第31話読め、勧進帳

 林を抜けて、田園に挟まれた道を歩く。今は夏で、田園には稲が緑の絨毯を作っている。しかし、夏の割には随分寒く、平安人が履く下駄だと指先が少し寒い。早くこの関を抜けて、普段のスニーカーに履き替えたい。

 そんなことを考えながら歩いていると、周囲に田園は無くなり、木がぽつぽつと増え始めた。そして前を見ると、大木を組んで作ったであろう白河の関が俺たちの前に立ちはだかった。

「……白河の関。かつて、この関は八幡太郎義家様が陸奥の国を平定して以降閉じたことがないという話がある。源氏にも縁のある関だ。きっと、よい結果になるに違いない」

 笠を目深に被った九郎は、笠を少しだけ持ち上げてチラリと白河の関を見て言った。

「八幡太郎義家? 誰だそいつ」

「わたしのご先祖様だ。今の源氏は、義家様無くして成り立っておらぬ。その義家様の加護の下、わたしたちもこの窮地を脱しよう」

 ふーん。頼政だったり義家だったり、源氏もいっぱいいるんだな。

 なんてことを思いながら、俺たちはいよいよ白河の関に辿り着いた。

 俺たち凸凹コンビを見つけた関所の番卒二人は、驚いて門の前に立ちふさがると、持っていた棒をバッテンに重ねて道を封じた。

「怪しい巨人と、その従者よ。何者だ!」

「何者って、見て分からねえのか? 山伏だよ山伏」

 両手を広げて、自分の恰好を見せびらかす。

 白の着物に、黒地に金糸の梵字をあしらった水衣を着ている。どこからどう見ても、勧進帳の弁慶だ。何も怪しいところはない。

 番卒たちは潔すぎるほどの俺の言い分に、眉を顰め動揺している。

 さて、相手も動揺しているようだし、そろそろ勧進帳の台詞をぶっこんでいくか……。

 見てろよ九郎。俺の名演技で、見事にこの窮地を脱してみせるぜ。

 番卒は、訝しみの視線を俺に投げかける。

「しかし、巨人を従えた冠者を通すなと上からのお達しがある。それが山伏であっても通すわけには――」

「あぁ~っ、如何にッ! これなるぅ山伏のぉ~。おん関をまかり通り候ぅぅぅぅ~っ!」

 突然の俺の名演技に、二人の番卒だけでなく、九郎までが驚いたのが分かった。

 ちゃんと顔もクワって見開いて、ビブラートも効かせまくってやったぜ!

(ど、どうしたのだ弁慶! なんだ!? 何かの病の発作か!?)

 九郎が、背後から小声で何か言ってるが、小声な上にしゃがんで伏せてるからよく聞こえねえなあ。まあ、きっと感動して涙流してるんだろうぜ。

 番卒たちは突然のことで怯んだようだったが、気を取り直して訊いてきた。

「お、驚かせるなよ。でもな、怪しい奴は山伏でも通すなって上の命令だ。悪いけど――」

「委細、承り候ううぅぅ~っ! それは、作り山伏をこそ留めよとの仰せなるぅべしぃぃっ! 真の山伏を留めよとのぉぉぉ~、仰せにては候まじぃぃ~っ!」

(お前下手糞か! 声が裏返っておる上に無駄な挙動をしおって! それではただのバカではないか!)

 九郎がなんか言ってるけど、振り向いたら怪しまれる。俺は小声で背後の九郎に告げる。

(……悪いが九郎。賛辞は後にしてくれ)

(何が賛辞だ! お前のせいで大惨事だ!)

(大賛辞だなんて、はははよせやい)

(こ、こいつ……都合のいいことだけ聞こえおって)

 おっと。これ以上会話をしたら怪しまれる。俺は気を取り直して、勧進帳の台詞の続きを言おうとして――

「……お主ら、一体何をしておるのじゃ?」

 ふと、関の門の上から声が降って来た。

 声につられて門の上を見ると、その幼い声の主は呆れたように俺たちを見下していた。

「まさか、そのような猿芝居でここを通り抜けようとしておったのか?」

 白髪に赤目、そして赤い直垂姿の平朱清が、腕を組んで俺たちを睥睨していた。

 誰が猿芝居だ誰が! と、いつもなら怒鳴り込んでいたが、俺はそれをグッと堪えた。

「あ、朱清様! 実は、この山伏共が奥州へ向かいたいと言っておりまして――」

「分かった。では、後は私が検分する。お前たちは下がるがよい」

 朱清はそう言って番卒を下がらせると、門の横に付いた梯子を使って降りようとした。

 しかし、俺たちに背を向けて梯子に足を掛けようとしたところで、その足が止まった。

「の、のう番卒よ! 私の足、ちゃんと梯子に掛かりそうか!? 私からはよく見えん!」

「え? え、ええ! あと少し足を下ろして頂ければ!」

「あ、あと少しとな!? ほんとじゃろうな!? 私はお主を信じるぞ!?」

 そう言って、朱清は二階ほどの高さの門から、梯子を使って降りてきた。ちなみに、下りてくるのに五分くらい時間がかかった。

 地面に降り立った朱清は、呆れて物も言えない俺を前にしてギロッと鋭い視線を投げかける。

「お主、山伏と言ったな。では、その山伏は、一体何をしに奥州へ行こうとする?」

 朱清の試すような、人を見下すような傲慢な言い方に一瞬ムッとするも、俺は奴の台詞から勧進帳の登場人物を連想した。

 なるほど。この朱清が富樫左衛門の役回りか。

 つまり、勧進帳読み上げで騙される敵の役だ。

 だったら、その役通りに台詞を読み上げるだけだ。それで、この芝居も終わりだ!

 俺はノリノリで言い放つ。

「これはぁ~っ、南都東大寺建立のため、国々へと客僧をつかわされ北陸道はぁ~」

「――南都東大寺建立……じゃと?」

 ふと、朱清が教師の失言に気付いた子供のように口角を釣り上げた。

 俺の体に緊張が走る。何か、間違えただろうか。いや、セリフは合ってる。大丈夫だ。

 朱清は、にやにやと意地の悪い笑みを浮かべながら俺へと近づいた。

「のう山伏。今お主は、東大寺建立と言ったな? 間違いないか?」

「あ、ああ。それがどうした?」

 心臓が音を立ててるのが分かるほどの動揺の中、朱清は声を上げて笑った。

「あーっはっはっは! 馬鹿め未来の僧兵! 東大寺が我が平家によって燃え落ちるのは治承四年の十二月ことじゃ! 今は治承四年の七月! よって、この時代の東大寺は健在じゃ!」

「な、なんだと……!」

 まさか、そんなところに落とし穴があるなんて! こんなことなら、旅の途中にでもちゃんと勉強しておくんだった!

 朱清は「ふふん」と得意げに鼻を鳴らした。

「まあ、お前がこの事実を知っておっても、大根役者である限りこの朱清は騙せんがな」

「誰が大根役者だ! みんな、俺の演技に見入ってたじゃねえか!」

「馬鹿め弁慶! 皆は見入っておったのではなく呆けておったのだ! おれも含めてな!」

 九郎は立ち上がって俺の隣に立つと、素早く太刀を抜き放った。俺も九郎に倣い、腰に差していた太刀を抜き放つ。

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