交易都市ウェストヒルズ④

 大樹に飲まれるようにして経つ大地母神の白い神殿は、ある種の遺跡のようでもあり、また町中に突如表れた森のようでもあった。その周囲には強烈な聖の空気が立ち込めており、低級の魔族であれば近づくだけで消滅するのではないかとも思える。

「大都市の神殿って賑やかなのね」

 フィサリスは小柄な背を伸ばすようにつま先立ちをしてきょろきょろと周囲を楽しそうに見回した。

 本来、こういった場所は静謐に包まれているものではあるが、今日はなにやら慌ただしく人が行き交っている。

「うーん、いつもはこんなことはねぇんだけどな。そういや、背中どうだ?」

「背中が焼け付くように痛みますな。まぁ我に火は効かないのですが。ふはははははははは……」

「笑い事じゃないでしょ……」

「の、ろい、が。……てい、こう、し、てい、る」

「なるほど」

 そういえば悪魔祓いの際、悪魔に取りつかれたものもかなり消耗するという話を聞いたことがある。この背中の痛みもその類なのだろうとミロクは解釈した。

「そいじゃ、神官長様に挨拶を……」

「お、お待ち下さい!!!」

 神殿に踏み込もうとしたとき、中から慌てた様子で小柄な少女が飛び出してきた。格好から見るに、おそらく侍祭アコライトだろう。

「おー?あー!ユシェルか!おっきくなって……」

「グレース様?ちょ、おやめください!」

 グレースはユシェルと呼んだ侍祭の頭をわしゃわしゃとなでつけた。こういう愛情表現に手加減する様子はないグレースは、髪がめちゃくちゃになっても撫でるのをやめない。

「そ、それよりも、です!」

「どうしたんだよ、そんな慌てて」

「それが、昨日の夜、悪魔が襲来して多くの兵が犠牲になりました。怪我人も多く、解呪を行っている余裕がないのです……」

「あれ?私達解呪しに来たって言ったっけ」

「神殿は強固な『聖域サンクチュアリ』の呪文がかけられているからな。中にいる聖職者は呪いの接近とかがわかるのさ」

「へー、でもグレースはミロクが来たときわかんなかったじゃない」

「うっせぇ、神殿に掛かってるものとアタシ個人のものとじゃ規模も能力もぜんぜん違うの!」

 なにやら口論を始める勢いのフィサリスとグレースだが、雷鳴のような巨大な音のミロクの柏手に押し黙った。

「それよりも話すべき内容があるでしょうや。ユシェル殿といいましたか?その悪魔の襲来について聞きたいのだが」

「え?あ、はい……」

 ユシェルは振り返り、なにやら目配せをするとどうぞこちらへと神殿の中へと一行を招き入れた。広いエントランスには多くの兵士がうめき声を上げて横たわっていた。神聖な空気もむせ返るような鉄の匂いで汚されている。

「どこの神殿もこの様相です。風なる交易神の神殿はもっと規模が大きいのですが……向こうは貴族様や騎士様ばかりで」

「あそこは『寄付』を募るからなぁ……守銭奴どもめ」

 グレースは苛立たしげに舌打ちをしてみせた。大地母神は無償の奉仕を良しとする。そういう教えを信じて育ってきた彼女にとっては思うこともあるのだろう。

 寄付とは言うが、実のところは対価だ。金を払わない輩にはとことん厳しい。逆に言えば金さえあれば十全以上の献身的な治療を施してくれるので、貴族やその庇護下にある騎士はそちらで治療をうけているのだろう。ここにいるのは平民上がりと思しきの兵士ばかりだ。

「グレースさん!罰当たりですよ!」

「そう言ってやりますな。交易の神は金を流すのが仕事故、溜め込んでいる金を吐き出させるのでしょうや」

「こっちの用事が終わったらアタシも手伝うぜ」

「そうしていただけると助かります……」

「うーん、私は見学に来ただけだし、治療の方を手伝ってくるわ」

 フィサリスはその状況の深刻さに面白半分でついてきたことに思うところがあったのだろうか、手近な侍祭に声をかけに行った。彼女の吟遊詩人バードとしてのの力量がどれほどのものかは未だ未知数だが、神殿は猫の手も借りたいと言った様子で好意的にそれを受けいていた。

「どうぞこちらへ」

 案内された場所は応接室のようだった。通常、こういった場所は貴族やら承認やらを迎え入れるために調度品や装飾にはこだわるものだが、製品を尊ぶ大地母神の神殿らしく、見窄らしくない程度の木造の家具が並んでいる。

「すいません、ここなら外に声が聞こえないので安心だと思います、どうぞ、おかけになってください」

「では遠慮なく。我は別に正面でも構わなかったのですが……」

「馬鹿野郎、あんだけ怪我人が出た事件だ、心の傷を負った輩も少なくねぇだろ」

「ふむ、そういうものか」

「アンタはそのへんに鈍感が過ぎるぜ」

「そういう恐怖を拭い去るのが強者の務めである故に」

「いや、そういうことじゃない」

 こんな話を続けていても無駄だろうとグレースはため息を吐いた。

「それで?悪魔の襲撃って?」

「はい、昨日の夜のことです。どこからともなく現れた夜鬼ナイトゴーントの群れがウェストヒルズを襲ったんです。街を守るための結界は強固なので侵入は許しませんでしたが、だからといって迎撃しないわけにもいかず、多くの兵が犠牲になりました。こういった大規模な襲撃だったにもかかわらず、前兆のようなものがなかったので、皆不思議がっておりました」

 大規模な襲撃があったにもかかわらず、深酒をして眠っていたグレースの表情は見ているだけで以外たくなりそうだ。

「夜鬼の群れ、なぁ……」

「うむ、もしかしなくても、だな」

「心当たりがあるのですか!」

 ユシェルはテーブル越しに身を乗り出すようにして詰め寄ってきた。三人は視線を交わすと、グレースはなんとも複雑な表情で切り出すことにした。

「それ、こいつの、いや、こいつにかけられた呪いのせいかもしれねぇ」

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