第26話見参、佐藤継信
その日の晩、俺は九郎の誘いを断って馬小屋で寝ることにした。
馬小屋にいる馬のたてがみを撫でてから、俺は藁の上で寝転がった。
寝ようと思っても寝付けなかった。俺の脳裏には、今もあの歪に笑いながら頭を下げている与一の横顔がこびりついている。
そもそも、あの女は偶然会った九郎に一目惚れしたと言っていた。だが、俺たちの噂は――いや、九郎の放火魔としての噂は既にこの那須国に広まっているはずだ。放火魔チビ侍と、やけにデカい僧兵。この組み合わせをもし、平家の朱清達が既に掴んでいるとしたら……。
「一刻も早く、この那須国を出て白河の関を突破しねえと……」
俺たちは、袋の鼠になっちまう。
藁の枕に頭を預け、俺はただ天井を睨みつける。と、その時だった――
「――もしや、武蔵棒弁慶殿でござるか?」
闇に包まれた馬小屋の中に、俺以外の声が聞こえた。
「……っ! 誰だッ!」
俺は飛び起きて、薙刀を掴んで周囲を見渡した。だが、誰もいない。俺の隣で足を畳んで寝ている馬も、寝息を立てて闖入者に気付く気配もない。
変に気が立っていたせいで、幻聴でも聞いたのか? そう思い出した頃に、馬小屋の外から一人の覆面人間が現れた。
「その出で立ち。間違いなく弁慶殿でございますな?」
黒い覆面に額当てをしたそいつは、まるで忍者のような恰好をしていた。
「なんだ、お前。もしかして平家の忍者か?」
「忍者……? はて、そのような言葉は聞いたこともありませぬな。拙者は奥州藤原氏、秀衡様の郎党佐藤基治の子、継信でござる」
継信と名乗ったそいつは、腰に差した脇差を藁の上に置くと、俺の前にかしずいた。
「吉次殿から義経様失踪の件を聞いた秀衡様は、拙者に義経様と弁慶殿を探すよう言われました。そして、放火魔の噂を聞き、こうしてこの那須国までやって来た次第でござる」
噂を頼りに、か。となると、放火魔九郎の噂はもう誰でも知っているレベルにまで広まっているようだ。
「つか、吉次たちは今どこにいるんだよ」
「吉次殿は、既に白河の関を超えて奥州に入っております。そこでようやく、秀衡様と連絡が取り合えたようでござる」
なるほどな。平家の監視を逃れたからこそ、俺たちを探せるようになったわけか。
俺はようやく納得して、継信に向けた薙刀の切っ先を下した。
「……ようやく信用してくれたようでござるな」
藁のベッドに腰を下ろすと、その隣に黒ずくめの継信も腰を下ろした。
よく見ると、継信は小柄で身長は九郎より大きく与一より小さいほどだった。でも、この時代の男は身長が一六〇もあれば結構大柄と言われていたから、案外このくらいの背丈が平安時代の男の普通なのかもしれない。
薙刀を藁の上に置いた俺は、改めて継信と向き合う。
「まあな。一刻も早く、この那須国を出なくちゃいけねえ理由も出来たんでな」
「気付いておいででござったか。那須家が源氏を裏切っていることに……」
……どうやら、俺の勘は当たっていたらしい。
継信は馬小屋の奥にある長屋に視線を向けた。
「……那須家は、他の源氏の郎党と同じく、自身の領土安泰を条件に平氏に寝返った一族でござる。平氏の勢いが強い今、敗者である源家の御曹司を匿う理由など無い。むしろ――」
「――むしろ、とっ捕まえて平氏に送り付けて、報酬を貰うとか考えてるんだろうよ」
「そうでござる。人の世は移ろいゆくもの。今の世は、先代の恩より利害なのでござる」
継信は続ける。
「那須家の現当主は資高というご老体で、その資高には十一人の子がおります。その子のほとんどが平家に味方すると宣言しております。おそらく、この長屋に住む与一も……」
継信は、あえてそこで言葉を切った。
「とにかく、明日の夜には出発された方が良いでござるな。あまり急ぐと不審がられる。あまり遅いと手遅れになる。少なくとも、明日中には長屋の中の九郎殿に知らせ、ここを出るのが賢明かと存じまする」
そう言うと、継信はスッと立ち上がった。俺は立ち上がる継信を目で追った。
「あんたはどうするんだ?」
「拙者は、那須与一に気付かれぬようにお二人を見守っているでござる。何かあれば、必ずお助け致そう――むっ?」
何かに気が付いたのか、継信は不意に言葉を切った。
「どうした? 何かあった――」
「しっ! 何者かがやって来るでござる。拙者は身を隠す故――御免!」
継信はそう言うと、俺が瞬きした瞬間にその場から消えた。
……間違いない。あいつは後の忍者だ。
っと、そんなことはどうでもいい。俺は外に意識を向ける。すると、丁度長屋の扉が開いたところだった。
足音は一旦馬小屋の方に近づいたが、すぐに遠ざかっていった。
馬小屋から外の様子を覗いてみると、少し背の高い少女のポニーテールが、静かに右に左に揺れていた。背中には、大きな矢筒を背負っている。
「あれは……那須与一宗孝でござるな」
急に、俺の横から継信の声が聞こえた。俺は顔だけを継信に向けた。
「……っ!? ……継信、急に出てくるなよ。心臓が止まるかと思ったぞ」
「しかし、弁慶殿は声を出さなんだ。なかなかの胆力でござる」
継信はそう言って笑ったようだった。何せ、覆面のせいで目しか見えないから笑ったのかよく分からん。
「それはさておき。那須与一宗孝は一体何処へ向かうのでござろうか。しかも、こんな夜更けに……」
「確かに、さっきの話のせいかただ事ではない気がするな」
「尾行(つけ)ましょう、弁慶殿」継信が言った。
「それは構わないが、俺の図体じゃバレねえか?」
「それはお気になさらず。この山の中であれば、闇の中の弁慶殿は大木に見えましょう。それから、長屋にいる義経殿も呼びましょう」
「九郎を? 大丈夫なのかそれ?」
九郎が敵を見てじっとしている姿が想像できない。不安しかないのだが……。
「心配には及びませぬ弁慶殿。百聞は一見にしかずと申します。おそらく、義経殿は与一が那須家の間者だとは気付いておりませぬ。では、その様子を見てもらった方が、ことも運びやすいと思われるでござる」
継信はそう言うと、スッと馬小屋を出た。
「拙者は、先に那須与一宗孝を追うでござる。場所を特定出来次第、陰陽術で作った分身をここに遣わせまする。お二人は、その分身を追ってこちらへ向かってきてくださいませ」
そう言うと、継信は馬小屋を出て闇の中へと姿を消した。
「分身って……いよいよ忍者じゃねえか」
取り残された俺は、そう呟いた。
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