第13話平家、襲来
「へ、平氏の軍勢だーっ!」
隊商の誰かが上げた声が、屋敷中に木霊した。
俺と牛若は平家来襲の報に目を見開き、その場から急いで立ち上がった。
「どうして平家が……まさか、わたしが逃げたのが知られてしまったのか?」
俺の横で、牛若が震える声で言う。
平家の急襲に、屋敷の中はにわかに騒がしくなった。悲鳴、怒号。様々な声とバタバタと屋敷内を走り回る足音がそこら中から聞こえる。
そんな中、吉次が俺たちのいる部屋に飛び込んできた。
「二人とも! 起きているでやんすか!?」
「ああ。起きてるよ。んで、なんでまた平氏が宿を襲うんだ? 平氏ってのは、いつもこんな盗賊紛いのことをしてるのか?」
「それが分からないんでやんすよ! この隊商は平家と藤原氏の公式な手続きの下に動いているのは向こうも知っているはずでやんす! それに、向こうの軍勢も妙なんでやんす」
「妙?」
「はいでやんす。平家の赤旗を翻してはいるんでやんすが、何故か馬上に白髪の子供がいるんでやんす。それに、平氏も物の怪のような髑髏の武者ばかりで……まるで黄泉からの使者のようでやんす……」
吉次はその様子を見たのか、恐怖で顔を竦み上がらせる。でも、そのおかげで相手と相手の素性は分かった。
「そりゃ間違いなく平氏だ。陰陽術とやらで髑髏を操ってるチビ平氏の仕業だ」
俺は棒術用の棒を持って畳を小突いた。朱清の軍勢なら、心置きなく棒を振るえる。
「戦うなら俺も参加する。吉次。どうするつもりだ?」
「ありがたいでやんす。まず、積み荷をできるだけ宿から北の鏡山に避難させるでやんす。それが完了するまでの間、この屋敷を防衛するつもりでやんす」
「なるほどな。防衛線はどこだ?」
「屋敷の門に、弓兵を配置してるでやんす。それで時間稼ぎをしつつ、積み荷の避難が終われば、我々も撤退するでやんす」
「分かった。弓は使えないが、近接戦になったら、兵力は少しでも多い方がいい。俺も防衛線に行く」
そう言って俺が足を前に繰り出すと、袖がキュッと後ろに引っ張られた。
振り返ると、牛若が不安そうな表情で俺を見上げていた。
今のこいつは、どんな気持ちなんだろうか。俺は、牛若の瞳を真っすぐ見つめる。
源氏の御曹司として生きるかどうか。それを迷っている中の戦闘だ。今のこいつは、一体俺にどう言ってほしいのだろうか。
『いいから逃げろ。お前は女の子なんだから』そう言ってほしいのか?
『お前も来いよ。源氏の御曹司なんだろ?』と言ってほしいのだろうか?
俺の気持ちは、正直言って前者だ。こんな小娘が茨の道を進む必要はない。どうせ、その先に待っているのは悲劇だけなのだから。
だが、もし俺が弁慶としての役割を果たすのであれば、答えは決まっている。
俺は踵を返して牛若に向き直った。
「お前も来いよ。自分の身くらい、自分で守れるんだろ?」
牛若は少し驚いた後、表情を引き締まらせた。
「……すまぬ。弁慶、感謝する」
「誰が弁慶だ。俺は武蔵だっつーの」
二人の間で話が決まったので、俺たちは部屋を出ようと足を前に繰り出した。
「あ、危ないでやんすよ牛若ちゃん! お主は吉次の隊商の中でも特に大切な積み荷なんでやんすよ!? それに、戦場は女子の行くところでは――」
「うるせえぞ吉次。こいつが行くって決めたんだ。つべこべいうな」
俺が鋭い視線を吉次に向けると、鼠顔の吉次は飛び上がって首を縦に振った。
「わ、分かったでやんす。でも、どうなっても吉次は知らんでやんすからね?」
吉次の情けない台詞を無視して、俺と牛若は部屋を出た。
廊下を渡り、角を曲がり、玄関へ辿り着く。その間、僅かながら俺は緊張していた。初めての戦場が、この先で俺を待っているのだから。
戦うのは、正直言って怖い。だが、怖がっていても仕方ない。どのみち、俺は元の時代へ帰る方法が見つかるまで、ここで生きていかなければならないのだから。なら、ここで怯える必要はない。幸運にも、腕っぷしには自信があるのだ。
