第39話対面、藤原秀衡

 その後、無明光院の隣にある大きな屋敷に通された。ここが伽羅の御所らしい。

 畳張りの吹き抜け部屋に通された俺たちは、そこで秀衡を待った。

 秀衡の座るであろう上段の前に九郎が座り、その後ろに俺と与一が座って待つ形になった。しかし、一向に秀衡は姿を現さない。

 時間を持て余したので、俺は隣でお淑やかそうに待っている与一に耳打ちする。

「なあ、与一。藤原秀衡ってのは、どんなやつなんだ?」

「どんな奴って、都に次ぐ人口を誇る平泉を支配する奥州藤原氏の三代目で、武士の最高栄誉と言われる鎮守府将軍の役職を持っているわ。もう高齢のおじいさんだって聞いたわよ」

 高齢のじいさんねえ。間違いなくさっきのじいさんだろ。俺には分かるからな。

「……なにぶすっとしてんのよ」

「別になんでもねえよ」

 考えていることが顔に出ていたのか、与一は不快だと言わんばかりに顔を歪めて俺を見ていた。俺はすぐに正面を向きなおした。

 すると、部屋の舞台袖から一人の老人が姿を現した。

 豪華絢爛な金の着物に袖を通した老人は、ゆっくりと上段に座ると俺たちを睥睨した。

 予め継信に言われていた通りに頭を下げる。

「鎮守府将軍、藤原秀衡である。面を上げよ。源氏の兵よ」

 秀衡の声に、俺たちは顔を上げる。

 上段に座った秀衡は、貴族のように顔を白粉で塗って眉を黒い丸で描いていた。なんというか、ザ・貴族という風貌に変わっていた。

 しかし、よく見れば丸い輪郭も優しそうな声も先ほどの僧にそっくりだ。

 秀衡は九郎に対して菩薩のようなアルカイックスマイルを浮かべ、閉じた扇の先端を九郎に向けた。

「して、お主。名は?」

「はっ。先の源氏の棟梁――源義朝が九番目の息子、九郎義経でございます」

「……ふむ。で? 九郎とやら。お主は儂に何を乞うというのだ?」

「はい。秀衡殿には、是非とも平家討伐の際に力を貸していただきたく――」

「断る」

 瞬間。柔らかい笑みを浮かべていた秀衡の表情が一変した。

 秀衡が浮かべる表情、それは怒りや悲しみではなく、無表情だった。

「何故、儂が平家を討たねばならぬ? 何故、源平の争いに藤原氏が関わらねばならぬ? それも滅亡寸前の源氏なんぞに手を貸す理由がどこにある? 平家は我が奥州の顧客ぞ? 砂金も馬も、平家は言い値で買ってくれる。そんな相手を何故裏切れる。申してみよ」

「それは……」

 九郎はすぐに言葉に詰まった。次の言葉が出てこないらしい。

 秀衡も、何かを見定めるように目を細めて黙っている。沈黙が重い。背後に控える俺たちですら、空気の重さが肩にのしかかるようだ。

 やがて、秀衡が口を開いた。

「何故、平家を討つ?」

「……それが、源家に生まれた男の宿命なれば」

「討ってどうする?」

「源家再興を図ります。そして、平家によって苦しめられる人を救います」

「……話にならぬな」

 淀みなく答えたように聞こえた九郎の台詞を、秀衡は一刀両断した。

 気まずい沈黙が再び降りる。そんな中、俺の頭の中にはある疑問が渦巻いていた。

 秀衡は源氏と一緒に平氏を倒すつもりはないらしい。では、何故九郎を平泉に呼んだ?

 それはつまり、九郎――いや、源氏にしかできないことがあるからではないか?

俺は、下げた頭を少しだけ上げて秀衡を見上げる。ぷっくりした顔の好々爺。しかし、その男の目は、九郎を品定めするように細められていた。

……秀衡には、何か思惑があるみたいだ。

「……お主の用とはそれだけか?」

 秀衡は頭を下げる九郎に言う。九郎は小さく「……はい」と声を零した。

 すると、秀衡は持っていた扇をバッと開いた。

「では、今度はこちらから九郎に頼みたいことがある。聞いてくれぬか」

「……おれで良ければ」

「ふむ。では……儂の正妻となり、儂の子を産んではくれぬか?」

 なるほど。秀衡の目的は九郎に自分の子供を産ませることだったのか――って。


「な、なんだよそれーっ!」

「な、なによそれーっ!」


 思わずその場に立ち上がって叫んでしまった。

 ハッと気が付くと、俺は隣で同じく叫んでいた与一を見た。お互い立ち上がった姿勢のまま固まってしまう。

 そんな中、正面の秀衡はえらくまじめな表情で。九郎はこてんと首を傾げた。

「……秀衡殿の子を、産む? それはできませぬ。それは、おれは男の子故。それに、秀衡殿もご高齢のようですし、正直出るものも出な――」

「わーっ! 九郎ストップ! 余計なこと言うなっ!」

 俺は慌てて九郎の口を押えるために、背後から奴に飛びかかった。

「ちょっ! 何をする弁慶! 貴様! 主を抑え込むとはいい度胸だ!」

「うるせえてめえ! いいから黙ってろ! 余計な事を言うな!」

「わーんっ! くーちゃんは私の旦那様なんだからー! こんな男どもになんかやらないんだからーっ!」

 俺と九郎が取っ組み合っていると、その上からさらに与一が飛び込んできた。

「ぐへっ! よ、与一てめえ重いんだよどけ!」

「なっ!? こ、こんのくそ坊主! あんたこそ獣臭いのよ! 普段私がどれだけ我慢してると思ってんのよ!」

「知るか! いいからてめえはどけ! 邪魔なんだよ!」

「痴れ者! お前の方が邪魔だ弁慶! 重いと言っておるだろうがー!」

 

「お三方! 秀衡様の御前でござる! 慎まれよ!」


 継信の大声で、俺たちの動きはピタッと止まった。

 そうだ。あまりのショックで一瞬吹き飛んでいたが、ここは鎮守府将軍藤原秀衡の御前。いわば奥州の王の謁見の間だ。そんなところで暴れちまった……ど、どうすれば――

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