第9話向かえ!奥州へ!

「――きろ! 起きろ! うむむ、起きぬか弁慶!」

 誰だよ弁慶って。早く起きてやれよ弁慶。ガキがうるさくてかなわん。俺はもう少し寝たいんだって。頼むから、早く起きてやってくれよぉ……。

「起きぬのか? ならば……むむっ!」

「ぎゃああああ! 脛が! 右の脛があああああぁぁぁぁぁぁっ!」

 突然の脛の激痛に、俺は布団から飛び起きた。

 しばらく床を転がっていると、ようやく痛みが引いてきた。涙目で顔を上げると、そこには薄桃色の着物に身を包んだ黒髪の美少女が立っていた。

「あははっ。さながら、『弁慶の泣き所』といったところだな。大の男が、こうも転げまわる様子は実に面白い」

 軽快に笑う少女の顔を見て、俺は昨日のことを思い出す。このいけ好かない女のこと、弁慶という名前がこの時代での自分の名であること。理不尽なことばかりを思い出す。

 怒りが思考を支配して、俺は近くにあった自分の棒を掴むと、腰に手を当てて笑う牛若の脛を思い切り突いてやった。

「あっはっはっ――いひっ!? ぎゃああああああっ! 何をするのだ馬鹿者! 主君の脛を打つ郎党がおるか! 寝床を提供したわたしへの恩を仇で返すつもりか!」

「うるせえ誰が弁慶だ! 俺は武蔵だつってんだろうが! それに、俺は自分でお前の郎党になるって決めたわけじゃねえっつうの!」

「な、なんだと!? そんなことを言う馬鹿者はこうだ! むむむっ!」

「い、いででででで! てめえ、またその術を! こ、この女ぁ! やられっぱなしは主義じゃねえんだよ!」

 痛みに耐えつつ、俺も牛若の脛を棒で再度打ってやる。

「ぎゃああああっ! こっ、このっ――ばっかもの……! あああぁぁぁっ!」

 二人して絶叫しながら床の上をゴロゴロ転がる。

 それから何分経っただろうか。お互いに息も絶え絶えになっていると、近くから襖を開ける音が聞こえた。

「牛若丸。それに弁慶殿。二人とも何をしておるのでございましょう?」

 痛みの余韻で歪めた顔を上げると、鬼一が呆れた様子で俺と牛若を見下ろしていた。

「……あんたも俺を弁慶呼ばわりかよ。俺は武蔵だっつってるだろうが」

「失礼。ですが、その名のほうが自分の使命を感じやすいかと思いまして。それよりも、牛若丸に弁慶殿を起こすよう言っておいたのですが……」

「こ、こにょ、わからずやにしつけをしておったにょだ……」

 呂律も回らないほど疲弊した牛若が、仰向けになったまま答える。

「その様子では、躾けられたのは牛若丸のように見えますが?」

「し、失敬な! それに、言われたことはしっかり守るつもりだ! おい弁慶! 急いで支度せよ! 我らはこれより奥州に向かう!」

 急に活力が戻ったのか、ぴょんと元気よく飛び起きた牛若は、のっそりと体を起こした俺に向かって叫んだ。

「欧州? なんだ? この時代にもヨーロッパに行ける技術があるのか?」

「よー……ろ? お前は、時々意味の分からんことを言うな。なんだ? 未来語か?」

 怪訝そうな牛若の反応からするに、俺の予測は外れているようだ。俺は黙って立ち上がると、鬼一の方へ視線を向ける。

 すると、鬼一は視線を細めた。先ほどまでの困惑顔から、真剣な表情に変わる。

「……平氏が牛若丸を探しております。このままでは、この鞍馬山にまで捜索の手が届くのは確実。そこで、奥州から来ている吉次の商隊にお二人を紛れ込ませ、都を脱出してもらいます。目的地は、奥州平泉でございます」

 ……ああ。奥州って平泉のことか。

 ようやく理解できた。今から平泉まで亡命するってことだな。ってことは……

「ま、まさかこっから岩手県まで行くのか!? 歩いて!?」

「岩手――とは、未来の平泉のことでしょうか? でしたら、それで相違ありませぬ」

 平然と鬼一が言ってのける。が、現代人にとって、その道のりは絶望となんら変わりない。ここから岩手までって、ざっと五〇〇キロ以上あるんだが……。

 悲壮な顔をしていると、鬼一が少しだけ表情を緩めた。

「そう心配なさらずとも大丈夫でございます。お二人には、奥州より何度も京へ来ている商人、吉次をお供につけます。それに、このように牛若丸には女装をさせて貴族の娘を演じてもらいます。万一にも正体が掴まれることはありませぬ」

 いや、俺が絶望していたのはそこでは無いのだが……ああもう!

「っとに面倒だな! 分かったよ! 行く! 行けばいいんだろ畜生! 行ってやるよ!」

「それでこそ、豪傑と呼ばれる弁慶殿です」

「だから俺は弁慶じゃねえって!」

 もう何度目だよこのやりとり!

