第36話呼べ、くーちゃん
白河の関を突破して一週間。俺たち義経一行は、いよいよ平泉へと辿り着いた。
もう夏も目前だというのに、この平泉は肌寒い。この前立ち寄った村の人によると、先月まで冬の雪が残っていたらしい。どうりで弁慶Tシャツだと寒いわけだ。
俺は九郎の乗る馬を引きながら、北上川の畔を歩いていく。この辺りになってくると、急に人の往来が増えた。ここまでの道のりでは、夜盗以外に人とすれ違うなんてことはほとんどなかったのに。
やがて、北の方に古風な建物が見え始めた。
「到着でございます、義経殿。ここが、奥州平泉でござる」
日中にもかかわらず全身黒ずくめの継信が九郎に言った。
「……ここが、奥州平泉。日ノ本第三の勢力。その本拠地か」
九郎は、感心したように呟いた。
今の日本は、さながら三国志のように三つの勢力に分かれている。
首都である京都を支配する平氏。鎌倉で再起を図る源氏。そして、平泉で静観する奥州藤原氏――そう、与一が嫌そうに俺に教えてくれた。
平泉の門前で継信が番卒と何やら話している。入国の手続きだろうか。
「ねえ、ちょっと。あんたに訊きたいことがあるんだけど」
暇なので、入国手続きをしている継信をぼけーっと見ていると、後ろから弓を背負った与一が話しかけてきた。
珍しい。白河の関からここまで、必要最低限のことしか俺に話しかけなかった与一が俺に話しかけてくるとは。
「なんだ? 珍しいじゃねえか。俺に用があるなんて」
「……うるさい。あんたほど素性が怪しいやつはいないからよ。未来から来たなんて、私は今でも信じてないんだから……。おまけに義経様に不敬な態度ばかり取るし――その上、義経様もそれをなんだか許してるみたいで……むむむ~っ」
「なんだ僻みかよ。だったらいつでも代わってやるぞ?」
「ゆっ、譲られるのはあんたに負けた気がするからいやなの!」
めんどくせえ女だな、こいつは。
「はいはいそうですか。で? 要件はなんだよ?」
俺が面倒そうに耳をほじりながら訊くと、急に与一はしゅんとした。
いや、気落ちしたというよりか恥ずかしそうにもじもじし出した。
「いや、その……あのね? 私、義経様の特別になりたいの」
「だったら夜這いをすればいいじゃねえか」
「だっ、だからそれは無理じゃない! だって義経様は女――」
「だーっ! なに口走ろうとしてんだてめえは!」
あぶねえ! こいつ口軽すぎだろ! 俺が与一の口を塞がなかったらヤバかったぞ……。
「もがっ! もがもがもがーっ!」
俺の頭二つ下くらいで、口を塞がれた与一がじたばたと暴れる。俺は「わるいわるい」と形だけでも謝って手を退けた。
「ぷはっ! ちょっと、苦しいじゃないの!」
「誰のせいだ誰の。それよりも、さっさと本題に入れよ」
いい加減相手をするのも面倒になってきたので、さっさと終わらせよう。
与一は、少しだけもじもじして、口を開いた。
「み、未来風に義経様のことを呼びたいんだけど……教えてくれない?」
「お前、言ってる事めちゃくちゃじゃねえか」
俺が未来人だって信じてないんじゃなかったのかよ。
「だ、だって! あんたと違って、私は未だに義経様の特別じゃないんだもん! だったら、形からでも特別な呼び方、呼ばれ方で呼ばれたいの!」
「……なるほどな。わかるぞ」
全然分からねえけど。そう言うともっと面倒になるから頷いておこう。
「でね? 未来風に義経様を呼ぶことってできないの――」
「なんだ? 与一、弁慶。何を話し合っておるのだ?」
馬上の九郎が、与一と俺の会話に気が付いた。
与一がボッと顔を赤らめた。
「い、いやその義経様! こ、これは……」
「与一がさ、未来風にお前のことを呼びたいんだとさ」
「ちょっとコラ! 余計なこと言わないで――」
「未来風の呼び方? ふむ、少し興味があるな。許すぞ、与一」
「よ、義経さまっ!?」
ほらもう、許しが出たんだからさっさと決めちまうぞ。
「うーん。そうだな」
俺は顎に手を当てて九郎の全身を見渡した。
黒い髪に、切れ長の黒い目。小柄で無駄のない体つき。ついでに女性らしさもほぼ皆無。自分勝手で自由奔放だが、まあ……時たま可愛いと思ってしまうことも……無くはない。
自分で考えていて、思わず猫みたいだと苦笑する。
そういえば、学校ではクラスメイトの女子はお互いを名前の頭文字とちゃん付けで呼んでいることが多かった気がする。よし、それでいこう。
「んー。だったら、『くーちゃん』とかどうだ?」
俺が人差し指を立てると、与一と九郎が揃って「「くーちゃん?」」と首を傾げた。
「ああ。くーちゃんの『く』は九郎の『く』だ。それで『ちゃん』ってのは女子に付ける呼び方だな。これなら、お互いの秘密を知っている特別な仲で、尚且つ周囲にはバレない完璧な呼び名だと思うぞ? どうだ、九郎」
「うーむ。確かに、九郎と同じく響きは悪くない。それに、どこか丸い印象もあるな。よし、与一よ。おれのことを『くーちゃん』と呼ぶことを許可するぞ」
「ほ、ほんとですか!? や、やったー! ありがとうございます義経さま――ではなく、くーちゃん!」
与一が喜びで九郎の乗った馬の周りを飛び回る。
しかし、敬語で呼び方がくーちゃんってのは、かなり違和感があるな……。
でも、本人たちも喜んでいるし、今更言い直すのもややこしいし、このままにしておこう。
さて、用は済んだと思って再び平泉の門を眺めていると、俺の背中を何かが蹴った。
「いてっ。なんだよ九郎」
振り返ると、馬上の九郎がつま先を俺の背中に当てていた。
九郎は何故か俺から視線を逸らしたまま、でもたまにチラッと俺を見る。
「な、なあ弁慶。先の呼び方……お、女子の呼び方と言うのであれば、お前も――よ、呼んでみてもいいのだぞ?」
「え? やだよ恥ずかしい」
「なっ! お、お前もしかして、本当は恥ずかしい呼び名を付けたのではないだろうな!?」
「ばっかちげえよ! くーちゃんってのは同性同士の呼び方なんだよ! 男がそんな風に女子を呼ぶのは――こ、恋人くらいのもんなんだよ! それでも呼んでほしいのかよ!」
俺が言ってやると、今度こそ九郎の顔が真っ赤に火照った。
「こ、こいっ!? ――ば、馬鹿者! 主に向かってなんてことを言うのだ貴様! むむむっ」
「あ、あがががががががががががっ! す、脛えええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
激痛に悶え、転びまわりながらも、なんだか懐かしいやり取りだと思った。
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