第30話突破せよ、白河の関
白河の関は、那須屋敷から歩いて三時間ほどの場所にあった。
俺の想像していた関所というのは、荘厳で巨大な門があり、二つの地域を分断する砦のようなものだった。しかし、実際に白河の関に行ってみると、想像した関所はもっと後の時代のものだということが分かった。
谷に作られた神社の隣に、木を組み合わせた柵が横に広がり、谷を真一文字に塞いでいる。背後は山の森で守られた門の規模は大きいが、あくまでそれは木を組み合わせただけの代物で、関そのものの突破は容易なように俺には見える。
しかし、それはあくまで関だけの話だ。その関と隣の神社には、那須家の軍勢と思われる武士たちが数十人。そして、その中にはあの白髪チビの朱清までいやがった。
いつものように、俺と九郎は少し小高い雑木林の中から目的の場所を観察していた。
「どうする九郎。あの数は正面突破するには難しくないか?」
隣にいる九郎を見る。しかし、九郎に動揺した様子は見られない。それどころか、「ふっふっふー」と得意げに笑っていた。
「わたしを甘く見るなよ弁慶。何も武力だけがわたしの策ではない。こんなこともあろうかと、秘策を用意しておいたのだ」
九郎はそう言うと、太夫黒に乗せていた箱を取り出し、その中身を自慢げに開けた。
中には、白い着物と黒い帽子のようなものが何枚か入っていた。
九郎が「これを見よ!」と、現代で言うならセールスマンが一押し商品を売りつけるような動きで手を広げた。
「この山伏の恰好に変装し、あの関所を超えるのだ!」
「ん? それって少し早くないか?」
「……ん、んんっ? は、早いとはどういうことだ? 弁慶」
まさかここで異を唱えられるとは思っていなかったのか、九郎は得意げに広げた手を曲げて、おろおろと動揺していた。
「いや、親父に連れられて、ガキの頃はよく能を見に行ってたんだが……」
確か、弁慶の勧進帳は、頼朝に追われる義経一行の話だったはず。能が始まる前に、親父が何度も俺に義経一行の平家討伐の話をしてくれたから覚えてる。
だから、この作戦が上手くいく保証はない。ここには、白紙の勧進帳を読んだ弁慶に同情し、見逃してくれる富樫左衛門がいるとは限らない。
俺は山伏の恰好が入った箱を睨んで、一言。
「……うん。やっぱりそれはまだ早いわ」
「だから早いとはどういうことだと言っておるのだ弁慶!」
あ。ついに怒った。
「だ、大体まだ策の全容を語り切ってはおらぬぞ! よいか、よく聞け! なんと、この山伏の恰好をしてだな、お前はわたしを――」
「金剛杖で滅多打ちにするんだろ?」
「あっ……うん。その通り、です……」
やべっ。思わずオチを言ってしまったら九郎がしゅんとしてしまった!
しまった! 言い過ぎたか。
「い、いや! この作戦自体は大したもんだと思うぞ!? 実際、危機を潜り抜けられるのは間違いない! でも、それはこの場面かと言われると、少し疑問が――」
「では、どうすればよいのだ? もう継信には策の全容を伝えてしまっているぞ?」
あー! そうだった! 継信はもう別行動でこの作戦を遂行しようとしえるんだった!
ってことは、今更俺がとやかく言っても意味がねえってことじゃねえか。
お互い、このやり取りが無意味であると悟って黙ってしまった。
「……まあ、よい。お前の言い分だと、いつか未来では成功するということだ。それはきっと、今日の失敗があってこそだと思うぞ」
ふぅっとため息を吐いた九郎は、そう言いつつも何故か山伏の服に手を伸ばした。
「おい。なんで服に手を伸ばすんだ」
「何を言っておる。着るからに決まっておるだろう?」
長い髪をくくっていた髪留めを解いて、九郎は何気ない様子で言ってのけた。
「いやいや、だから成功するとは限らないって言ったじゃねえか! お前バカか!」
「馬鹿はお主だ、馬鹿弁慶。そも、成功とは数々の失敗に裏打ちされてこその成功だ。それに今回の策は、あくまで争わないための策だ。たとえ正体が暴かれようとも、その際の策は既に練っておる。大体、我らが山伏の恰好で白河の関を突破できるのなら、継信は必要ないのではないか?」
九郎が背中を向けたので、俺も暗黙の了解で背を向ける。今ではもう完全に慣れてしまった、着物を着換える時に聞こえる布擦れの音を聞きながら、俺は「まあ、な」と頷く。
「つまり、そういうことだ。今回は、山伏の策でいく。その後、もし正体が暴かれた場合は、継信の助けを借りて戦いながら白河の関を突破する。それでいいな?」
「わかったよ」
「うむ。それでよい。ところで弁慶。お主、勧進帳は読み上げられるのか?」
「ああ。台詞はちゃんと覚えてるぞ」
なんせガキの頃から何度も見ている。台詞なんか頭に焼き付いてらあ。
「うむ。では、わたしはお前の部下の強力のふりをしておく。頼んだぞ、弁慶」
背後でガサリと音がした。九郎が振り返る音だ。着替えが終わったらしい。
九郎は、紫色の着物に着替えていた。となると、この白い着物の上に、黒の羽織を俺が着るのか。いよいよ勧進帳らしくなってきたじゃないか。
「ふっ。えらく楽しそうではないか、弁慶」
着物に手を伸ばしていると、隣で九郎がニコッと笑っていた。
「誰が弁慶だ。俺は武蔵だ。……って言っても、やっぱりワクワクするな」
なんせ、あの有名な勧進帳を俺が読み上げるのだ。劇で言えば主役を張れる。ガキの頃から能を見て格好良さを感じていただけに、興奮にも似た高揚感がある。
「わくわく? まあ、ともかく楽しそうなのは当たっていたか。ふふっ、だが弁慶。楽しさで本来の目的を忘れるなよ? 共に奥州の地を踏もう。その約束、違えるでないぞ?」
「ああ。もちろんだ」
コツっと、互いの拳を軽くぶつけ合う。
俺と九郎は着替え終わると、太夫黒を引いて白河の関へと向かった。
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