 俺がやけくそになっていると、俺のシャツの袖を、牛若が背伸びをしてちょいちょいと引っ張った。

「なあ、弁慶。何故わたしは女装をしておるのだ? そもそも、わたしは女であるのに」

「それをなんで俺に訊くんだよ! 鬼一に訊けよ!」

「それは、牛若丸が書類上は男(おのこ)の姫武者であるからです」

「「姫武者?」」

 俺と牛若の首が、同じタイミングで曲がる。

「はい。姫武者とは、系図上男として記録されている女のことです。本来、武家は子が多い方が、戦も荘園の管理も有利です。しかし、男よりも女の方が生まれる確率が高い世である以上、男にばかり家を継がせるのには限界があります。そこで、生まれた女子を書類上男にして家に加えることが、武家一門の暗黙の掟となりました。それが姫武者でございます。帝も、古来より女帝がおります。それと同じ道理でございます。ただ、それが表向きにできないだけの違いでございます」

「……では、わたしの他にも、源家には女子がいるということか?」

「おりました。しかし、牛若丸以外の姫武者である今若と乙若は出家してしまい、世から離れてしまいました。他のご兄弟は、伊豆の国におられる頼朝様を含め、皆男でございます」

 鬼一は淡々と告げる。この説明で、俺はようやく心の底で思っていたことに納得がいった。

 なんで牛若丸が女なんだよ! という疑問である。なるほど、歴史なんてものは結局、書物によって後の人間が決めることなのだ。書物が義経を男として書いて、女であった事実を闇に葬ってしまえば、後の人間は義経を女だとは思わないだろう。

「ってことは、姫武者ってのは、女だってばれたらいけないんだな?」

「おお。さすが弁慶殿。その通りでございます。姫武者は女であることを隠さねばなりませぬ。姫武者というのは、あくまで武家という男社会を存続させるための闇なのです。性を偽って武家を成り立たせていると世間に分かれば、家はその姫武者を殺さねばなりませぬ」

 殺す。その言葉に、俺と牛若の表情が強張る。ということは、牛若は裸を見られても一族から殺されてしまうということか……。

 ということは……もしかして義経が頼朝に殺されたのって――いいや、今このことについて考えるのは止そう。

「……って、俺は牛若が女だって知ってしまってるんだが……」

「おお。そうなのですか。しかし、心配はご無用。女子だと分かれば、それを広められる前に殺すか、郎党にしてしまえばいいのです。身内になれば、その家に入ったことになるので殺されることはありません」

 なるほど。少々物騒だが、要は家の外にバレなければいいのだ。それなら簡単だ。

 鬼一は俺が納得したのを察したのか、牛若に向き直って小さな紫色の巾着袋を渡した。

「鬼一、これはなんだ?」

「これは、いざという時の妙薬でございます。もし、姫武者と見破られそうになったら、それを飲みなさい。男根が生えます」

「ふむ。男根が――って、だんっ!?」

 瞬間。牛若の顔がゆでだこのように真っ赤になった。

「な、なんてものを渡すのだっ! わ、わたしに何をさせるつもりだ鬼一!」

「何を言います牛若丸。これは、あなたの命を守るための薬でございます。安心しなさい。半刻もしたら男根は消えます。それに、かつて母上の常盤御前は、平家の棟梁である清盛入道に牛若丸が姫武者であると露見しそうになった際、この薬で難を逃れたのですよ?」

「そ、そうなのか? では、わたしはこの薬を一度……」

 巾着袋をまじまじと見つめた牛若は、再び顔を真っ赤にさせた。

「ううっ……。と、とにかくっ! これを使わないように普段から気を付ければいいのだな! あっはっは! ならば簡単だ!」

 恥ずかしさを掻き消すように高笑いをした牛若は、ビシッと俺に向かって人差し指を向けた。その頬は、まだほんの少し赤い。

「これでわたしの準備は整ったも同然だな! おい、弁慶! 早く支度をせよ!」

「支度って言っても、俺は持ってくものはこんだけだぞ?」

 背中に背負っていたリュックと棒術用の棍棒を指さす。

「いえ、弁慶殿には着替えていただきます。その恰好では、少し目立ちますので」

 鬼一がそう言うと、今度は茶色の着物と白の頭巾を俺に手渡してきた。

「弁慶殿には、僧兵の恰好をして牛若丸を守っていただきとうございます。これは裏頭(かとう)で、こちらが服でございます」

 鬼一が手渡してきた僧兵の衣装一式を受け取って、俺は乾いた笑みを浮かべた。

「……いよいよ、俺も一端の弁慶になりつつあるな」

 しかし、平家に見つかっては元も子もない。渋々それを着ることにした。

「弁慶殿。着替え次第、鞍馬山の麓に向かって吉次殿と合流していただきたい」

「ああ。分かった。鬼一は行かないのか?」

「はい。私は鞍馬山を守る天狗故」

「……分かった。世話になったな」

「弁慶殿。牛若丸のこと、よろしくお願いいたしますぞ」

 鬼一の言葉に、俺は頷いて彼と握手をした。

 男の握手を横で見ていた牛若は、細い右手を元気よく振り上げた。

「では、いくぞ弁慶! いざ、奥州の平泉へ! 源氏再興の旅へ! 出発だ!」

 こうして、俺と牛若の旅は始まったのだった。


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