第55話今昔転生伝GENJI

 それから二時間ほど経った。俺たちは源氏軍が陣を置く黄瀬川の近くまで来た。周囲には大勢の騎馬武者や足軽が勝利を祝って酒を飲み合っている。

 ここへ向かう間に聞こえてきた話だが、どうやら平氏は戦わずして撤退したらしい。その話している連中ごとに「平家が水鳥の羽音に驚いて撤退した」とか「今年の凶作で兵糧を得られなかったため、士気が低下して離反者が続出した」とか言っているが、実際のところはどれも予想に過ぎないようだ。

 俺たちも頼朝に面会しようと思っていたのだが、九郎は一人で行くことを望んだ。俺は最後まで反対したが、九郎は「心配せずともよい! それともなんだ? おぬしはおれの父親か? うっとうしいぞ!」とまで言われてしまった。

 思春期の娘を持つ父親の気持ちが、少し分かったような気がして落ち込んだのは内緒だ。

 っと、そういえば九郎に義朝からの伝言を伝えていなかったな。また今度、話しておこう。

 そんなことを考えながら、俺は細い黄瀬川沿いに生えた気に背中を預けて腕を組んでいた。周囲は武士たちの戦勝祝いでお祭り騒ぎだ。騒がしいのは、あまり得意ではない。

「あらあら~? そこにいるのは、兄弟の感動の再会に水を差そうとした武蔵坊弁慶殿ではないかしら~? そんな影の隅っこの方で何してるのよ~?」

 俺の肩を背伸びして叩いているのは、顔を真っ赤にした与一だった。

 顔は赤いし、右手には徳利を持っている。

 俺は、与一の顔を見て鼻を摘まんだ。

「うわっ、くっせえ。酒臭せえぞ与一。酔っ払いが絡んでくるんじゃねえ」

「えーっ! 弁ちゃんひっどーい! 私のような美人が絡んでやってるのに臭いとは何よ臭いとは! 私の色香、もっと嗅ぎなさいよー! 今なら胸で顔を挟んでやってもいいわよー?」

「やだよどうせ酒の臭いしかしねえだろ!」

 完全に酔っぱらってやがるな畜生! いつもの倍めんどくせえ!

 俺に抱き着いて来ようとする与一を引っぺがして、俺は改めて木にもたれる。

 与一は「ああん。弁ちゃんの意地悪ぅ~」などと、俺のことをくっそ気持ち悪いあだ名で呼びつつ、隣の木を背にしてもたれた。

 こいつ、素面でも酔っていてもめんどくせえ女だ。

 そんな俺の抗議の視線なんて気にもせずに、与一は酒を徳利から直に煽る。

「……あの、朱清って平家の小娘の話。本当なの?」

 徳利から口を放した与一が、細めた目をこちらに向けて訊いてくる。

 急に、背後の賑わいが遠い場所の出来事のように感じられた。

「……ああ。本当だ。九郎は死ぬ。兄、頼朝に裏切られてな」

「ふーん。だから、あんたってばあんなに焦ってたわけね。なるほど合点がいったわ」

「んだよ。俺のしたこと、まだ笑うつもりか?」

「そりゃもちろん。おばあさんになっても話のネタにするわ」

「ひでえ女だ。やっぱりお前は嫌いだ」

「あら? そこは気が合うじゃない。私もあんたが嫌いよ」

 与一はそう言って笑うと、徳利の中の酒をちゃぽちゃぽと揺らした。

「くーちゃんはね、最初に朱清から自分の結末を聞いたとき……笑っていたの」

「……笑ってた?」

「うん。 そして、小声でこう言ったわ『では、ここが死に場所ではないということか』って。そしたら、その直後にあんたが草むらから飛び出してきた。朱清の言葉から、あんたの登場を見越したってことね」

もしかしたら、あいつが持つ源氏の御珠が教えてくれたのかもしれねえな。

 俺は与一に言うことなく、自分の腕をじっと見つめた。

 与一はなおも続ける。

「くーちゃんは、とっても刹那的な人ね。幸せな生き様なんて言っていたけど、それは死ぬ前に振り返って初めて思えることでしょうに」

「あいつのことだ。そんな深くは考えてねえよ。あれだって、きっと強がってただけだろうよ。俺たちに心配かけまいと、案じてくれていただけだ。俺には分かる」

 それだけ、あいつは俺たちが好きなのだろう。俺や、与一や継信が悲しむところを見たくないのだろう。

 これから、あいつはそうやってどんどん背負い込んでいく。人の命や多くの人々の期待を背中に背負い込んで、あいつは前を向いていく。そして、いつかその期待が妬みや嫉妬に変化し、やがて押しつぶされてしまうだろう。

 それを助けてやれるのは、俺たち義経郎党だけだ。

「つまるところ、俺たちはこれからも九郎を支えてやらなくちゃいけねえってことだ」

「……そうね。くーちゃんってば、前にも言ったけど危なっかしくて放っておけないもの」

 再びお互いの意見が一致して、俺と与一は苦笑した。

 お互い嫌いな者同士だが、肝心な時は意見が合うようだ。


「おーい! 二人とも、そんな影におらずにこちらへ来たらどうだー!」


 声がしたので振り返ると、そこには満面の笑みの九郎がぶんぶんと手を振っていた。

 死線を潜り抜けた直後だというのに、なんとも緊張感も疲労感も感じさせない奴だ。

 きっと、兄との再会が余程嬉しかったのだろう。

 俺は、木から背中を離した。

「さて。我らが主様がお呼びだ。さっさと行くぞ、与一」

「そうね。仕方ないわね。ほんと、くーちゃんってば本当に――」


「――放っておけねえな」

「――放っておけないわね」


 俺たちは九郎の下へ歩き出す。

 これからきっと、想像もできないような苦難が待っていることだろう。だが、それでも構わないと思える。

 こいつと……九郎といれば、これからもきっと楽しい。

 それだけで、今の俺は満足だった。


                        ――――了――――

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