第7話牛若の血と忠義の契約

「……あの僧兵曰く、牛若丸は時代を動かす英雄となるとのこと。ここでこの子を死なせるわけにはいきませぬ。源氏の血を、絶やしてはなりませぬ」

「それだ! それなのだ鬼一!」 

話し込んでいると、俺と鬼一の間に小さな影が割って入った。

「どういうことなのだ!? 鬼一までもが、この痴れ者も平家と同じように、わたしを源家の御曹司と言うのか!」

 おい、誰が痴れ者だ、誰が。

「何かの間違いであろう! わたしは藤原貴族、一条長成の――」

「いいえ、この方の言葉も、平家の武者の言葉も事実です。あなたは藤原貴族の人間ではありません。あなたの本当のお父上は、平治の乱で討ち死にされた先の源氏の棟梁、源義朝様なのです。長成様は、あなたの母君である常盤御前の願いを聞き入れ、平氏から身を守るために夫婦となったにすぎません」

 鬼一の言葉に、信じられないといった様子で牛若は目を丸くした。

 続いて、鬼一は懐から一つの巻物を取り出すと、牛若に告げた。

「これは、源家の家系図でございます。ここを見てください」

 牛若は、瞠目したまま鬼一から巻物を受け取り、それを広げた。俺もその巻物を覗き込む。

巻物の初めに書いてあったのは、清和天皇の名前。そして、孫の経基から源姓となり、満仲、頼信、頼義と家系が続く。そして、平治の乱とやらで平氏に敗れた源義朝の名が書かれてあった。その義朝の九番目の項に、牛若の名はあった。


 平治元年出生。母 常盤御前 名 牛若


 それは、俺が見せた教科書の家系図と、ほとんど同じだった。

 牛若は、その巻物に記された自分の名を何度も手で触った。まるで、その事実が本当であるか確かめるかのように。

「牛若丸。手を切って、血を飲んでみなさい」

 鬼一は、優しい声でとんでもないことを言った。しかし、その場で驚いていたのは俺だけで、牛若は刃を取り出すと、それでひとさし指を切って、プクッと膨らんだ血を舌で舐めた。

「それが、物の怪をも討ち果たす源氏の血です」

「これが……」

 とろんとした瞳で、牛若は自分の血の滲む指をほぅっと眺めた。その姿は、幼い少女とは思えないほど艶やかで、俺は恐ろしいほど美しいと思った。

「……牛若丸。あなたには使命があります。平家を滅ぼし、源家を復興させる使命が」

 鬼一は、しっかりした口調で牛若に告げた。

「平家を、滅ぼす。それが、わたしの使命――」

「そうです。父義朝公の仇を討ち、源家を再興させる。それが、あなたの使命なのです」

「しかし、わたしにそんな使命を背負う資格など……」

「あなたが首から掛けておられる源氏の光珠(みたま)こそ、あなたが清和源氏の血統である証でございます。それは、源家の御曹司にのみ許された宝でございます」

 鬼一の言葉に、牛若は首にかけていた青白い珠を取り出す。

「これが、源家の証……ん? 何故だ、曇り無き白さだった珠に紅蓮が走っておる」

 牛若が首をかしげるので、俺もその珠を見てみる。すると、俺の荒珠と同じく、牛若の持っていた源氏の光珠も元の色に異なる色の波模様が入っていた。

「……それは、忠義の契約を終えた証でございます」

 鬼一が自身も、瞠目しつつ言った。

「「忠義の契約?」」俺と牛若の声が重なる。

「はい。源家の御曹司が、郎党と結ぶ契りのことでございます。お互いの珠がある限り、郎党は決して主を裏切れないのです。言うなれば、首輪でございましょう」

 鬼一の言葉に、俺は目を丸くした。

「ってことは何か? 俺は、今日からこの牛若の手下ってことなのか!?」

「左様でございます。それが、あの僧兵の使命。そして、その僧兵から荒珠を譲り受けたあなた様の使命でございます」

 ニコリともせず、淡々と言う鬼一に、俺の混乱もピークに達する。

「ちょ、ちょっと待てよ鬼一のじいさん! 俺は元の時代に帰りたいんだって! こんなところでガキの子守なんてしてる暇はねえんだよ!」

「おい! 誰がガキだ誰が! わたしはもう十六だぞ! 馬鹿にするなデカブツ!」

 牛若が叫んだ瞬間。俺の思考は一瞬停止した。体も、表情も同時にピタッと止まる。

 悪寒が全身を駆け抜け、それがある一点に集まりだす。そして――

「う、うぐおっほおおおおぉぉぉぉぉぉぉん!?」

 脛が、急に激痛に見舞われた。

 壊れてはいけない部分が悲鳴を上げるような激痛に、俺は尻餅をついてその場に倒れた。

やばい。意識が朦朧として、脂汗が全身から吹き出るぅぅぅぅぅ!

 その様子を、牛若は口に手を当てて驚いて見ていた。

「お、おい! どうしたのだ! 大丈夫か――」

「これが、忠義の契約の効果です。主人である牛若丸が念じると、その者の最も弱い部分が悲鳴を上げるように痛むのです。それが、この契約が首輪と呼ばれる所以」

 なんだよそれ! つまり俺は、首輪を繋がれた番犬ってことかよ!

 やがて脛の激痛は和らぎ、俺は何とか立ち上がった。

「な、なあ鬼一のじいさん。この契約って、もしかして一生?」

「ええ。主と郎党は一心同体。郎党は主が死ぬまで主の手足でございます」

「マジかよ……! ちょっと待ってくれって! さっきも言ったが、俺は元の時代に帰りたいんだって! こんなところで油を売ってる暇はないんだって!」

「そうは言われましても、予知能力者の僧兵は死んでしまい、この鬼一も未来や召喚といった術は門外漢でございます。申し訳ありませぬが、未来に戻る方法は存じ上げませぬ」

 あまりにも無責任な言葉に、俺は絶句するしかなかった。

 別に、令和の時代が好きだったわけでも、親しい人がいたわけでもない。だが、自分の生まれた場所に戻ることができないということは、想像以上に俺の心を震わせていた。

 自分の好きなハンバーグやローストビーフも二度と食えない。好きなアーティストのアルバムも、もう二度と聴けない。ふかふかのベッドにも、好きな洋梨味のサイダーも飲めない。そんな当たり前が一瞬にして無に帰したことに、俺の心にぽっかりと穴が開いた。

 呆然としてると、そんな俺の肩を、何か震えるものが触った。

 ほげーっと横を見てみると、牛若が背伸びをして俺の肩に手を置いていた。

「そ、そうかそうか。このデカいのがわたしの郎党か! うむ。悪くないぞ! しかし、お主の持っていた書物の内容は真であったか! よし! わたしはお前が未来から来たという事を信じるぞ! これからよろしくな! え、ええっと――」

 どうやら、牛若は俺の名前を呼ぼうとして、今更自分が俺の名前を知らないことを知ったらしい。

 俺は、自分でも驚くほどか細い声で自分の名前を告げた。

「……武蔵だ。武田武さ――」

「うむ。ではせっかく未来から来たのだ。主たるわたしが、この時代での名をやろう。感謝しろよ? うーむ。武蔵が棒を操り、珍妙な服を着ておるから――むっ! 閃いたぞ! 今日からお主の名は『武蔵棒弁慶』だ! よろしくな! 弁慶!」

 牛若が決めたという『弁慶』の名を聞いた瞬間。俺は、この時代から二度と離れられないのだと直感した。

 自慢気な牛若の笑顔を見て、俺は乾いた笑い声しか出なかった。


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