郎の方を見る。
瞬間。俺は未だかつてない衝撃に襲われた。
恥ずかしそうに目線を俺から外し、体に巻き付けているタオルの裾を捲りあげた九郎。その九郎の股間には――その、ナニが付いていた。
「お、お前……ずっと女らしくないなと思ってたけど、まさか本当に男だったの――」
「ち、違うわい馬鹿者っ! これは生やしたのだ! 鬼一が渡した秘薬でな!」
涙目になりながら叫ぶ九郎に、俺は「そういえば、そんなことも言ってたな」と思い出す。
だが、股間から少し視線を上げると、やはり九郎の胸は少し膨らんでいる。どうやら、その秘薬とやらはナニを生やすだけで、女性らしさを失わせるものではないらしい。
俺は再び九郎に背を向けると、大きく息を吐いた。
「……はあ。とにかく、こっちの岩陰に来い。誰かに見られるとマズい」
「何がマズイのだ? ほれ、この通りナニもついておるし……」
「上のちっぱい捥いでから言いやがれ」
「なっ!? お、おおおお前! 人が常々気にしておることを!」
動揺する九郎を無視して岩陰に向かい、そこで俺は九郎に背を向けて腰を下ろした。
九郎も、俺が自分を女として意識していることに気が付いたのか、無理矢理見るようには言わなかった。
「……なあ、弁慶。お前は、わたしが何故男湯に来たか訊かぬのか?」
「はあ? なんでって、お前も風呂入りに来たんじゃねえの?」
何言ってんだとばかりに俺が言うと、九郎は何故かため息を吐いた。
「はあ。……まあ、おぬしならそう考えると予想はしておった。大体、本当に風呂に入りたければ、秘薬なんぞ使わずに女湯に行く。女子の格好をすれば、秀衡殿に会いでもしない限り誰にも正体は掴めん」
「だったら、なんでまた男湯まで……」
「……おぬしと、二人きりで話したかったからに決まっておるだろうが」
拗ねるような、放っておかれた子犬のようないじけた九郎の声が、俺の心臓を高鳴らせた。
そういえば、秀衡に会ってからの九郎はどこかよそよそしかった。あえて俺を遠ざけているような場面もいくつかあった。
「屋敷にいれば、与一や継信らがおる。町中でもどこで邪魔されるか分からぬ。その点、男湯なら安心だ。少なくとも、知り合いは秀衡殿の他におらぬからな」
背中に、温かくすべすべした感触が触れた。九郎が背中を預けてきたのだろう。
緊張がどんどん高まっていく。背後に同年代の女子がいるんだ。意識するなという方が無理だ。今や俺の五感は、未だかつてないくらい緊張で研ぎ澄まされていた。
ちゃぷっと、湯が揺れる音がした。そして、九郎が口を開く。
「……まず、お前に言いたいことは二つ。まずは、九郎義経としてだ。よくも秀衡殿の前であのような失態を犯してくれたな。秀衡殿の前で暴れるだけでなく、奥州の王を見下し暴言を吐くなど、源家郎党の恥だ。馬鹿者」
「ちょっ。何言ってんだ。あれはお前を助けるつもりで――」
「しかし、牛若として感じたのは――喜びだった。お前が秀衡殿の前に立ったとき――お前の背中を見て、わたしは心から安心した。お前の分厚い背中が、わたしを守ってくれるとな」
九郎の声が、心なしか高くなったような気がした。
「……男に言い寄られるのは初めての経験だったんだ。頭の中がぐるぐるして、何かに縋りたい気持ちになった。そんなとき、弁慶が前に立ってくれた。それが、どうしようもなく嬉しかった。ありがとな、弁慶」
こいつは、よくもまあそんな恥ずかしいセリフを、こんなところで吐けるもんだ。
「……礼なんかいらねえぞ。俺は、俺が思うままに行動しただけだ。九郎に言い寄ってる秀衡を見たら、無性に腹が立った。だから言いたいことを言った。それだけだ」
「それが嬉しいと言っておるのだ。素直に喜べ。なんならその坊主頭を撫でてやっても――」
「いい! それよりこっち見るな!」
九郎が振り向く気配がしたので、俺は咄嗟に叫んだ。
頭のてっぺんまで煮えたぎるように熱いのは、きっと温泉に浸かっているからに違いない。でも、そんな情けない姿を九郎には見せたくない。
九郎は「せっかく褒美を取らせようと思ったのに――ぶくぶく」と湯で泡を吹いているようだ。
あぶねえあぶねえ。九郎を背に肩を撫で下ろしていると、背後の九郎が、湯の中で俺の手をちょんちょんと突いた。
「……なんだよ九郎?」
「いや? ただ、こうしていると落ち着くなあと思って」
「裸の男と背をくっつけ合ってるのが落ち着くとか、お前何者だよ」
「ちがっ! そういう意味ではない! ……ただ、お前に背を預けている時が、わたしは一番落ち着くのだ。……はあぁぁぁー。湯が気持ちいいぃぃー」
九郎はばしゃばしゃと湯を掛ける。その飛沫が俺の肩にも当たる。
こう接していると、本当に九郎は女の子なんだと思う。笑ったり、悲しんだり。照れたり、拗ねたり。俺の時代にいたい女子と何ら変わりはない。
……だが、これから歩む人生は――戦いの血の匂い、それから裏切りに満ちている。
それは、決して幸せな人生とは言えない。変えられるものなら、変えてやりたい。
何故なら――俺は。
「おい、弁慶」
背中から、九郎の声が聞こえる。
「……んだよ?」
「……逆上せそうだ」
俺が悩んでいる時に、こいつは……。
「お前さっき来たばっかだろうが。根性ねえな」
「う、うるさい! お前のために無理してやって来たのだ。感謝しろ!」
ザバアっと背後で音がして、九郎の気配が遠ざかる。
「あ。そうだ。弁慶よ、一つ言い忘れておったわ。こっちを向け」
と、少し遠くなった九郎の声が俺の名を呼ぶ。
「なんでよ。ちゃんと布で胸を隠してんだろうな?」
「もちろんだ。いいからこっちを向け」
しつこく言うもんだから、しょうがなく俺は振り返った。
振り返った先には――月を背に、白い布で体を隠した九郎だった。
「……弁慶。これからも一緒にいてくれ。わたしには、お前が必要だ」
九郎の柔らかい笑みが、一瞬で俺の脳内を占領した。
何も考えられないまま、心臓だけがバクバクいってる。
熱い。体だけじゃない。心が、頭の中までもが熱い。
「い、言いたいことは以上だ。では、先に帰っておるぞ」
九郎が強引に話を打ち切ると、風呂を出て脱衣所へと戻って行った。
俺はというと、九郎が去った後の扉を見つめながら強く思った。
……やっぱり、俺は九郎に死んでほしくない。
歴史が変わるとか、俺が未来人だとか、そんなことはどうでもよくなった。
「俺が、助けてやらねえと……」
源義経という呪縛から、俺があいつを救い出してやらないと。
そう、強く思った。
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