第25話源三位頼政
しし鍋を食い終わった後、九郎は水を一口飲んで与一に向き直った。
「さて。嫁というのは冗談だが、与一よ。そなた、おれの配下にならぬか?」
先ほどまでの子供のような表情とは違い、九郎は切れ長の瞳で与一を見つめた。
「お主の弓の腕、間違いなく日ノ本随一である。その腕があれば、平家武士など一矢で三人は貫くだろう。どうだ? 与一」
ずいっと乗り出す九郎に、しかし与一は冷静に見つめ返していた。
「お気持ちは、うれしゅうございます。しかし、九郎様。私は九郎様がどのような血筋の方か存じませぬ。急に仕えろと言われましても困ります」
それは嫁でも同じじゃねえのかよ。と思ったが、この際それは無視だ。
九郎は少しだけ口を閉じて思案した。おそらく、名乗るかどうかを考えているのだろう。
今まで、源の名を聞いて家臣になろうと言った者はいない。それほどまでに、平家と敵対するのを坂東武者は恐れているのだろう。平治の乱で目の当たりにした平家の強さは、今も坂東武者を歯牙無き負け犬にしてしまっている。
九郎は与一を見た。真っすぐ自分を見つめ返す与一に、九郎はゆっくりと口を開いた。
「……おれは、先の源氏の棟梁、源義朝が息子――九郎義経だ。那須与一宗孝よ。どうか、おれのために――源家復興のために、その弓を使ってくれはせぬか?」
九郎の告白に、与一は瞠目した。
「……九郎様が、あの源氏の――」
与一はそう呟くと、家の壁に立て掛けられた大きな弓を見つめた。
彼女が操る巨大な弓。平家の骸骨武者が使っていたものより、更に二回りは大きい。長年使われてきたのか、木製の弓はところどころ表面が掠れたり黒ずんでいた。
正直、このボロ弓があの扇を射る弓とは俺には思えない。
「ん? その弓がどうかしたのか?」
九郎が与一の視線に気が付いて口を開いた。
与一は九郎の言葉に「……はい」と頷いた。
「この弓は、源氏所縁の弓でございます」
「……源氏所縁の?」
「はい。九郎様は、源頼政という方をご存知ですか?」
みなもとのよりまさ? 俺が首を捻ると、九郎は露骨に嫌そうな顔をした。
「……ああ。平治の乱の際、源家を裏切って平家に付いた老人だ。本人は源家を残すための策と言っているようだが、奴は清盛入道の信頼を得て、従三位まで登りつめたらしい。平氏の政権下で公卿になるとは何事だ……」
「なあ、九郎。『くぎょう』ってなんだ?」
全く分からないので九郎に尋ねてみる。すると、九郎は嘆息した。
「はあ。いいか弁慶? 公卿とは高官で、国政を担う役職のことだ。つまり、頼政は平氏政権の幹部ということになる」
なるほど。だから九郎は頼政に対して辛辣なのか。
俺が納得していると、与一が辛抱堪らんといった様子で立ち上がった。
「頼政様はそんな方ではありません! あの方は、平家政権の中から源家を復興されようとしているのです! この弓は、その証です!」
立ち上がった与一は立て掛けていた弓を持つと、それを九郎の前に突き出した。
「これは、私が頼政様から頂いた『源三位頼政の弓』でございます。この弓は、かつて都に現れた鵺を討ち滅ぼしたと言われる弓です!」
「鵺? 嘘くせえな。鵺なんているわけ――」
――スコンッ! と、俺の鼻先を矢が掠め、奥の壁に突き刺さった。
……口を挟むのはやめておこうそうしよう。
与一は、俺に矢を放ったことなんて忘れて続ける。
「頼政様は、その時私に仰いました! 『もし、自分が平家の中から源家を復興出来なかった時、お前はその弓を使って源家の御曹司の下に馳せ参じよ』と! 故に、私は九郎様が源家の御曹司と聞いて大変驚きました。頼政様の言に応える日が、いよいよ来たのだと!」
感極まった様子で両手を広げた与一は、その場で九郎に向かってひれ伏した。
「九郎様。この那須与一宗孝、源家復興のために尽力致します!」
首を垂れる与一を見下ろし、九郎がぱあっと顔を明るくして、喜びのままに俺を見た。
「……!(グッ!)」
グッと両手を握っている。この時代のガッツポーズなのだろうか。
だが、感動する九郎とは違い、俺は何故か落ち着かなかった。
与一が頭を下げた。その横顔。そこから見える口角が、いやにつり上がっているように見えたのだ。
純粋な喜びとは違う、まるで計算通りに事が進んだことを喜ぶような冷徹な横顔だ。
それがきっかけで、俺の中にどんどん疑問が湧いてきた。
そもそもこの那須国は那須家のもので、与一はそこの子供だという。なのに、何故こんな長屋に居を構えているんだ? 何故、俺たちを客人としてもてなすなら那須家の屋敷に連れて行かない?
それに、平家政権下で三位にまで登りつめた頼政との繋がりも気になる。
何か、裏があるのだろうか。そう思うと、与一の参入を素直に喜べなかった。
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