交易都市ウェストヒルズ⑤
流石に自分の手に余ると、ユシェルは神官長を呼びに部屋を出ていた。やはり忙しいのか、もう半刻程も待たされており、グレースは机に足を投げ出して寛いでいる。
「おっせぇなぁ……」
「そう言いなさるな。色々と忙しいのであろう」
「そうだ、ぷいちゃん貸して!」
「いや」
ミロクが目配せした先には、毛玉を撫でている妖術師の姿があった。自己満足で揉みしだくようなグレースのそれとは異なり、毛玉の弱点を探るようにあの手この手でいい反応をする場所を探すような妖術師の手に、毛玉は心地よさそうに喉を鳴らしている。
「これはてこでも動かんでしょう」
「ぐぬぬぬ……」
そんな他愛もない会話をしていると、扉が開いて一人の男が入ってきた。長身で痩せぎすの、それでもしっかりと立っている老木のような男だとミロクは思った。顔も青白く、何かの病気なのだろうかと思えるほどだ。顔立ちからするとまだ三十代、四十代は無いだろうが、神官長の椅子に収まっているのだから優秀なのだろうと推察できる。
「おまたせしました、何分忙しいもので。ユシェル君、お茶を」
「あ、はい!」
ユシェルが部屋から出ていくのを見届けると神官長は机を挟んで対面に座った。
「よう、神官長!まだくたばってなかったのか」
「グレース。あなたはもういい歳なんですから少しは落ち着いてください」
グレースに対する神官長の対応は、まるで父親のようだった。もしかすると、父親代わりなのかもしれない。
「あぁ、自己紹介が遅れました。私は神官長を務めております。ウォルターです。話はユシェルから伺いました。解呪を行いたいと」
「うむ、どうやら魔除けならぬ、魔寄せとでも言うべき呪いをかけられましてな、昨夜の襲撃もそのせいかと……」
神官長は青白い顔をさらに白くさせてため息を吐いた。
「あぁ、すいません不躾に。何分立て込んでいたもので」
「いや、かまいませぬ。厄介事を持ち込んだのは我の方であるが故に」
「私としても、解呪を行いたいのはやまやまなのですが……」
ウォルターはなにか後ろめたいものがあるのだろうか、口調は淀んでいて流れは今ひとつで、なにか言えないようなわけがあるのだと嫌でもわかる。
「だから祭具と、祭壇と、ちっとばかし人手をよこしてくれ。あとはアタシがやるからさぁ」
「実は、そうもいかないのです」
神官長は重くて仕方なさそうにして頭を抱えた。彼からすれば面倒事が波濤のように押し寄せて引いていないと言うところらしく、心の底ではもう休ませてくれと叫んでいるようでもあった。
「人手が足りないのか?でも半日ばかり、二人も居れば十分だって」
「いえ、その程度なら大丈夫なのですが……」
ウォルターは二回ほど深呼吸をすると、意を決したように視線を上げた。
「その……祭具が、世界樹の宝杖は今この場にないのです」
空気が止まったようだった。この男は何を言っているのだろうか、脳が理解を拒むようだった。グレースはあっけにとられ、妖術師は手を止め、ミロクですら目を見開いている。
それほどに祭具というものは重要だ。必要不可欠と言っていい。天上の神が地上へ降臨される際の道標であり、強力な魔道具でもあるそれは、祭壇、神像と並び神殿を構成する三要素とも言われる。
それが欠けているとなれば、ここはもはや神殿の役割を果たせないと言っても過言ではない。
「大規模な治癒の奇跡を賜ることもできず、神殿はこの有様です」
ウォルターは胃の内容物ごと吐き出しそうな様子で言葉を絞り出した。
「 ふ ざ け ん な っ ! ! ! ! ! 」
机を両の手で強かに叩きつけて、身を乗り出すようにして激昂しているのは他でもないグレースだ。普段こそ粗暴で男勝りな彼女だが、信仰心においてはそこいらの神官に勝るとも劣らない。だからこそ巡回説教者という重要な立場に据えられているのだろう。
その彼女がこの事態を前にして、激昂しないわけがない。ヴェールを取り落したことにも気づかずに机を乗り越えてウォルターに迫る。
「祭具がないってどういうことだ!アタシが出立してから三年も経ってないんだぞ!!!」
襟首をひっつかみ、噛みつかんばかりの勢いでまくしたてるグレースを、ミロクは羽交い締めにするようにして引き剥がした。
「落ち着きなされよ、貴殿がそうまくし立てれば神官長も話せることも話せませぬ……」
「でもよ!」
まだなにか言いたりなさそうなグレースだったが、背中に伝わる殺気に頭に登っていた熱が一気に下がっていくのが嫌でも分かった。
「……ッチ、わぁったよ……」
グレースはミロクを振り払って(無論彼女にそれほどの膂力はなく、ミロクが離したのだが)どっかりと椅子に腰掛けた。
「んで?」
「貴女が出立して一年ほどした頃でしょうか、領主様が病に臥せりまして……」
「は?あのオッサンまだ元気そうだったじゃねぇかよ。四十かそこらだったろ?」
グレース曰く、臥せった領主はまだ若く健康だったらしい、それがいきなり倒れたとなれば……もしかするかもしれない。ミロクは戦の香りを感じ取り、気づかれない程度に口角を上げた。
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