第2話武蔵、弁慶と邂逅す

ドボン! という激しい音。その後すぐにくぐもったボコボコという泡の声。先ほどまで暑さに苛まれていた体が、周囲を包む水によって急速に冷やされていく。

「ガモッ!? ガボボボボッ!?」

一瞬何が起こったか分からず、仰向けのまま、俺はただただ必死にもがいた。

すると、もがく手が水底を叩いた。それが分かった途端、目の前に見えていた水面が異様に近いことに気が付いた。

腹筋に力を入れて、水底に手をついて起き上がる。すると、簡単に息を吸うことができた。

「――プハッ!? ――はっ、はあ、はあ……」

冷てえ。い、一体何が起こった――んだ?

状況を整理する余地も早く、俺は目の前にそびえる五条大橋に目が行った。すると、頭の中で驚愕の事実が浮かび上がった。

俺は気づいた。自分が鴨川に落ち、水深五〇センチほどの浅瀬で仰向けになってバシャバシャと無様にもがいていたことに……。

一瞬で冷やされた体が、今度は恥かしさのあまり火が出そうなほど熱くなっていた。

周囲の視線が気になって、思わず辺りをきょろきょろしてしまう。誰か見たか!? って、そりゃ見たに決まってる。ここは世界でも有数の観光地、京都のど真ん中だぞ。

誰もが俺を見て、スマフォや携帯を向けて笑っているに違いない。そう思ったが――

「……うむ?」

 しかし、周囲を見ると、そこには誰もいなかった。というか……

「ここは、どこだ?」

 と、思わず声を出してしまった。

 俺の視界に映るのは、大勢の人が行き交い、全体的に白か茶色の建物が立ち並ぶ京都ではなかった。

 土手の先には長屋が立ち並び、遠くから笛のような音が木霊する。周囲に灯りはなく、空には漆黒の夜空と、都会ではまず見ることのできない満天の星空があった。

 突然のことに呆然としていると、カランと何かが倒れる音がした。

 ギョッとして音のした方を振り向く。五条大橋の袂の影に、誰かが倒れている。

その人物は腹から血を流し、脂汗を流しながらぜえぜえと荒い息を吐いていた。

「……なっ!? おい、あんた大丈夫か!」

 咄嗟のことに驚きつつも、俺は脛まで浸かった足を繰り出して川を出た。足が濡れたせいで、靴や靴下が水に濡れて重い。それを無視して、俺は砂利を踏んで橋の袂に斃れる男に駆け寄った。

 膝を折って男の目の前で屈む。そうしてみると、倒れている男がとても大きいことに気付いた。おそらく、俺と同じくらいの背丈はあるだろう。

突然の怪我人に驚いていると、腹を己の血で染めた大男は、濃い髭に埋もれた口を開けた。

「……ははっ。『弁慶』か。面白い。ワシのことを皮肉っておるのか」

 声は掠れて、言葉を発する度に血の泡が口から零れる。

……この男はもうだめだ。素人目にも分かるほど瀕死の有様だ。

「おい、あんた一体どうしたんだ? 今すぐ救急車を――」

「……ワシのことはいい。それよりも坊主、これを」

 大男は懐から大きな珠がついた首飾りのようなものを俺に差し出した。

 珠は綺麗な紅蓮色で、街灯もないこの橋の下で煌々と神秘的に輝いていた。

「これは『荒珠』という。これが、お前を導いてくれるはずだ」

「導くって……一体どういうことだよ! そもそも、ここはどこなんだよ!」

 動揺しながら問いかける俺に、大男は顔を近づけて叫ぶように言った。

「いいか、未来から来たワシの転生者よ! ここは平安。平氏の世である。しかし、やがて時代は変わり源氏の世が来る。それが正しい時の流れなのだ」

 ゲホッと、大男が大きく咳き込んだ。喀血が酷い。

「しかし、それを覆そうとする者がいる。このままでは、お前のいた時代は訪れず、時の流れが狂ってしまう。……頼む。ワシのかわりに、ある方をお守りし、時代をあるべき姿に戻してくれ!」

「な、なんだよそれ! 急にそんなこと言われても! ってか、あんた誰だよ!」

「……我が名は武蔵坊弁慶! いいか、未来から来た転生者よ! お前は今すぐ、清水寺の境内へ行け! そこへ行けば、お前のするべきことが分かる!」

 最後の力を振り絞るように叫んだ弁慶と名乗る男は、目から血を流しそうな鬼の形相のまま、動かなくなった。

 弁慶の手から、荒珠と呼ばれていた首飾りが落ちる。

 鴨川のせせらぎだけが、俺の耳を静かに刺激した。

 ……何が何だか分からない。急に川に落ちたかと思うと、瀕死の変なおっさんに絡まれた挙句、目の前にいるおっさんは言いたいことを散々言って死んじまった。

正直言って、頭が混乱でパンクしそうだ。

 俺はもう一度、事切れて動かなくなったおっさんを見た。

 ……このおっさんは、最後の力を振り絞って俺に助けを求めていた。何かは分からないが、俺を必要としてくれた。だったら――

「……意味は分かんねえけど、行くしかないか」

 平安とか、平氏とか。未来とか転生とか、色々意味の分からねえことを言ってやがったが、それはひとまず後回しだ。まずは、このおっさんの願いを叶えてやろう。

 そう決意すると、俺は弁慶と名乗るおっさんが落とした荒珠を拾って、五条の橋の先に見える清水寺に視線を向けた。

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