第52話異説、富士川の戦い!

 次の瞬間。視界が暗転。暗闇のような夜へと切り替わる。

 目の前には、俺と同じ背丈の坊主頭と、見慣れた白髪チビの姿。それが写った瞬間。俺は反射的に薙刀を坊主頭に向けて振り下ろしていた。

「な――に?」

 坊主頭が――平清盛が、驚愕に目を見開いた。その時点で、もう遅い。

振り下ろした薙刀は、清盛の右肩を直撃。そのまま腕を切り落とした。

 死んだと思っていた人間に攻撃された清盛は、よろりと退歩する。

「なっ! き、清盛じいさま!」

 朱清が驚いて清盛の名を呼ぶ。俺は続けざまに、朱清にも斬りかかろうと腕を振り上げた。しかし、腕の関節が石のように固まっていて、上手く動かせなかった。そのまま前のめりに倒れる。

「べ、弁慶!」

 後ろから、九郎の声がした。それから足音がして、膝をついた俺の前に涙を流した九郎がやって来た。

 ほろほろと、涙を流し続ける甲冑姿の九郎。さて、なんて話しかけようか……。

「よ、よう。大丈夫か? 怪我、ないか?」

「この、大馬鹿者!」

 膝をつく俺に、九郎が急に抱き着いた。

「いっ、痛たたたたたたっ! きっ、傷が甲冑に押されてええええええぇええぇ!」

 九郎の抱擁は、ごつごつがしゃがしゃした甲冑のせいで全然嬉しくない。むしろ、全身の傷が甲冑に押されて響く。

「誰がここまでせよと言った! 誰がお前に死ねと命じた! 勝手なことをするでない!」

「……その言い草だと、俺はまだお前の郎党ってことでいいんだよな?」

 勝手にしろと言った九郎がそう言うのだ。俺はまだ、こいつの郎党でいいのだ。

 顔を上げた九郎は、今更自分の失言に気付いたのか、顔を真っ赤にして「うぬぬっ!」と唸った。そして、俺から顔を逸らして呟くように言った。

「す、好きにするがよい。だが、自分の非は詫びてもらうぞ」

「へいへい、分かったよ。……勝手なこと言って悪かった。お前のこと、俺は何にも考えてなかった。だから、訂正する。俺はお前の背中を、命を守る。お前のすることの手伝いをしてやる。それでいいか?」

 俺が言うと、九郎はそっぽを向いていた顔で俺を見上げて「ふっ」と笑った。

「なんだ、その言い方は。不器用なお前らしいな」

「うっせ」

 会話をそこで打ち切ると、俺と九郎はそれぞれ武器を構えて難敵に対峙する。

 俺が睨む清盛は、自らの腕から零れ落ちる塩を見つめながら嗤った。

「ふむ……我が腕を切り落とすか。僧兵、名は?」

「俺は、武田――いや」

 かつての自分の名を言おうとして、それを止めた。

「俺は……弁慶。源九郎義経が郎党――武蔵棒弁慶だあっ!」

 薙刀の切っ先を水平にして、清盛に向けながら俺は名を叫んだ。

 瞬間。背後でけたたましい音が鳴り、空の上をブルーインパルスよろしく水鳥が飛び立って行った。まるで、戦隊ヒーローが名乗りを上げて、背後が爆発するかのような演出だ。

 その様子を、清盛の隣に立っていた朱清がつまらなさそうに見ていた。

「また、お前か。またお前なのか、僧兵。いつもいつも、私の邪魔ばかりしおって。壇ノ浦の時もそうじゃった。お前は、いつも義経の傍におった。忌々しい、巨人が」

「うっせえ白髪チビ。てめえ、さっきは余計なこと言いやがって。九郎が頼朝に裏切られて死ぬだぁ? んなこと、させるわけねえだろうが。それで九郎に絶望を叩きつけたつもりかよ。んなこと、俺がさせねえ。お前がここにいるってことは、時代は変えられるってことだよな? だったら俺は、命を懸けて九郎を守る。平氏だろうが源氏の兄貴だろうが、こいつの命は、俺が絶対に守ってやる。だから、その前に――」

 俺は、四肢に力を込めた。

「――まずは朱清! てめえらをぶちのめしてやる!」

 裂帛と共に、俺は駆け出した。

 狙うは朱清。しかし、朱清の前に立ちはだかるように、巌のような体躯の清盛が躍り出た。

 清盛の背後で、朱清が叫ぶ。

「ふん! 馬鹿め! そう易々と討たれるわけがなかろう! 弓兵! 構えて一斉射!」

 朱清の号令と共に、その更に奥から弓を引き絞る音が、耳を掠める。もう一度矢の雨を打たれると、こちらはひとたまりもない。

 今から清盛の懐に飛び込めば、矢を回避できるか? いやそれも間に合うのか? とにかく、今は突っ込むしかない!

 矢が放たれる鋭い音が束となって耳を刺激する。一、二本は食らう、覚悟をしたが、その音の聞こえた方向に、俺は耳を疑った。

 矢の放たれる音は、自分の後方から聞こえたのだ。

 壁のように並んでいた骸骨武者たちが、次々と倒れ始めた。

「なにっ!」

 朱清の表情から余裕が消える。それを最後に、俺は眼前の敵へと視線を戻した。

 清盛と真っ向から対峙する。そして、走った勢いのまま薙刀を振り下ろす。

「ふんっ!」

「むんっ!」

 俺の薙刀と、清盛の両刃剣が激しくぶつかった。

 その時、俺の背後から野太い鬨の声が上がった。

「弁慶殿! お待たせ致した! 佐藤兄弟率いる騎馬隊八〇、援軍に駆けつけましてござる!」

 継信のよく通る声を聞いて、俺はニヤリと凶暴な笑みを清盛に向けた。

「どうだ、清盛? 今度の源氏は歯ごたえがあるだろ?」

「ふん。マレビトの小童風情が。貴様ごときが源氏を語るでない」

 鍔競合う剣を振りぬかれ、俺は後ずさりする。その隙を、清盛は見逃さなかった。

 奴は、その巨体からは信じられないほど軽快に飛び上がり、剣を俺目がけ振り下ろしてきた。

 しまった! 後悔した、その刹那。小さな影が、清盛の側面を突いた。

「むっ!?」清盛の視線が、そちらに向く。いや、視線だけじゃない。剣も、軌道を変えて側面からの不意打ちを受け止めた。

 空中で剣がぶつかる。清盛に不意打ちを仕掛けたそいつは、俺の隣に華麗に着地した。

「……まったく、主を置いて突っ走りおって。自分勝手なことをして手痛い目に遭ったばかりだというのに、反省の足りん奴だな」

 太刀を抜き放った九郎は、そう言いながらも微笑んでいた。

「安心せい、弁慶。お前がおれの背中を守るということは、お前の背もまた、おれが守るということだ」

「はっ。そうかよ。だったら、背中に傷が出来たら恨むぞ?」

「ふっ。望むところだ」

 俺と九郎は互いに笑みを交わしながら、清盛を見据える。以前のような恐怖心は、もうどこにもない。こいつの隣なら、俺は恐怖を克服できるみたいだ。

 俺は再び地を蹴って、清盛に向かう。九郎も、同じく隣で駆け出す。

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