第47話鎌倉殿の知らせ、来る
九郎の部屋は、畳を敷いた一番上等な部屋で、館の一番奥にある。俺は廊下を進んで障子を開け放った。
「九郎!」
「ひゃいっ!?」
部屋を開けると、九郎は俺に背を向けてさらしを巻いていた。
俺は勢いよく開けた扉を改めて閉めなおした。
「す、すまん!」
「……ばか。少し待ってろ」
九郎はボソッと呟くように言うと、急いで着物を着ているようだった。
やがて「入れ」と障子の向こうから声が聞こえたので、部屋に入る。
上座に座った九郎は、少し顔を赤らめたまま胡坐をかいていた。
「……で、主の着替えを覗きにきたのか? お前は」
眉間に皺を寄せて話す九郎の頬は、まだほんのり赤い。
「ち、ちげえよ。お前に大事な話があって来たんだ」
「ふむ。それは、この一週間お前が塞ぎ込んでいた理由と関係あるのか?」
「あ、ああ。まあ、な」
「では、せっかくだしわたしが当ててやろう。……未来へ帰る算段が付いたのか?」
――ああ、そういえば、そんなこともあったな。
九郎のことで頭がいっぱいですっかり忘れていた。
「俺がここに来た理由は別なんだが、そっちも進展があったな。何でも弁心の知り合いに時渡りに関する陰陽術を扱う坊さんがいるそうだ。明日には、ここに着くようになってる」
俺がそう説明すると、九郎がどこか、しゅんと気を落とした。
「そ、そうか。それは良かったではないか。祝福する」
「いや、でも……俺は別に帰るつもりは――」
「や、やめろ離せ! 拙者は怪しいものじゃない!」
突如、襖の向こうから男の叫び声がした。聞きなれない野太い声だ。
「……っ! 何奴だ!」
九郎は傍に置いていた太刀を持って飛び上がると、襖をバッと開け放った。
襖の向こうは廊下を挟んで庭になっている。俺が暇な時にカットしていた松の木の傍に、継信に押さえられて地面に顔をくっ付けている男がいた。
そんな男を見下ろして、九郎が継信に訊く。
「継信。どうしたその男は?」
「はい。この男、太刀を差して周囲を探っておりました。もしかすると、平家に組するものかと思いまして、取り押さえました」
真っ黒づくめの継信は九郎に報告しつつ、男の右腕の関節をぎりぎりと締め上げる。
「あ、あだだだだっ! だから違うと申しておる! 拙者は鎌倉殿――もとい、源頼朝様の郎党でござる! 此度は、頼朝様の弟様である九郎義経殿に頼朝様挙兵の旨を知らせに参った次第でござる!」
瞬間。九郎の表情が引き締まった。
「何っ! 兄上が挙兵だと!?」
「はっ。頼朝様は現在関東を平定し鎌倉へ入られました。しかし、この動きを察知した平維盛軍が都を出陣。おそらく、富士辺りで源平がぶつかるものと思われます!」
切羽詰まった頼朝の郎党の言葉に、九郎はより一層表情を引き締める。
「……ついに、始まるのだな。源家再興の一戦が」
九郎はそう呟くと踵を返す。
「となれば、我らもすぐさま兄上に合流する。支度をせよ、皆の者――」
「いかせねえよ」
屋敷に戻ろうとする九郎を、俺は彼女の目の前に立ちはだかることで止めた。
俺と九郎。五〇センチ近い身長差の人間の視線が、空中でぶつかり合う。
「……弁慶。あえて訊こう。何故止める?」
九郎の視線に動揺は見えない。ただ真っすぐ、俺を見上げている。
俺は、決心して口を開く。
「……悪いことは言わない。奥州で大人しくしてろ」
「何故だ弁慶。理由を聞かせろ」
「理由は……」
お前に傷ついてほしくないからだ。お前に死んでほしくないからだ。
そう言っても、九郎義経はきっと聞かない。武士は死ぬものだ。武士は戦うものだ。きっとそういうに違いない。
だから俺は、言い聞かせる相手を変える。
「俺は、お前に……牛若に死んでほしくないんだ。お前には、苦しむことも、悲しむこともしてほしくない。お前には、幸せになってほしいんだ」
もう、源氏の呪縛に無理をする九郎を見たくない。無理をして、傷つきながら笑うその笑顔を、俺は二度と見たくない。
源家の御曹司である九郎義経ではなく、ただの少女である牛若に俺は告げた。
俺の言葉に、九郎は視線を落とした。もしかすると、何か心に響いたものがあるのかもしれない。
「……馬鹿ね。ほんと、大馬鹿」
気が付くと、庭の木陰に立っていた与一が、腫物を見るかのような視線を俺に向けていた。
その意味が分からないまま、俺は九郎に視線を戻す。
九郎は、視線を落としたまま呟いた。
「そうか。わたしは……勘違いをしていたのかもしれないな」
「……よかった。分かってくれた――うぐっ!?」
瞬間。脛に、今までに感じたこともないような激痛が走った。
思わず、膝をついてその場に蹲ってしまう。
全身から嫌な汗が噴き出す。痛みで思考が食いつぶされていく。
「がっ、九郎……てめっ――何を――」
息をすることもできず、残った酸素を吐き出して辛うじて言葉を紡ぐ。
「わたしは――いや、俺は勘違いしておった。お前なら、おれの気持ちを理解してくれると」
九郎が、跪く俺の前に一歩出る。俺は苦しくて、顔すら上げられない。
「……未来から来たという話、正直半信半疑であったが、今ようやく理解した。やはりお前は余所者だ。思考の違う人種だ。おれの気持ちなぞ、微塵も理解できていなかったのだな」
九郎の言葉に、怒りの先触れが迸る。
九郎が屈んだ。俺と視線が合う。
その表情は、怒りと悲しみに満ちていた。
「結局、お前は自分のことしか考えておらぬのだ。だから、そんなことを口にする。おれの幸せだと? 勘違いするな弁慶。それは、お前の願望でしかない。それはお前の、未来人としてのお前の、ただの都合の良い妄想でしかない!」
九郎はものすごい形相のまま続ける。
脛の痛みが、九郎の叫びとともにどんどん鋭く、強くなっていく。
「お前と出会うまで、おれには生きる理由がなかった。ただ言われるがままに、時折現れる鬼一に兵法を習い、剣術を習い、普段は独りで過ごした。寺の連中からも気味悪がられて育った。おれには何もなかった! だが、おれはお前と出会った。そして使命も得た。仲間も出来た! おれは、お前が変えてくれたと思った。お前が、おれを変えてくれたと! これからも一緒にいたいと思った! だが、先ほどの一言で分かった。おれとお前は、きっと分かり合えぬのだと」
九郎の瞳に、うっすらと涙が溜まる。
「……お前の自己満足におれを巻き込むな。もうお前は郎党でも何でもない。未来でもどこへでも帰るがいい。……二度と、その顔を見せるな。馬鹿者」
その言葉を最後に、九郎の声が聞こえなくなり、視界がぼやけて意識が――途絶えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます