第35話与一、悲鳴を上げる
関を抜け、街道を駆け抜ける。馬の走法はもちろんモンキー乗りだ。馬の速力が落ちるまでモンキー乗りで街道を駆け抜けると、そこからは歩くことにした。
ここはすでに奥州藤原氏のテリトリーだ。関の周辺ならともかく、関から数キロも離れれば平氏の追手はやって来られないだろう。
「よし。もういいだろう。ご苦労だった、皆の衆」
九郎は継信に馬を引かせながら、馬上で礼を言った。
「特に与一。今回の策は、お前の英断あってこその結果だろう。本当に、心から感謝する」
ぺこりと、九郎が馬を下りた与一に頭を下げた。
「そ、そんな頭をお上げください義経様! 全ては義経様のためでございます! ……それに、平家は頼政様を倒しました。尊敬するお方を殺した平家にはお味方できませぬ」
与一は、悲しそう俯いた。九郎もその気持ちを察したのか「とにかく、此度のことは助かった。これからよろしく頼む」と与一に告げると、馬を引く継信と話し始めた。
俺は、隣で悲しそうに歩く与一を見た。
実はまだ、俺はこの女を仲間として認めていない。腑に落ちないことがあるからだ。
「おい、与一。少し訊きたいことがある。これから仲間として一緒に旅をする上でどうしても気になることだ」
「……何よ」
「お前、九郎の郎党になれって言われた時、なんで笑っていやがったんだ? 何か裏があるんじゃないだろうな?」
あれは、純粋に九郎の郎党になったことを喜んでいる顔ではなかった。邪悪さというか、打算を感じるような笑みだった。
与一は、ツンと俺から顔を背けていたが、やがて観念したように俺を横目で見た。
「……何よ。別に義経様を平家に売ろうってんじゃないわよ。私はただ、明るい将来設計を妄想して笑っていただけなんだから」
「あの表情から明るい将来設計を考えてるなんて信じられねえなあ」
「ほんとよ。源家について平家を滅ぼして……大嫌いな兄上達を皆殺しにして、私が那須家の棟梁になるっていう、明るく楽しい将来を思い描いていたの」
そう言って、与一はニヤッと笑った。あの時の歪な笑みだ。
……どうやら、こいつの兄貴たちへの恨みってのは相当深いらしい。
「兄上達ってね、本当に性格の悪いクズなのよ。何かあったら余一余一って……私の名前は与一だっての! そもそも、勝手に姫武者にして将来の夢だったお嫁さんを諦めさせられただけでなく、姫武者になったらなったで屋敷から追い出して長屋に住むことを強要したり……特に長男は本当にクズでね――」。
ああ。与一の家族ディスが止まらねえ。
でもとにかく、今の与一が嘘をついているようには見えない。平家のスパイか、それとも九郎を殺して一旗揚げようって算段かと思っていたが、それは俺の思い違いだったようだ。
「――って、話を聞いてるの!? あんた、自分から訊いておいて無視するなんていい度胸ね」
「うるっせえな。ちゃんと聞いてるっつーの。それとな、与一。最後の質問だ。お前、本当に九郎のことが好きなのか?」
「ええ、もちろんよ。私の明るい将来設計の行きつく先は、九郎様の子種を貰って源家繁栄の礎を築くことなんだから!」
ふむふむ。言ってることはバカみたいだが、こいつなりに真剣に考えてのことなのだろう。
だとしたら、悪いけどその将来設計が叶わぬ願いだということを教えてやらねえとな。
騙し続けるのは良くない。それが仲間になる奴なら、尚更だ。
「おーい、九郎! 少しいいか?」
俺は、少し先を行く九郎の背中に向けて言った。
「なんだ? 弁慶。何か用か?」
「ああ。与一のやつ、お前と本気で結婚して子供が欲しいんだとよ」
「ちょ、何を言ってるのよデカブツ! 勝手に九郎様にばらさないでよ!」
与一が隣で顔を赤くして叫んでいるが、俺はそれを無視する。
案の定、九郎は眉を顰めて困っている。そりゃ困るだろうさ。同性から求婚されてんだからな。
俺はクルッと踵を返して九郎から背を向ける。
「俺は背中向けてっからさ。与一に見せてやってくれ」
「ああ。そうだな。これ以上隠すわけにもいくまい」
「え、ええっ? 義経様、一体何の話を……」
俺が杖代わりになる木の棒を探していると、背後から布が擦れる音がした。おそらく、九郎が服を脱いだのだろう。
「実はな、与一。見ての通り、わたしもお主と同じ姫武者――女なのだ。だから、その……お主と子を作るというのは――ちょっと……無理なのだ」
九郎は今まで隠していた姫武者という事実を与一に告げた。しかし、与一は何も言わなかった。
今、与一はどんな顔をしているんだろうと思って、少しだけ与一の方を見た。
「げっ……」
そして、俺は思わず声を上げた。
与一は目を見開き、口をあんぐり開けて固まっていた。その様子はまさにムンクの叫び。気のせいか、頭が縦に伸びてんじゃないかって錯覚してしまった。
シュルシュルと九郎の方から服を直す音が聞こえた。
「……弁慶、もうよいぞ。それはそうと与一。すまなかったな。お前の好意はうれしいが、わたしにはやはりどうしてもお前の望みを叶えてやれんのだ……って、どうした与一?」
九郎の声に、俺も与一を見た。
与一はだばーっと滂沱の涙を流しながら、ぷるぷると震え始めた。もちろん、ムンクみたいな顔のままでだ。
「そ、そっそっそ……」
「「そ?」」俺と九郎のリアクションが被る。
「そっ、それでも大好きなんだからあああああああああぁぁぁぁぁぁぁーっ!」
与一の、もうどうしたらいいのか分からない叫びが、奥州の山々に木霊した。
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