玄関を出て、十メートルほど庭を進めば門がある。その門の向こうでは、怒号と矢の飛ぶ短い風切り音が飛び交っていた。
門を潜り、戦いの最前線に俺たちはやって来た。門の前には、矢を防ぐ板が設置されていたが、そのほとんどが倒されている。倒れて動かない味方の兵士も、十数人ほどいた。
「状況はどうだ!?」
俺は矢を放った武者に訊く。小手と胴だけに鎧を付けた若い武者は言った。
「こちらが満足に戦えない理由が三つある。一つ、敵は物の怪で気味が悪い。二つ、物の怪なんぞ討ち取っても褒美は貰えん。三つ、こちらの大将はあの吉次様ときてる。これでは、味方の士気が上がる要素がどこにもない」
確かに、相手は気味の悪い化け物で、戦闘を指示する大将は積み荷を何より優先する吉次だ。これでは、味方の士気なんぞ上がるわけがない。
俺は矢が当たらないように身を屈めると、迫ってくる敵を見た。
深夜だが、月明かりが辛うじて敵の姿を照らしてくれていた。
平家軍は二〇〇メートルほど屋敷から距離を開けて陣取っている。奥には、馬上に跨る朱清の姿も見えた。
「ふはははーっ! 源氏の残党め! 今日こそは滅ぼしてやる!」
相変わらずの白髪チビが、馬上で「わっはっは!」と大声で笑っている。その姿がいかにもバカっぽい
敵陣には、矢を持った骸骨武者が数十体ほど横一列に並んで矢を撃っていて、射撃が終わると、その奥から武者が飛び出し、こちらへと疾走してきた。
疾走してくる骸骨武者に向かって弓を絞りながら、武者は俺に叫ぶ。
「あんたには、矢で打ち漏らした物の怪を討ち取ってもらいたい。できるか?」
この武者は、前後から矢が飛び交うこの戦場に飛び込めと言う。思わず全身が緊張で縛られそうになる――が。
「ああ。やってやらあ。縦横無尽に暴れまわって、最高の初陣にしてやるよ!」
大声を上げて、それを無理矢理引っ込ませた。
「弁慶! わ、わたしはどうしたら……」
悲鳴に近い声を出して牛若が叫ぶ。
今の牛若は目が泳いで、息が浅い。おそらく、牛若も戦いは慣れていても殺し合いである戦は初めてなのだろう。
この様子じゃ、何をしても役に立たない。それは戦場だろうと武道の試合だろうと変わらない。気持ちが負ければ勝負にも勝てない。それが戦いの道理だ。
ビビっていても、足が震えても、それを抑え込んで前に進める人間こそが勝つ。それが戦いだ
「お前はそこにいろ! こんなの俺一人で十分だ!」
牛若を置いて、俺は矢の猛攻を潜り抜けた骸骨武者と対峙する。
骸骨武者は、俺たち現代人でも想像できそうなガッチガチの赤い鎧で身を包んでいた。鎧から露出している部分は全て骨で、目の空洞は闇色そのものだ。
俺は棒を構えると、フーッと息を吐いた。
鎧の弱点は、腕や足の関節や股間、首や脇の下などいろいろある。その中でも、特に骸骨武者に効きそうなのが、腕や足の関節だ。
「しっ!」
俺は鋭い突きを骸骨武者に繰り出す。すると、俺の予想は見事に当たり、骸骨武者の腕は粉々に粉砕した。持っていた太刀も、その場に落ちて闇色に消えた。
「よしっ! 次!」
俺が叫ぶと、ガシャガシャと音を立てて骸骨武者が集まって来た。その数は三つ。
その三人は、同時に太刀を振り上げ襲い掛かって来た。
「このっ!」
一人目をいなし、二人目を防ぎ、三人目を追い返す。すると、俺を横目に一人の骸骨武者が屋敷に向かって疾走して行った。
「しまっ――!」
後悔した時点で遅い。相手の狙いはあくまで、後ろにいる牛若だったのを失念していた。
今すぐにでも牛若の下に駆けつけたい衝動に駆られる。が、もし骸骨武者に背を向ければ、殺されるのは俺だ。
「う、うわあああっ!」
「牛若っ!」
牛若が悲鳴を上げる。彼女の腰は完全に抜け、その場にへたり込んでしまっている。あの様子じゃ、逃げることもできない!
骸骨武者が牛若の前に立ち、太刀を振り上げる。骸骨武者の太刀が、月夜に反射して青く煌く。その刀身に、涙に濡れる牛若の顔が反射したような気がした。
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