第50話義経を助けろ

 当たり前だが、平成生まれの俺に軍隊を指揮する能力はない。俺は騎馬武者の指揮を継信に任せると、平泉を発った。

 数日かけて東北から関東へ。そして、目的地の富士を目指す。

 その途中、九郎と思われる人物を泊めたという村人の話を聞いた。継信によると、着実に追いついているとのことだった。富士に到着する頃には、おそらく合流できるだろうとの見立てだった。

 そんな中、大局にも動きがあった。継信の弟である忠信の放った偵察兵によると、頼朝率いる源氏四万騎と平維盛率いる平氏七万騎が、駿河国にある富士川を挟んで睨み合いを始めたというものだ。

 一触即発。いつ戦が起こっても不思議でない。偵察によると、頼朝率いる源氏は黄瀬川と富士川の合流地点近くに陣を置いたらしい。

俺たちは黄瀬川の陣から十キロ程北に離れた場所に到着すると、そこから九郎捜索のために騎馬隊を複数に分ける準備に取り掛かる。

「九郎はまだ頼朝とは合流していないんだな?」

 偵察隊と話していた忠信に、俺は問いかける。

「そのようでござるな。源家の御曹司が合流したとなれば、源氏側に何らかの動きが出るはず。おそらく、義経殿は頃合いを見ているのでしょう。戦いが始まったら、上流から密かに富士川を渡り、敵の側面を突くつもりやもしれぬ。少なくとも、多少兵法をかじっているのなら、そうされるはずでござる」

 継信に似た、いやもう継信と全く同じ声で黒づくめの忠信が言う。

 なるほど。まずは戦果を挙げてから、その戦果を手土産に合流するのか。いかにも九郎らしい、実直な行動だ。

「分かった。じゃあ、川に偵察隊を集中させよう。残りは、着陣した頼朝の陣に向かう道に数人ずつ配備だ」

「心得た」

 忠信とのやり取りを終えて、ふと俺は川の対岸を見上げた。

 川の向こうには、七万の敵がいる。四万と七万。この二つが激突すれば、それこそ大混乱に陥る。人探しなんて出来るはずもない。

 早く九郎を見つけないと。そう思った時、川の南側から紫色の煙が立ち上っているのを見つけた。

 その煙は禍々しく立ち上り、まるで災厄を呼び寄せるかのように空へと昇っていく。

 あの煙、どこかで……。

「……っ! まずい! おい、忠信! 今すぐ騎馬隊を呼び戻せ!」

 あの煙の正体に気付いた俺は、すぐさま忠信に伝える。

「急にどうしたのでござるか? 騎馬隊たちは、たった今散会したばかり――」

「あの煙は、平家の武将が使う陰陽術が発生させる煙だ! それに、あの術を使う平朱清は九郎に恨みがあって、執着に俺たちを追ってきた。間違いなく奴だ。奴が先に九郎を見つけたらしい」

 しかし、これはチャンスだ。九郎を探す手間が省けた。

「俺は、先にあの煙の元に急ぐ。忠信は継信と合流してから後を追ってきてくれ。それまでは、俺が何とかする」

 俺は、ありったけの武器を背負って馬に跨る。

「正気でござるか弁慶殿! 相手は平家の武将。そんな大物に一人で立ち向かうというのでござるか!?」

「んなわけあるか! 九郎と与一を見つけたら、すぐに引く! だから忠信! お前らの援軍を頼りにしてるんだから、早くこっちに来てくれよ!」

 それだけを言い残して、俺は馬の腹を蹴った。

 待ってろよ九郎。お前との約束、守りに行くからな!

 不吉な紫の狼煙を見据えて、俺は川めがけて馬を走らせた。

 幸運にも、この辺りの水深は深くない。馬の膝がぎりぎり浸からない程の浅い場所だ。これなら川を渡ることができる。

 十数メートルほどの富士川を渡り切ると、煙の立ち上る方向へ走る。途中、深い背丈ほどの草が生い茂る泥濘に突っ込んでしまう。

『くかかっ! お前は悲劇の英雄として歴史に刻まれるのじゃ!』

 視界が草に遮られる中、あの白髪チビ――朱清の声が木霊する。

『お前は、確かに私のいた歴史では平家を打倒する! じゃがな、その後のお前の人生は実に悲惨じゃぞ!』

 やめろ。それを言うな。

『お前は兄頼朝の恨みを買い、逃亡生活を余儀なくされる! 側室とは離れ離れになり、郎党も次々と死ぬ!』

 やめろ……やめろ。

『そして最期には、唯一の拠り所だった奥州藤原氏にも裏切られて死ぬ! その後も悲惨じゃぞ? 首は捨てられ、息子は川に流されて殺されるのじゃからな!』

「……やめろォ!」

見晴らしのいい草原にたどりついた。視界が開ける。

 すると、草原の先。俺から二十メートルほど離れた位置には、横一列に整列した骸骨武者が、今まさに弓を放とうとしていた。

 その手前には、長い髪を後ろで一本に結った二人の少女の後ろ姿があった。

「九郎!」

 俺は叫ぶ。九郎と、その横で弓を構え、一矢報いようとする与一が振り返った。

「べ、弁慶!? な、何故おぬしがここに――」

 申し訳ないが、涙を流していた九郎を無視して骸骨武者たちに視線を戻す

 あの配列は、九郎と与一を狙い撃つものではない。この草原一帯に矢の雨を降らせるつもりだ。これでは、よしんば九郎の下に辿り着けても逃げられない!

 ――だったら、覚悟を決めるしかない。

 覚悟とは何か。それは、ここで弁慶一世一代のアレをやる覚悟だ。

 弓を放つ鋭い音が一斉に正面から響く。そして、月明かり眩しい空が一瞬にして黒く翳る。

 その頃には、俺は馬を乗り捨てて地面に転がっていた。

 転がり、止まった先は九郎の目の前だ。

「――っ!? よせ、弁慶に何を――」

「しゃがめ! んで後は、せいぜい祈ってろ!」

 背中に背負っていた薙刀を取り出し、柄を地面に突き立てる。

俺は、怨敵を見るようにじっと空を睨んだ。

 その空から、鋭い音が束になって降り注ぐ。黒い死の雨が、俺に向かって落ちてくる。

 全身の筋肉に力を込めた。何があっても倒れるな。そう体に言い聞かせる。

 今までにないくらい、筋肉が膨張して張り詰める。今なら巌のように矢も防げるかもしれない。そう思えた。

 だが――

 ――凄まじい衝撃が、四肢を、腹部を、胸を、そして顔に襲い掛かる。

 痛みはない。だが、突き刺さる矢の勢いが、俺の体全てを粉砕しようと蹂躙する。

 踏ん張れ、怯むな! 歯が砕けるほど食いしばれ。筋肉が破裂するくらい力を籠めろ!

 死んでる暇なんか――ねえ……ぞ。

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