第22話 狩りと喧嘩

 翌日。俺は馬糞の香ばしい臭いで目が覚めた。

「く、臭えぇぇ……」

 誰だよ? こんなクッサイところが天国だなんて言った奴は。頭おかしいんじゃねえ?

 と、頭の中でコントを繰り広げながら、俺は藁の布団から起き上がった。

 すると、丁度向こうの長屋から二人の少女が馬小屋にやって来た。

「おっ、弁慶。昨夜はよく眠れたか?」

 綺麗な紺の笹柄の着物を着た九郎が、愛人のように与一を腕に巻いてやって来た。

 俺は、いつの間にか体の汚れも落としてピッカピカになってる九郎を睨んでやった。

「ケッ。ああ、お陰様でな。夜中の藁はチクチクして首元に刺さるし、朝は馬糞でモーニングコールだ。お蔭でスッキリした目覚めだったよ最高だ」

「モー、ニン? まあ、よく眠れたのならそれでいい」

 ああっ! 九郎には嫌味が通じない!

「そんなことより、九郎様。本当にこの巨人タコ坊主も連れて行くんですか?」

 俺のことを巨人タコ坊主という新しい呼び名で呼んでくれやがったのは、今もなお九郎の腕に蛇のごとく腕を巻き付けている与一だった。

「ああ。弁慶はおれの郎党。一人にすると寂しがるからな」

「俺は犬か!」

「なるほど犬でございますか! なら、丁度いい。もし、矢を外してしまったらこの巨人タコ犬坊主に取に行かせましょう」

「おいおい! どんどんあだ名が複雑怪奇になってるぞ! ってか、何だよ矢を外すって」

 俺が首を捻って問いかけると、九郎は馬の眉間を撫でながら口を開いた。

「ああ。これから与一の狩りを手伝うのだ。家に泊めてもらった礼もしたいしな」

 なるほど。そういう事か。

 俺は納得しつつ、九郎の隣で腕を組んでこちらを睨んでくる女を見た。

 与一は、誰がどう見ても俺が付いてくることを快く思っていない。猫のような瞳も今は鋭く三白眼で、足はトントントンと苛立たしげに地面をリズムよく叩いている。

 一泊の礼がしたいのなら、俺が行くべきではないな。

「そっか。んじゃま、頑張ってこいよ。俺はお邪魔みたいだし」

「ねっ、九郎様! あのタコ坊主もそう言ってることですし、ここは二人で一緒に逢瀬――ではなく、共に狩りに勤しみましょう!」

 一度口を開くと止まんねえな、この茶髪弓女は。

 俺がひらひらと力なく手を振ると、九郎はそんな俺の態度が気に入らないのか、ムッと頬を膨らませた。

「なんだその態度は。お前は、自分は休んで一泊の礼を主にさせようというのか?」

「だって、俺家に泊めてもらってねえぞ? 礼をするなら馬に礼をするっての」

「むむむっ。ああ言えばこう言いおって! 大体、何故お前はおれの言う事を聞かぬ? お前は、そんなにおれといるのが嫌なのか!? おれのこと……嫌いなのか!?」

 急に、九郎が少し寂しそうに眉を曲げた。

 おい。何故か話が変な方向にズレだしたぞ?

「ちょっ! なんでそうなるんだよ! まあ、確かに苛立つことばっかりで、お前に感謝したことなんて昨晩がほとんど初めてだった気もするが……」

「なっ……! 分かった! もういい! 弁慶なんぞ知らん! この馬小屋で藁でも食んでおるがよい! 行くぞ! 与一!」

 顔を真っ赤にした九郎は、くるっと踵を返した。長いポニーテールがくるりと翻る。

九郎は、ずんずんと大股で馬小屋を出て行った。

「あっ、九郎様待ってー!」

 与一も背中に背負った大弓を持って九郎の後を追う。

 二人の少女の黒と茶のポニーテールが馬小屋から見えなくなった後、俺は再び藁を敷いた特製ベッドに寝転がった。

 なんだよ。気に食わねえなら、いつもみたいに念じて無理矢理連れて行けばいいだろ。

 板張りの天井を見つめるのを止めて、俺は二度寝をしようと寝返りを打つ。

 だが、眠気はいつまで経ってもやって来ない。

 何度目を瞑っても、さっきの九郎の怒った顔が、何故か脳裏から離れない。

 ただ、いたずらに時間だけが過ぎていく。

「ああもう! めんどくせえなぁ!」

 俺の大声のせいで、隣でモシャモシャ口を動かせていた馬がビクッと震えた。

 俺はごろんと腹筋の力だけで起き上がる。

「イライラして寝れやしねえ。ちょっと運動でもするか」

 僧兵の恰好を脱いで、久々に『弁慶』Tシャツに袖を通す。うん。やっぱりこっちの方が動きやすいし、運動にも適している。

 馬小屋で準備運動がてら何度か飛び跳ねてみると、俺は鏡の宿からずっと持っている薙刀を手にして馬小屋を出た。

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