第27話那須家会議
「分身って……いよいよ忍者じゃねえか」
取り残された俺は、そう呟いた。
しかし、ゆっくりしている暇はない。俺も急いで馬小屋を出ると、周囲に人の気配がないのを確認して長屋の扉を開いた。
長屋の中で、二組の布団が敷いてあった。上段の方には九郎が静かに寝息を立てている。一方、床に敷かれた布団はもぬけの殻だ。
俺は靴を脱いで長屋に上がると、寝ている九郎を布団の上から揺さぶった。
「……おい、九郎。起きろって」
俺が揺さぶると、長い髪を解いた九郎が薄目を開けて、にへらと笑った。
「……んむぅ。なんだべんけー? わたしのひざまくらが恋しくなったのかー? むっふっふ、仕方のないやつだなあ。可愛い奴め」
「何寝ぼけてんだ馬鹿九郎。しかも、それって俺が膝枕をする方だろうが」
そう言いながら、俺は布団を引っぺがした。
「ああん、何をする弁慶。寒いではないかああぁぁ。お、おふとんー」
「だから寝ぼけてないで起きろって! 与一が裏切ってるかもしれないんだぞ!?」
俺が鬼気迫る表情で言うと、ようやく九郎も表情を引き締めて体を起こした。
「……裏切る? どういうことだ?」
「だから、そのまんまの意味だ。那須家は平家方に寝返ってる。その息子の与一も黒の可能性が高い。その懸念の通り、こんな夜更けに与一は出かけて行った」
「……便所ではないのか?」
「弓を持って、矢筒を背負った与一が便所に行くとは思えないがな」
「そうか。しかし、お前一人で気が付いたのか? お主にしては出来すぎておる。あまりにも弁慶が有能すぎる。明日は大雪かもしれんな」
「おい、それは普段の俺が無能だって言いたいのか?」
眉間に皺を寄せて九郎を睨む。そんな俺を、九郎は長い髪を縛りながら横目で見た。
「ふん。わたしに感謝したことないと言ったお返しだ。それより、本当のところはどうなのだ? 弁慶」
存外、九郎の直感も馬鹿にはできないな。
「ああ。実は、奥州武士の佐藤継信って奴が俺に会いに来た。今、その継信が与一の後を追ってる。何か分かり次第、戻ってくるってよ」
「実はもう戻っているでござる」
「うおっ!?」
背後から声を掛けられて、俺は思わず仰け反った。
振り返ってみると、そこには頭のてっぺんから足の先まで全身黒ずくめの継信が立っていた。
俺の情けない声を聞いて、九郎が布団に手をついて笑っていた。
「てめ、このクソ九郎! 気付いていやがったな?」
「あっはっは。いやあ、すまんすまん。継信が忍び足で弁慶に近づくものだから、ついな」
「なにが『つい』だ。てめえ後で覚えてろよ」
ぐぬぬと睨んでやるが、九郎はすぐに真剣な表情に戻った。
「佐藤継信とやら。与一は何処に行った?」
「はっ。この先の山の麓でござる。そこに、小さな池があるでござる。那須与一宗孝はそこに向かいました。拙者に付いてきてくだされ」
継信はそう告げると、足音を殺しながら長屋を出た。
俺は薙刀を、九郎は太刀を持ってその後を追う。
今日は雲が多く、月は中々姿を現さない。そのせいか、周囲の暗がりはまさに闇色というにふさわしい。正直言って、何も見えない。
それが道を逸れて山道になると、もう一寸先も見えない。
十分ほど獣道を歩いただろうか。木々の向こうに、松明の淡い光が見えた。
「あれでござる。那須与一宗孝は、他の那須家の息子とみられる武者数人と密会を行っているようでござる」
継信が静かに言って、松明の灯りを指さす。
俺たちは、松明から一番近くの草むらに姿を潜ませる。
小さな池を背後に設置された松明の周囲には、パリっとした綺麗な着物の男が三人と、武装した武者が四人。そして、弓と矢筒を持った与一がその集団と向き合っていた。俺たちは、草むらの影から、向き合う与一とその連中を見ている。
「与一。冠者の様子はどうだ?」
水色の着物を着た男が、腕を組んで与一に問う。
冠者……というのは、おそらく俺の隣で聞き耳を立てている九郎のことだろう。
与一は表情を崩すことなく口を開く。
「……今は休まれております、光隆兄様」
あの水色は、光隆という与一の兄らしい。
「では、与一。あの冠者が義朝の息子であるという確証は取れたのか?」
光隆の隣に立ち、鋭い目つきで与一を睨みつけるオレンジ色の着物を着た男が言う。
与一は沈黙する。何故黙っているのだろう。素直に言えばいいのに。
そう思っていた時。一瞬だけ、与一がこちらを見たような気がした。
「――いいえ。それはまだです、泰隆兄様」
気のせいか。一瞬、与一が俺たちが見ていることを確認したような気がした。
泰隆と呼ばれた男は、嘆息した。
「はあ。それはまあよい。どのみち、ちびガキみたいな冠者と巨像みたいな僧兵が源家の人間であるという噂は、平家からも真であると手紙が来ている。奴らで間違いないだろう」
やっぱりバレてたか……。
(こりゃ、今すぐにでも逃げた方がいいんじゃないか?)
小声で、隣にいる九郎に囁く。しかし、九郎は首を横に振った。
(まて。わたしは、どうしても与一の真意が知りたい。見たところ、与一は兄に嘘をついている。わたしの郎党になったからだろう。逃げるのは、与一の本音を聞いてからだ)
と、あくまでもここに留まる気でいる。
……癪だが、ここは大人しく従っておこう。今ここで言い争っても、その声で見つかってしまえば元も子もない。
俺と九郎は、再び那須家の家族会議に耳を傾ける。
光隆が、組んでいた腕を解いた。
「与一……もしやお前、あの冠者に肩入れしていないか?」
与一の表情が、一瞬だけ能面のように固まったように見えた。
「……なんのことでしょうか。わたしはただ、確証が得られるまで無益な殺生はしたくないだけでございます」
「果たしてそうかな? では、これより試練をお前に告げてやろう」
「試練、でございましょうか?」
「ああ。これよりお前の家に行く。そこで与一。お前はその冠者の喉元に刃を突き立てよ」
与一は何も言わない。ただ、その横顔は松明の炎に当てられ、怒っているようにも見えた
「……それは、私がやらねばならぬのでしょうか?」
「当然だ。お前が那須家に忠誠を誓っているかどうか、それを確かめてやる」
光隆が、意地の悪そうな笑みを浮かべた。
その隣で、泰隆も同じく邪悪な笑みを浮かべて言った。
「言っておくが与一。お前が妙な真似をしたら、俺たちは容赦なくお前を殺すぞ? お前は元々那須家の余り一――余一なんだからよぉ」
泰隆が与一に顔を近づけて言う。与一は目と鼻の先にまで顔を近づけられながらも、無表情を貫いていた。
(なるほど那須家の十一男――余り一で余一か。それが嫌で、与一は名を改めていたのか)
九郎が真剣な眼差しで与一を見つめる。それに気が付かない与一は、ただ無言で二人の兄の前に立っている。
「おい。早く決めろよ余一。でねえと、今ここでお前を殺すことになる」
泰隆が言うと、配下の武者たちが一斉に太刀を抜き放ち、切っ先を与一に向けた。
それでも、与一は口を開こうとしない。どちらにつくか、迷っているようだ。
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