第8話英雄を、演じろ
その夜、俺は牛若が使っているという小屋に通され、そこで寝た。
しかし、寝ると言ってもベッドや布団があるわけでもない。剥きだしの板床に寝転がっての就寝だ。
もちろん、そんなところで寝られるはずもなく、俺は黙って目を閉じていた。
そんな時だった。窓の外から、牛若の声が聞こえてきたのは。
「――鬼一よ。わたしは、これからどうすればよいのだ?」
どうやら、窓の外で牛若と鬼一が話しているようだった。俺は盗み聞きするのも悪いと思って、寝返りを打って月光の入る窓に背を向けた。
しかし、俺の目は寝られずに冴えている。外の話声は、否応にも俺の鼓膜を刺激する。
「わたしが、わたしなんかが、本当に皆の役に立てるのだろうか。わたしは、お前から教わった剣術や兵法と、あとは仏のことくらいしか分からんのだぞ?」
牛若は鬼一に言うが、外にいるであろう鬼一は口を開かない。
「わ、わたしは山を飛び跳ねるくらいしか能がなくて、仏のことも……この鞍馬寺にいる誰よりも無知だ。自分の十六の人生の中で得たものですら、他人に及ばない。そんなわたしが、一体どうすれば源家を復興出来るのだ?」
「……あなたの不安はよく分かります。では、こうしてはいかがでしょう? 源氏の御曹司を『演じて』みればよろしいのではないですか?」
「『演じる?』」
「そう。あなたの理想とする英雄を『演じる』のです。兵を率い、策を立て、勝利を呼び込み、悲願を成就させる。誰もが認める理想の英雄を、自らが演じ切るのです」
「……そんなこと、わたしにできるだろうか」
「できますとも。あなたが望む、望まないに関わらず、世の中はあなたを――あなたの中に流れる源氏の血を欲しています」
「そ、それでは……わたしという人間はどうなるのだ? それではわたしは、いつか自分の演じる英雄に飲み込まれてしまうのではないか? 本当のわたしを知る者が、消えてしまうではないか?」
「いいえ。それはありませぬ。あの青年が……弁慶がいる限り、あなたはいつまでも彼の前では牛若です。故に、あの青年を大切にするのです。それが、『牛若』という名の少女を守る盾となるでしょう。あの方がいる限り、あなた英雄に飲み込まれたりはしませぬ」
「弁慶がいる限り……わたしは、わたし――か」
えらい大役を、俺の知らないところで就任させられているんだが……。
なんて思っていたが、その後二人の会話が続くこともなく、気が付くと外の気配は消えていた。
俺はごろんと寝返りを打つと、ふーっと息を吐いた。
「……まさか、俺が女の子を守る羽目になるとはな」
意味もなく自分の拳を天井に翳し、俺は眠くなるまでぐっぱぐっぱと手を動かした。
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