第4話牛若、女説

 牛若は、そう宣言するなり笛を投げ捨て、腰から太刀を抜いた。

 もし、俺がただの高校生なら、声を上げて腰を抜かすだろう。だが、俺は声を上げない。

 確かに、真剣とのやり合いは初めてで、しかも相手は人を殺したことがあるだろう古代人だ。もしかすると、俺も何かの手違いで命を落とすかもしれない。

 だが、キラリと月夜に煌いた太刀を見て、俺は胸を高鳴らせた。強い奴と戦える。それだけで、俺は恐怖や緊張とは無縁の人間になった。

 やっぱり、俺に令和の時代は似合わなかったんだ。高鳴る鼓動が、そう確信させる。

「いいねえ。来いよ。相手してやる」

 長さ一七〇センチの棒を水平に構え、俺は牛若と対する。

俺と牛若の間に桜吹雪が舞い散る。互いの間に、静寂が下りた。

瞬間。カッと目を見開いた牛若は、強く俺を睨みつけたまま、凄まじい速さで俺との距離を詰めると、飛び上がって太刀を振り上げた。

「やぁッ!」

 両手で太刀を振り上げた牛若。その腹に向けて、俺は容赦なく棒で突きを放つ。

 元々棒術は、戦場で刀を持った武士を相手に想定した型がほとんどだ。その戦い方は、相手を近づけさせないという一点に尽きる。

 リーチと手数で、帯刀者を圧倒する。そんな棒術の刀に対するアドバンテージが、俺に確かな勝機と冷静さを与えてくれていた。

 だが――

「しっ!」

 牛若は俺の突きを空中でひらりと躱すと、舞台の欄干に飛び移り、再び飛び上がって太刀を振り下ろしてきた。

「なんっ――この!」

 振り下ろされる太刀の一撃。その太刀の横っ腹に、棒の薙ぎ払いをぶつける。普通なら、それだけで態勢を崩されて、相手は地面に落ちるのが当然だ。しかし、牛若は空中で一回転すると、再び欄干に着地。そして、今度はその欄干を蹴って本殿の柱へ飛び移り、飛び移ったその柱を蹴って再び攻撃を仕掛けてくる。

 なんだこいつ! 動きが読めねえ!

