第16話九朗の反撃

「弁慶。おれが演説を始め次第、この屋敷を出て朱清の陣の横手へ向かえ」

 屋敷の中で、幾本かの白旗を作った九郎は、そう言うなり立ち上がった。

 既に屋敷前の防衛線は崩壊寸前だ。こうしている間にも、武者たちは次々に倒れ、その屍を晒していることだろう。

「ここから東に出て、田畑を進め。そこから、朱清の真横に出られる道がある。そこから飛び出し、朱清を脅かしてやれ。あの小娘のことだ。少しでも驚けば兵を退くだろう」

「俺一人でやるのか? 正気かよ。敵は二〇〇だぞ?」

 どう考えても生きて帰る保証なんてない無謀な作戦だ。

 いや、正直言って作戦なんて呼べるものですらない。俺に死ねと言っているようなものだ。

 いくら俺でも、手足が震えて、歯が自然と震えてガタガタと鳴り出した。

「無論、正気だ。今、おれの郎党はお前しかおらぬ。お前だけが、おれの軍勢だ」

 烏帽子を被った九郎は、真っすぐ俺を見上げる。

 細い眉が、強い意思の宿った切れ長の瞳が、桜色の唇が、俺の目を真っすぐに見つめる。

「……信じておるぞ、弁慶」

 瞬間。歯の震えが止まった。

 嘘だろ、と。自分でも驚きが隠せなかった。

 代わりに湧き上がってくるのは、例えようのない高揚感だった。

「……分かった。怖くて仕方ねえけど、やってるよ」

「ふっ。その割には、口角が上がっておるぞ?」

「ああ。存外、俺はこっちの時代の方が合ってるのかもな」

 怖くて仕方ないのに、心が躍る。手が震えるのに、力が漲る。

 我ながら、単純すぎて笑えてきた。

 女の子に、信じてるなんて言われるだけで、無性に張り切っちまうなんてな。

 初めての感覚だ。

 俺は棒を担ぐと、九郎と別れた。

 勝手口から屋敷を抜け、裏門を通って村へ出る。

 そして、田んぼのあぜ道を通って東へ迂回する。

 百数メートル先に、明々と燃える門が見える。その中に、一人の若武者が躍り出た。

 黒い烏帽子に、同じく黒の直垂を着た九郎が、太刀を煌かせ叫んだ。

「これより、我が指図に従え! 源氏の郎党達よ!」

 凛とした声を聴きながら、俺は静かに、だが一生懸命走る。

「我が名は先の源氏の棟梁、義朝が九番目の子! 源九郎義経である! これは、源氏挙兵の先駆けの戦である! 皆の者、勇猛果敢に攻め立てよ! ここで勝利し、日ノ本中の源家に知らせるのだ! 源家再興の時は、今ぞとな!」

 そう宣言するなり、九郎は白旗を掲げた。その白旗を見た者たちが、次々に声を上げる。

「げ、源氏の白旗じゃ!」「何故ここに!?」「であれば、あの方は真に源氏の御曹司か……」

 武者たちの声は、困惑から確信へと変わっていく。

 九郎は太刀の切っ先を朱清の本陣、そこに翻る赤旗に向けると、一気に駆け出した。

「源氏の郎党共よ! 今こそ、平治騒乱の借りを返すときぞ!」

 平家の骸骨武者たちは、九郎が飛び出したと知ると、機械のように動揺することなく矢を放とうと弓を構える。

 だが、それよりも早く。俺は奴らの横腹に到達した。

「させっかよおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ!」

 弓兵たちの背後に飛び込み、目につく奴らを片っ端から突いてまわる。

 背後からの奇襲に、機械のように正確な動きをする弓兵軍団の一部が崩れる。

「そこだ! 弓隊の構えが崩れた! 源家の郎党達よ! あそこを攻めよ!」

 九郎の声が聞こえる。それも、先程よりもっと近くからだ。

 源氏武者たちの鬨の声が響き渡る。それは、先ほどまでの悲鳴よりも、もっと大きかった。

 俺はその様子を確認すると、さらに奥へと突き進んだ。

「狙うは大将、平朱清! あやつを倒せば、この戦は我らの勝利ぞ!」

 背後から九郎の声が上がる。それが後押しとなって、俺は前に進む。

 武者を倒し、太刀の一撃をいなし、馬上の朱清が見えるところまで辿り着いた。

 久々に見る白髪チビは、驚いた様子で俺を見下ろしていた。

「……よもや、あの僧兵の代わりをお前がしているとはな。じゃが、ここで貴様らの命運は尽きる! 源家再興の兆しは、ここで絶望へと変わるのじゃ!」

 朱清の号令で、骸骨武者が襲い掛かってくる。その数は一〇以上。正直言って、数える暇もない。

 俺は再び、敵の攻撃をいなしては、隙を見つけて棒で突いた。

 だが、敵の猛攻は凄まじい。俺はあっという間に囲まれた。

「くそっ! って、うおっ!?」

 背後からの斬撃に、俺は咄嗟に棒を横に構えてしまった。

 すると、正面から太刀の振り下ろしを受けた棒が、真っ二つに割れてしまった。

 手を浅く切り、俺は地面に転がる。頭の中がぐわんと揺れた。

 転がり、その遠心力のままに立ち上がった俺は、折れた棒を拾おうと落ちた棒に手を伸ばす。しかし、骸骨武者が丁寧にも割れた棒を蹴飛ばして俺から離した。

「く、くっはははっはっ! 無様よな、未来の僧兵よ! 貴様の命運も、ここで終いじゃ!」

 朱清の笑い声が、歯噛みする俺に降り注ぐ。

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