竜魔激突④

 時刻は遡り、魔族の大量召喚が行われる少し前のこと。

 ウェストヒルズの中央、小高い丘の上に立つ領主の城のそのまたてっぺん。街全体を見渡せる領主の部屋に二人の人影があった。

 片方は宰相、満足げに領主の椅子に腰掛け、年代物の葡萄酒を傾けている。味もわからないくせにご機嫌なことだと口には出さずに鼻で笑うもう片方の影は山羊頭の悪魔バフォメットのヴァンダムだ。

 宰相は満足げに双月が登りゆくのを眺めている。もうすぐこの汚れた街は魔族に蹂躙される。いや、天罰が下るのだ。今からでも勝利の美酒に酔うのは早くない。

 だが、それに待ったをかけるようにヴァンダムは苛立たしげに低い声で唸る。

「おい、どういうことだ……」

「ん、どうした」

「『聖域サンクチュアリ』の効果が強まっている。祭具は全て取り上げたんじゃなかったのか?」

 ヴァンダムにはたしかに空気に満ちる神の力が強まっているのが理解できていた。あきらかに大規模な儀式が行われているのは間違いない。それには祭具が必要だということを、ヴァンダムはよく理解している。

「当たり前だ。見ろ、ここにすべて揃っている」

 宰相が言うように、壁にはまるで戦利品を見せびらかすかのように各神殿の祭具な並べられていた。

 正義なる至高神の『裁定の大天秤』、太陽神の『明け日の大鏡』、水なる医療神の『永の大聖杯』、風なる交易神の『風車と三角旗』、そして大地母神の『世界樹の宝杖』。この街の五大神殿全ての祭具に加え、小規模な神殿からも祭具は根こそぎかき集められている。

 それが本物であることはヴァンダムは悪魔だからこそよく理解できている。だが、儀式が行われていることもまた事実だ。

「どこかから運ばれてきたということもない。関は常に見張っている」

「じゃあ作られたんじゃねぇのか?」

「材料はどうする?どれもこれも、特別な素材が無ければ作れないといったのはお前だろう」

「あぁ、だから切り倒せっつったろ!大地母神の神殿の世界樹をよ!」

 町の外から運ばれた物品の中に祭具も、それをつくるための材料もない。

 元から街の中にある大地母神の世界樹を除けば。

「不可能だ!大地母神の神殿どころか、街そのものから反感を得るのは間違いないだろう!」

 ただでさえ、祭具の接収により評価は下がっている。豊穣を齎すことによりなんとかその分は補えてはいるが、世界樹の神殿の株分けされた世界樹を切り倒してしまうことなど誰もが許さない。

「だったら今すぐに!取り上げにいきゃあ!!いいだろうが!!!」

 ヴァンダムは苛立たしげに舌打ちすると、宰相の首根っこをひっつかみ顔を近づけて怒鳴りつけ、しまいには床に叩きつける。

 だが、宰相は死にはしない。悪魔は人の壊し方を熟知している。この程度では苦しみを与えることはあっても命を削ることはありえない。

 呻き声を上げ、縋り付くように睨む宰相にヴァンダムは唾を吐きかけた。

「貴様……!」

「なんだ?」

「くっ……」

 いくら契約があるとは言え、相手は悪魔、契約に描かれた内容は律儀に守るが、それ以外は裁量次第でどうなるかわからない。宰相は今更ながらに己の愚かさを嘆いた。強く睨みつけられれば、従わざるを得ない。

「グレゴリオ!グレゴリオはいるか!」

 宰相が叫ぶとすぐさま扉が開かれ、近衛兵長のグレゴリオが入ってきた。

「お呼びで?」

「兵をつれ大地母神の神殿へ行け!違法に祭具を作った疑いがある!」

「はぁ……明日でいいですか?もう夜も遅いし」

「今すぐだ!」

「でも……」

「い、ま、す、ぐ、に!だ!」

「はぁ……まぁ、了解です」

 愚鈍な奴め、なぜ先程もさっさと助けに来なかった、などと宰相は声に出さずに罵倒しながらよろよろと立ち上がった。やつは愚鈍だが、強い。だから重用してやっているのに恩知らずめ。

「ふん、役立たずめ」

 窓の外を見やれば、月明かりに照らされ丘陵の向こうから魔族の大群が押し寄せてくるのが見えた。あとは『聖域サンクチュアリ』さえ弱まれば、この街に救う亜人と、それと仲良くする愚かな者共を根絶やしにすることが出来る。それまでの辛抱だ。そうすれば、この悪魔も用無し、すべては上手く片付く。

 この計画は完璧なのだ。

「それにしても喉が渇くな……」

 グラスにワインを注ぎ、一息で飲み干す。心地よい酔いを取り戻さなければならない。開け放たれた窓から吹き込む風が、なんだか生ぬるいように感じる。

 その直後、地上を這うように赤い流星が迸った。すわ誰か魔術師でも迎撃に向かったのかと思ったが、違うということが本能でわかる。

「何だ?おい、だれか遠眼鏡を持て!」

「た、只今!」

 遠くに目を凝らす。黒い炎が燃え上がり、魔族の軍勢がそのたびに大きく吹き飛ばされるのが見える。

 宰相は侍従が持ってきた遠眼鏡を奪い取ると、動き回る炎の主を視線で追いかける。

「なんだ……あれは……!!!」

 再生力に優れ、幾度切られても立ち向かってくる妖巨人トロルが、炎に包まれ一撃で沈んだ。城門さえ一撃で食い破る膂力を持つ人食い鬼オーガが、力負けし叩きつけられて二度と起き上がらなくなる。数多の呪文を収めた、上位魔族アークデーモンが放つ『火球ファイアボール』がそれを上回る火力で突破され、喉笛を食いちぎられた。

「なんなんだ、あれは!!!」

 自分で見たものが信じられず、遠眼鏡を落とす宰相に目もくれず。ヴァンダムは燃え上がる魔族の群れを、怒りと興奮と感激が入り混じった目で見つめていた。

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