第43話語れ、男二人
「ところで、弁慶殿」
ふと、湯で顔を洗っていた弁心が俺のこの時代での名前を呼んだ。俺はムッとする。
「俺は弁慶なんて名前じゃねえ。俺の名前は武田武蔵ってんだ」
「武田――武蔵? もしやお主、甲斐武田源氏の者か?」
「まあな。俺のひいひいじいさんくらい前までは武田家を名乗ってたらしいけど、俺は違う。んで、なんだよ弁心」
「お主は、九郎や与一殿の裸体を見たことがあるのかと思ってな」
……このじいさん。ほんとスケベだよな。ちょっと尊敬して損したわ。
「んなのねえよ。九郎のを見たら斬殺。与一のを見たら射殺されるわ」
「お主それでも男か。もしかして、男色の気があるのではないか? さっきも儂を舐めるように見とったし」
「だとしても、てめえみたいなじじいはお断りだ」
話があると思ったら何だよそれ。
「それより、お前こそどうなんだよ。九郎を娶るって話、どこまで本気なんだよ」
「もちろん、本気じゃったぞ? あんな美少女を、儂が放っておけるか」
ほっほっほ。と、弁心は笑う。何なんだよ、このじいさんは。
相手にするの面倒になってきた俺は、ふと夜空を見上げた。濃紺の夜空の下からもわもわと湯気が立ち上っている。
「……お主こそ、どうなんじゃ? 九郎の事、どう思っておるのじゃ?」
ちゃぷっと、湯が視界の外で音を立てた。
「どうって、どうとも思ってねよ。そりゃまあ、見てくれはいいとは思うけどよ」
「違うわい。このまま源氏の将として生きることが、九郎にとって一番良いことであると本気で思うとるのかと訊いておるのじゃ」
弁心の問いかけに、俺は言葉が詰まった。
思わず隣にいる弁心を見た。弁心は湯を手の平で掬った。
「……儂は、そうは思わん。あの、話に聞いておった源義経が、あのような美しい少女だと誰が思っただろうか。あの細腕が日ノ本を救う英雄になるなどと、会った当初は到底信じられんかったわ」
その時、俺の心臓が嫌にドクンと高鳴った。そして同時に、隣にいる好々爺をまじまじと見つめてしまった。
「あんた……まさか、俺や朱清と同じ未来人か?」
「儂は違う。じゃが、儂の祖父――藤原清衡は未来人じゃ。今より遥か未来、昭和十八年の『らばうる』という場所よりやって来たと聞いておる」
昭和十八年……二〇一六年の何年前かは分からないが、おそらく俺のおじいちゃん世代の人間であることは間違いない。
――と、話が逸れそうになった。
「じゃあ、あんたは九郎がこれからどんな一生を送るか知っていたのか」
「そうじゃ。一の谷、屋島、壇ノ浦と戦い抜けて平氏を滅ぼし、そして兄頼朝の圧力に屈した藤原氏によって衣川で殺される。そんな悲劇の英雄として聞いておる」
「その事情を知っているということは、あんたの九郎への求婚は何か裏があったってことだよな? 一体何が狙いだ?」
ジロッと俺は弁心を睨む。
「そんな怖い顔をするではない。儂が祖父清衡から言われたことは一つ。奥州藤原氏安泰の為に全力を尽くすこと、それだけじゃ。じゃから、儂は源義経に孫娘をやり、奥州藤原氏と婚姻関係を作ろうと考えておった。そうすれば、頼朝めの脅しに我が一族が屈することもないと思ったからのう。しかし、九郎が姫武者じゃったことで考えが変わったのじゃ」
弁心は続ける。
「儂には、あの美しい少女が血みどろになりながら果てることが耐えられんかった。美しい少女には、美しい人生が似合っておる。茨の道を進む必要はない」
そう言う弁心の横顔は、とても寂しそうだった。
「儂が伽羅の屋敷で九郎に婚姻を迫った時、お主は身を挺して九郎を守っておったな。それで気が付いたのじゃ。この男は、九郎を女として見ておる。九郎に、女としての幸せを得てほしいと思っておる、とな。どうじゃ? 当たっておるかの?」
俺はしたり顔の弁心から顔を背け、少し黙った。
確かに、弁心の言い分も一理ある。でも、俺のこの気持ちは……九郎が女だからだけではない。始めはそうだったが、その気持ちも、今は少し変わっている。
俺は、思うままを口にした。
「……俺は、九郎が女かどうか以前に――あいつが、誰かに言われて、借り物の使命感で人のために茨の道を歩もうとしているのが気に入らない」
鬼一に源家の御曹司であると知らされ、鬼一の言った『源家の復興』を使命とし、源氏の兵士や都の人々の為に血を流して戦う。そのことのどこに、九郎としての意思があるのだろうか。
「周りに流されて、周りの為に命をすり減らして、やがて周りの裏切りによって死ぬ。それのどこが幸せなんだ。それのどこに、九郎の幸せがあるんだよ」
そんなの、ただの呪いでしかない。
「あいつは、源九郎義経を演じてる。だから、その重圧にあいつ自身が苦しんでいるのが、俺は堪らなく嫌なんだ。なんとかしてやりたいって思う。それが叶うなら、あんたの言う女子としての道ってのも、あいつにとっては選択肢の一つなのかもしれないな」
俺が呟くように言うと、弁心は隣で言った。
「おぬしが、本当の九郎を見てやらねばならぬ。九郎が、義経という皆が作り上げた偶像に食い潰されぬようにな。それだけは、確かに言えることじゃ」
弁心はそう言うと、バシャっと音を立てて湯から立ち上がった。
「さて、長湯は体にも良くないからのう。ここいらで止めておくか」
ふうと弁心は息を吐くと、未だに肩まで浸かっている俺を見下ろした。
「今日は良い一日じゃった。特に、お主と語り合えたのは大きかった。安心しろ、僧兵。儂は九郎の、そしてお主の味方じゃ」
そう言い残して、弁心は―――いや、秀衡は湯治場を後にした。
弁心が去ってから、俺はぼーっと夜空を見上げた。
頭の中で、ぐるぐると考えが巡る。九郎にとっての幸せとは何だ?
このまま、源氏の御曹司として歴史の表舞台で活躍するのが幸せなのか?
それとも、この奥州で女として生きていくことが幸せなのか?
「あー……。スッキリしに来たはずなのに、もやもやするぞまったく……」
大体、そんなに俺は九郎の事が心配なのか? 俺はこの時代の人間じゃないのに。そんなことよりも、早く元の時代に戻って――って。
「しまった……。弁心のじいさんが未来人ってことは、あいつも元の時代に帰る手がかりを持ってるかもしれないってことだよな……。くっそー! んなことならちゃんと訊いておけばよかった!」
頭を抱えて叫ぶ。しかし、自分の事で叫んでいる間も、俺の脳裏にはやっぱり九郎の事がこびり付いていた。
大体、弁心が未来人の孫。それも、朱清よりも俺のいた平成の時代に近い時代からこの平安の時代に来た人間の子孫だと聞いておきながらも、俺の頭は九郎のことでいっぱいだった。それを、何故か俺は嫌だとは思わなかった。
……何なんだ、この気持ちは。
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