第12話牛若、ホームシック
その日、飯を食って俺たちは寝ることにした。
夜も更けてきたせいか、屋敷の中は静かだ。春になってすぐだからだろうか、虫の声も少ない。かわりに、ざわざわと風が草木を撫でる音が屋敷の外から聞こえてくる。
「なあ……弁慶。起きているか?」
布団の中に潜っていた牛若が、ひょっこりと顔を出して俺の名を呼んだ。
「……だから俺は弁慶じゃねえって。起きてるよ。お前と違って、布団なんかねえからな」
布団は貴族のアイテムだそうで、俺には支給されなかった。仕方ないので、俺は畳の上で横になっていたのだ。
ちなみに、牛若は部屋の真ん中で寝ているが、俺は扉の傍で寝転んでいた。理由は簡単だ。年頃の女と一つ屋根の下で寝るのが初めてで、牛若の傍で寝られなかったからだ。
俺がもそっと起き上がると、牛若も起きた。白い着物を着た牛若は、布団を出ると、俺の横にちょこんと座った。じっと、黒くて綺麗な瞳が俺を見つめる。
「弁慶」
ずいっと、鼻と鼻がぶつかりそうなほど牛若が顔を近づけた。それと同時に、ふわっといい香りが俺の鼻孔を刺激した。
これが、女の子の匂いか。そう思った途端、かーっと顔が熱くなった。
「だ、だから弁慶じゃねえって! それより、なんだ? なんかあったのか?」
「大事な話をしていいか? わたしにとって、由々しき事態なのだ」
「なんだよ突然。その年でお漏らしが気になるとかか?」
「しっ、失敬な! そのようなもの、とっくに直っておるわ! それよりもな、弁慶。大変だ。何故か、どうしても寝付けんのだ」
「……あー。なるほどな」
「おい。今、『なんだその程度のことか』と思っただろ? 顔に書いてあるぞ」
ぶすっとした表情の牛若が細い指で俺の額を小突く。
「いてえなこの。んなの、ホームシックとかそういうのなんじゃないのか?」
「だから、未来語を話に持ち出すのは止めろと言っているだろう。分かるように説明しろ」
「ったく、うるせえな。ホームシックってのは、住み慣れた場所から離れて暮らすと起こる病気みたいなもんだ。何故か落ち着かなくなったり、家に帰りたくなったりする。寝れないのも、長い間暮らした鞍馬山から離れて一日目の夜だからだろ」
適当に言ってみたものの、牛若は病気という言葉にひどく狼狽え始めた。
「えっ。びょ、病気なのか? わたし、病に罹ってしまったのか? どうしよう弁慶……。わたし、鞍馬山が恋しくて死んでしまうのか?」
急に瞳を潤ませ、おろおろし始める牛若。
……少し脅しすぎたか。
「すまん。病気って言ってもアレだ。家から持ってきたものがあれば、それを持って寝ればいい。それが、馴染み深いものほどいいって話だ」
「なるほど……。しかし、馴染み深いと言っても、今持っているものは全て鬼一が今朝用意してくれたものばかりでな。今あるわたしの物の中で一番馴染みが深いと言えば……あ」
牛若はハッと目を見開くと、俺を見つめた。
「……お主だ」
「は?」
「だから、お主だと言っておるのだ弁慶。お主が、わたしの持つ物の中で一番馴染みが深い」
「……何言ってんだお前? 俺とお前が出会って、まだ二日目だろうが。というか、そもそも俺は物じゃねえ」
「何を言っておるのだ。郎党と言えば主の物も同然。ならば、他の物よりお前の方が僅差でわたしとの付き合いが長いことになる」
「ならねーよ! って、おい! 何する気だ!?」
牛若は、四つん這いになって、ずいずいっと俺に向かって這い寄ってくる。着物の衿の隙間から、少しだけ膨らんだ胸がちらちらと見え隠れする。
目に毒すぎて逃げようと後ずさったが、すぐ後ろは壁だったのを思い出す。もう、後ろに下がれない!
「おい、弁慶。そこを動くなよ?」
目の据わった牛若が俺に命令する。心臓が、一際高く鳴った。
もしかして、俺……ここで、牛若と――
「お、おいおいおい! それ以上近づくなよ!? 俺がどうかなっちまう!」
「何を言っておるのだ? はよう胡坐をかかんか」
「ひあああああっ――って、胡坐?」
ぽかんとした俺を見つめる牛若は、平然とした顔で俺の太ももとをぺしぺしと叩いた。
「そうだ。誰がお前のような大男を抱くか、馬鹿者が。膝枕をせいと言っておるのだ」
その一言で、俺の顔は羞恥で一瞬の内に真っ赤になった。
「な、なんだよそれ! それならそうと早く言えよバカ!」
「な、何を言っておるのだ馬鹿者! 主が何故郎党を抱かねばならんのだ! 恥を知れ!」
「うっせえ! お前こそ、胸をちらちら見せながら寄ってきやがって! てっきりそういうことになるのかと思っちまったじぇねえか!」
「なっ!? お、おおおおお前、わたしの胸を見ておったのか!? この不埒者! 罰を与える! ――むむっ!」
「あぎゃああああっ! 俺の両脛がああああぁぁぁぁぁぁ!」
両脛を、思い切りぶつけたような激痛が襲う!
「ふ、ふははっ! どうだみたか弁慶! 不埒な郎党はこの牛若が――」
そこまで言って、牛若は不意に言葉を切った。
転げまわって痛みが引いた俺は、両脛を抱えたまま牛若を見上げる。
「……どうかしたのか?」
「――いや。なあ、弁慶。何か、地鳴りのような音が聞こえないか?」
そう言われて、俺は耳から入ってくる音に注意を向けた。
相変わらず、風が草木を撫でる『ざわざわ』という音ばかりが聞こえている。
しかし、注意深く耳を澄ましてみると、低い唸り声のような音が微かに耳に入った。
「……なんだ? この音――」
俺が疑問を口にしたのと、その声が屋敷に轟いたのは同時だった。
「へ、平氏の軍勢だーっ!」
隊商の誰かが上げた声が、屋敷中に木霊した。
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