「なんだよお前! モモンガかムササビか! お前のがよっぽど物の怪だ!」

「ふんっ! 巨像のようなお前につべこべ言われたくないな!」

 棒と太刀が、清水の舞台で更に数度ぶつかり合う。俺は太刀に対して木製の棒を使っている。あまり戦いを長引かせると、いつか棒が刀によって折られてしまう。

 それを防ぐには、無駄な打ち合いを避け、一撃で相手を倒すしかねえ。

「仕方ねえ。悪いが、落とさせてもらうぞ!」

 俺は宣言すると、月を背に再び飛び上がった牛若の太刀を横薙ぎで払った。

 一瞬だけ、牛若丸が無防備にその腹を曝け出す。しかし、俺が狙うのは腹ではなく――

 ――牛若の着物の衿だ。

「なにっ!?」

 牛若が瞠目する。それを無視して俺は衿に棒をひっかけ、力任せに地面にたたき落とした。

「うわああっ!? ――あいたっ!」

 牛若が体勢を崩して橋に倒れた。俺はすぐさま、倒れた牛若の手から太刀を弾き飛ばし、棒の先を奴の喉元へ向け――

「勝負あった、って……」

 ――言葉を失った。

 着物の衿を思い切り引っ張ったせいで、牛若の白い首筋から胸までが露わになっている。

 牛若は胸にサラシを巻いていたようだが、衝撃でサラシが緩んでしまっていた。そして、肝心なのは、そのサラシの下の胸が、僅かに膨らんでいることだった。

 ――正直に言おう。生まれて初めて女の子の胸を見た。しかも、めちゃくちゃ綺麗だ。

「い、たた……。お、お前なんて――こ、と……」

 顔を上げた牛若が、自分の胸を見てから、それを凝視する俺を見上げた。くりんとした黒い瞳に、ぐるぐると混乱の渦巻きが浮かんだように見えた。

「お、おおおおおお前っ! み、見てしまったな! わたしの胸を!」

 顔を真っ赤にした牛若が、左手で胸を隠しながら俺を指さした。

「い、いや! 全然!? 全っ然見てないぞ!? ってか、俺が好きなのは巨乳だからな!」

「おっ、お前! わたしの胸が貧相だと知っておるではないか! こ、殺してやる! 今すぐこの棒をどけろ!」

「嫌に決まってんだろ! 離したらお前、俺を殺すだろうが!」

「当たり前だ! 早くっ――このっ、棒を退け――」

 ――シャラン。――シャラン。

 突如、清水の舞台に鈴の音が木霊した。

「ん? なん――うおっ!?」

 俺が鈴の音に気を取られている隙に、牛若が喉に突き付けられていた棒を払い、太刀を拾って立ち上がった。その際に、着物の衿もサッと直す。

 そして、何を思ったか牛若は俺の背後に回り、鈴の音のする本殿の暗闇を睨んだ。

「ちっ……! まさか、こんなに早く『カムロ』が嗅ぎ付けてくるとは……」

 牛若が、苦虫を噛み潰したような顔で呻く。

「な、何だよ『カムロ』って」

「『カムロ』も知らんのか。もしかして、お前本当に未来から来たのか? それとも痴呆の病にでも罹っているのか?」

 背中を合わせながら互いの顔を見ていると、牛若がとんでもないことを言いやがった。

「だから、何度も未来から来たって言ってるだろうが! お前本、とう……に――」

 牛若の言葉に呆れて正面に向き直った直後。俺は、固まった。

 手を上げなくても触れられそうな程の至近距離に、おかっぱ頭の女の子が立って、じっと俺を見上げていたのだ。

「う、うわああああああああっ!?」

 あまりにも唐突な女の子の出現に、俺はお化け屋敷で幽霊に出会ったかのような素っ頓狂な悲鳴を上げて仰け反った。

 当然、背中を合わせていた牛若も巻き込んで床に倒れる。

「ぎゃああああっ――あいたっ! お、お前なんのつもりだ! お、重いぃぃぃぃぃ!」

「だ、だって、ほら! 目の前におおおおお女の子がっ! 急にっ! 現れて!」

「そ、それが『カムロ』だ馬鹿者! 平家の回し者の童女達だ! 真っ赤な直垂(ひたたれ)を着ているのなら間違いない!」

 背中で押し潰している牛若に言われ、俺はバッと起き上がって童女を見た。

 何故か先ほど見た時より人数が十人ほど増えているが、みんな八歳から十歳くらいの女の子で、赤い着物? に身を包んでいる。もしかすると、これが直垂なのか?

「なるほどな。幽霊じゃなけりゃあ怖くない。おらっ、平家だかなんだか知らねえが、俺を倒すつもりなら、屈強なおっさんを十人ほど連れてくるんだな!」

「痛たた……お前、わたしを押し潰しておいて詫びの一つも無しとはいい度胸だ!」

 後ろで牛若が何か叫んでいるが、今は無視だ。目の前に敵がいる。

 童女たち――いいや、カムロは手に持った鈴をシャン、シャンと鳴らした。

「――平家にあらずんば人にあらず」

 有名な、平氏の驕りを表すセリフだ。それくらいなら、馬鹿な俺でも分かる。

「――あなたは人? それとも――」

「――いや、そいつらは人ではない。源氏の狗どもめ……」

 目の前のカムロではない何者かが、そう断言した。

 声のした方へ視線を向ける。それは背後、つまり牛若の向いている方向だ。

「ようやく見つけたぞ、源氏の穢れた血を持つ輩」

 暗い本殿の中から姿を現したのは、白髪をショートカットにした小柄な少女だった。

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