はじまりの街の話④

 太陽が稜線の向こうに姿を消し、夕焼けと夜空が混じり合う頃合いが酒場の書き入れ時だ。

 仕事終わりの職人や人夫、あるいは商人だとかが慰労のために集まり、娼婦や吟遊詩人が賑わいに華を添える。

 運び屋もまた例外ではない。大抵の酒場は上階に宿屋を構えているため、食事をとってそのまま一晩過ごすことも出来るからだ。

 あるいは、娼婦を買って一晩ともに過ごす事もできるが、あまりお薦めはできない。

 そういうのは娼館を介さないと碌なことにならないというのはみな知っているが、ともかく安いという魅力には抗えない者もいるのだ。

 その点、ミロクは声もかからないので気にしたことはない。

 だれしも怪物を相手取るのは好ましいとは思わないからだ。

「結局お前の正体は分からずじまいだったな」

 小さな樽をそのまま流用した椅子をきしませながら一息つく。

 旅の吟遊詩人もこの毛玉については全く知らず、逆に新しい詩の題材にしてくれと金を握らされる始末だった。

 それよりも今は腹が減っている。とにかく酒と食事が必要だった。

「そこな給仕よ、蜂蜜酒ミードと鶏の揚げ物フリットをたのむ。それと何か果物を」

「はーい、かしこまりましたー」

 兎の獣人パッドフットの給仕は思ったよりも愛想よく返事をくれた。この毛玉のおかげだろうか。

「すまない、相席してもいいかね?」

 見ればそこには昼間の森林族エルフの狩人がいた。

 腫れはすっかり引いており、元の見目麗しい美丈夫を取り戻していた。

「おや、先程の……」

「そういえば名乗ってなかったな。私はスィダーの”黄昏の露”と言う狩人ハンターだ。氏族名で構わんよ」

「これは丁寧に、スィダー殿。我はミロクと言う。見ての通り運び屋ポーターですぞ」

「いや、お前は見てくれでどうこう判断できるものではないだろう……おい、そこな給仕、蜂蜜酒と焼き林檎、野菜のシチューをくれ」

「ふはは、その通りですな。ところでどういった御用で?」

「あぁ、それなんだが……」

 その言葉を遮るようにして金属製のジョッキが置かれた。氷の精の力によりよく冷えた黄金色のそれは、日々の疲れを吹き飛ばす効果がある秘薬であると誰もが信じている。

「先に乾杯だな」

「無論、無論」

 独特の金属音を響かせながら杯を打ち合わせる。たとえ今日が初対面であろうが、これが酒場の礼儀というもの。あとは一口、あるいは一気に飲み干すだけだ。

「あぁ…………疲れが一気に吹き飛びますな」

「ふぅ……洞穴族ドワーフは気に入らんが、このかねのジョッキは認めざるを得ない」

 さっぱりとしてほのかに蜂蜜が香る蜂蜜酒は、酒精が強すぎないこともあって最初の一杯に丁度いい。

 仕事上がりの疲れを吹き飛ばすためか、生姜を始めとした香辛料が混ぜてあるのも嬉しい計らいだ。

「ほら、お前も飲め」

 皿の一枚に蜂蜜酒を垂らしてみると、毛玉は少し匂いを嗅いで、ちろちろと舐め始めた。

「ほう、この類は口にするのか」

「うむ、果物は食べるようですな」

「草食なのだな……」

 じっと見られているのも気にせず、毛玉は黙々と蜂蜜酒を舐めている。 

「そう言えば、森林族は蜂蜜酒に使われた蜂蜜がどの花から作られたかわかると聞いておるのだが……」

「あぁ、そんなことは無理だ。一つの種類の花から作られたのならわからんこともないが、大抵の蜂は様々な場所から蜜を集めてくるからな。強いて言うなら……林檎が強いか?」

「ふはは、謙遜なさって……」

「まぁそれは置いておいて、だ」

 スィダーは腰の雑嚢から丸められた羊皮紙の束を取り出して広げた。

 その書式はミロクにも馴染みのある、ギルドからの依頼票に違いない。

 真新しい羊皮紙に綴られた飾り文字を見る限り、かなりの大口依頼だということがわかる。

「中央への配達依頼だ、それも大口のな」

「おー、そう言えばここに来る途中聞きましたな。果物を送り届けるとか……なぜ貴公がそれを?」

 こういう依頼は、まず運び屋に声がかかるものだ。

 高価な品物だと護衛を雇うこともあるが、目録を見る限り今回の品物は青果や野菜。

 まず門外漢と言ってもいい彼に声がかかるのは異例だ。

「あぁ、私も護衛として呼ばれたのだが、護衛対象は商品ではない」

「あぁ、つまり人か。術士ですかな?」

 商品に価値はなくとも、それを運ぶ人間に相応の価値があるならば納得だ。

 こういった生鮮食品を新鮮に保つ事のできる術士を相応な数雇わねばならないのなら護衛も相応に必要となるだろう。

「それもある」

 しかし、どうやらそれも正解には一つ足りないようだ。

 スィダーは羊皮紙の束の一番後ろの頁を開いて、その項目の一つを指で叩いた。

「この商隊キャラバンには、商人ギルドの長、クレイドルの一人娘、ミラが同行する」

 目立つ赤いインクで刻まれた文字は、『無傷で送り届けろ。恥をかかせるな』ということを限りなく薄めて、格式を失わないような言葉遣いで言い換えたものだった。

「ふはは、親バカですなぁ……」

「全くだ。『綿毛すら一人で飛ぶ』というのに」

「森林族の格言ですかな?」

「あぁ、そうだ」

 そんな事を話していると、ミロクの袖を引っ張る感触があった。

「ぷい」

「どうした。腹が減ったか?」

「ぷい」

 毛玉が何かを伝えようとしているのを見守っていたその時。


「ここかぁ!!!」


 吹き飛ばんばかりの勢いで自在扉が開かれた。

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