第11話牛若の烏帽子親(えぼしおや)

「おっ。そんなことより、そろそろ鏡の宿でやんすね」

 吉次が汗を拭う素振りをして言った。よく見てみると、道の向こうに、大きな山々を背景にした村が見えた。

 夕方陽が暮れだす頃には、隊商全員が鏡の宿に到着した。場所はおそらく、俺のいた平成で言うところの竜王町の辺りだろう。平成じゃ、竜王町には大きなアウトレットパークがあった。俺も何回か電車とバスを乗り継いで行ったことがある。

 しかし、そんな面影なんて平安の時代には微塵も無い。山の麓に、十数件の小屋のような家が立ち並ぶだけの小さな村だ。

 鏡の宿というが、この村に旅館は無い。吉次に話を聞いたところ、宿というのは、普通は村長の屋敷のことを指すらしい。俺と牛若は大切な吉次の客人ということで、吉次の親衛隊達と共に村長の大屋敷に泊めてもらうことになった。

 村の入り口からは見えなかったが、鏡の宿も鞍馬山の寺ほどではないが、随分と立派な屋敷だった。

 吉次の隊商は、鏡の宿と付近の村に分かれて寝ることになった。その内、俺と牛若は貴族とその従者扱いされて、村長の屋敷の中でも一番上等な部屋に通された。

「ふいーっ。一日歩き通しで足がパンパンだ……」

 俺は畳に足を投げ出して座った。なんでも、この時代の畳は高級品らしく、貴族だけが使うことを許されるものらしい。他の部屋は全部板張りの床だ。ここだけは牛若に感謝してやらねばいけないだろうな。

「だらしがないぞ弁慶。それでもわたしの郎党か」

 薄桃色の着物を着た牛若が、眉を顰めて俺を見下げる。

 今の牛若は貴族の娘という設定だけあって、腰まである黒髪を下していた。その恰好は、腹が立つほど大変似合っている。貴族の娘と言われても遜色ない気品さが、彼女から滲み出ていた。正直言って、癪に障る口を開かなければ美少女だ。

 俺は少しだけ牛若を見た後、フンと顔を背けた。

「うるせえ。こちとら歩き慣れない未来人なんだよ。少しくらい大目に見てくれよ」

「またそう言ってお前は……。まあ、仕方あるまい。……なあ、弁慶」

「だから弁慶じゃねえって。……んで、なんだよ」

 ぺたんと俺の隣に座り込んだ牛若が、膝を抱えた。

「わたしは、これから本当に源氏の御曹司として生きていけるのだろうか?」

「なんだよ突然」

「……わたしは、見ての通り女だ。この歳になるまで一度も鞍馬山を出たことがなく、兵法や剣術も実践で試したことはほとんどない。その程度の小娘が、本当にこれから源氏復興の先駆けとなれるのだろうか」

 牛若は、所々言い出しにくそうに言葉を選びながら話す。

 色々言いたいことはある。義経の一生、その栄光と悲劇の人生。血と裏切りに満ちた人生が、隣にいるこの細くて小さい少女に降りかかるのかと思うと、正直その道を歩めとは言いたくない。だが、それを否定することも俺は言いたくなかった。歴史を歪めてしまうようなことを言うのが怖い。

 色々考えた挙句、俺は腕を後ろで組んで寝転がった。鏡の宿の天井をぼーっと眺める。

「……さあな。俺もよく分からん」

 俺の素っ気ない態度に、隣で膝を抱えた牛若は頬を膨らませる。

「なんだその態度は。わたしが真剣に話をしているのに」

「そんなものはまだ先の話だって言いたいんだよ、俺は。今はとにかく、奥州に向かうのが先決だ。お前が源氏としての覚悟を決めるのは、それからでも遅くはないんじゃないか?」

 俺がそう言うと、牛若は何か言いかけて口を開いたが、やがて力なく視線を下げた。

 そして、俺と同じく腕を後ろに組んで畳に寝転がった。

「……元服、という儀式がある。弁慶は知っておるか?」

「ああ。武士の子供が大人になる時にする儀式だ。俺も元々は武士の家柄だからな。それがどうかしたか?」

 隣に寝転ぶ牛若を俺は見る。白くて綺麗で、人形のように整っていて……まだ幼い横顔だ。

 その横顔が、鋭く天井を睨む。

「……もし、源氏の御曹司として生きると決めた時に、わたしは元服をする。その時、お前には烏帽子親(えぼしおや)をしてもらたい」

「烏帽子親?」

「ああ。わたしに、新たな源氏としての名を与える役目だ。本当は、主が家来にする行為ではあるのだが……わたしは、未来のわたしの名を知るお前から、名を授かりたいのだ。頼む」

 牛若は、決して俺を見なかった。彼女は、ずっと天井を見つめたまま話す。その瞳は、怯えるように揺れていた。

 俺の顔を見れば、決意が鈍ると思っているのだろうか。

 ――無理しなくてもいいんだぞ? 不意に、俺はそう言いかけていた。

 口が開いたのに気づくと、俺はその口を噤んで、牛若と同じように天井を見つめた。

「……分かった。任せとけよ」

 天井に染み込ませるように、俺は言った。

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