中央への道⑯

「あー……クソッ」

 グレースは首元に重たく巻きつけられるような嫌な予感に酷く心を乱されて眠ることができなかった。

 野盗の襲撃、はぐれた仲間、大火事、そして聖職者であるが故に感じた、悪魔の気配。もうすぐ街に着くというのに気は抜けず、むしろ常にはちきれんばかりに張り詰めている。

(あいつら、大丈夫かな……)

 まだ若い聖騎士とその従者、そして竜人の修行僧、もし、悪魔と対峙していれば無事では済まないかもしれない。むしろ悪魔の知識を持っているからこそ無事だとは思えない。スィダーが言うには妖巨人トロル人食い鬼オーガ相手ならば問題ないというが、悪魔は格が違うことを、グレースはよく知っていた。

 膂力こそ、そういった巨人に劣るものの、知能は高く、狡猾で残忍。人間とは比較にならないほどの膨大な魔力を持ち、繰り出す魔術は天変地異を引き起こすという。

 なぜあそこに悪魔が居たのかはわからない。悪魔が出たかもしれないと伝えて、仲間内にこれ以上不安を広げることもできなかった。そうしたほうがいいのだろうかという葛藤も、彼女をまた悩ませる。

 そうして時間だけが過ぎてったころ、夜警をしていたスィダーが戻ってきた。

「交代の時間だグスタフ。起きろ」

「いや、アタシが回るよ」

 鼾を上げるグスタフを起こすのを遮ってグレースはわざとらしく欠伸と背伸びをしてみせた。心配してほしかったのかもしれないが、それは本人でもわからない。

「グレース、起きていたのか?お前は寝ていろ」

「いいのいいの、その代わり昼間眠らせてもらうサ」

 そうして天幕を出ていこうとするグレースの背中に、スィダーは声を投げかける。

「……なにか不安なことでもあるのか?」

「んー?案外朴念仁じゃないのな」

「人の機微もわからずに獣の機微を掴めるものか」

 嘘をつけ、とは言わなかった。

「実はな、悪魔が出たかもしれない」

「何!?」

「静かにしてくれよ、みんなを起こして混乱させたくない」

 最も、そんな告白をした自分自身が悪いことは百も承知だった。

 グレースはスィダーに悪魔の気配を感じたこと、あの大火事の跡に消えたこと、それが撃破されたのか転移したのかはわからないことを伝えた。

 それを聞いた彼は普段の落ち着いた様相からは想像もできないほどに当惑しているようだった。普段汗一つ描かない彼が額から流れた汗が地面に染み込んで消えるのを放置するほどだ。

「悪魔……か」

 そうしてまでやっと絞り出した言葉は枯れ葉のようなものだった。

「どの程度の強さまでかは、わかるか?」

「うーん……アタシの全力の『聖撃ホーリースマイト』を精神力が尽きるまで打ち込めばなんとかトントンってとこかな」

 そう言うだけならば案外なんとかなりそうなように聞こえるが、信仰系の魔術というものは、神の奇跡を賜る一種の儀式だ。短くない祝詞を上げる必要があるし、ものによっては供物を捧げたり祭壇を作ったりしなければならない。

 つまり、その間完全に無防備になる彼女を、全力で守る必要がある。もちろん悪魔はそれを警戒して全力で排除しに来るだろうし、そうなると全戦力をもって迎撃しても心許ない。

「だが、消えたんだろう?」

「あぁ、でも」

「信じてやれ」

 スィダーはグレースの言葉を強引に断ち切った。今は信じるしか無い。

「ミロクもそうだが、リーアスは聖騎士だ。大丈夫だ……ん?」

 スィダーの長耳が揺れる。その長い耳は遠くから押し寄せる土石流のような音を感じ取っていた。

「どうした?」

「何か、来る……足音が多いな。獣の群れか?」

「ついに襲撃が来たか、みんな起こしてくる」

「頼んだ」

 できれば、グレースの張った結界に到達するまでに準備をしておきたい。スィダーは天幕を支える支柱の上に音もなく飛び乗り、夜闇に目を凝らす。

 夜の草原は暗い海原のようで、夜風が草を撫でる潮騒の中に耳を澄ます。

 その瞬間だった


――――――――――――――――――――――――――――――――――ァァァァァッッッ!!!!!!!!!!!!!!!


 空気を打ち鳴らして悍ましい咆哮が耳に飛び込んでくる。それを聞いた途端、心の中に何万匹もの虫を突っ込まれてやたらめったらに引っ掻き回されているようで、兎にも角にも不安が掻き立てられる。

 そのせいで体制を崩したスィダーは支柱を蹴って倒しながら地面へと転がり落ちた。

「おいおいどうした!」

「なにか、何か来る……なにか来るんだ!」

「落ち着け!!!」

 グスタフが暴れだしそうになるスィダーを取り押さえているところに、眠そうな目をこすりながら妖術師が現れる。妖術師は仮面越しにスィダーの顔を覗き込むと、納得した様子でこくこくと頷いた。

「《勇者よ、勇者よ。獅子の如き恐れを知らぬその勇気を取り戻せ》」

 妖術師がスィダーの額に杖の先端を当てて呪文を唱えると、霧が晴れるようにしてスィダーの心から混乱と恐怖を取り除いた。

「な、なんだ……?」

「…………きょ、うふ。の。じゅ、もん。の。えい、きょ、うを。うけ、て、いた」

 妖術師は呪文が発動しないように細かく言葉を切って伝えた。

「喋れたのか……」

 こくこくと首を縦に振る妖術師だが、喋った言葉が軒並み呪文になりかねないのだろうと皆納得した。

「それにしても、何があったんだよ」

「すまない、なにか咆哮のようなものが聞こえたと思ったらこれだ」

 スィダーは取り乱したことを恥じているようで、どこか気恥ずかしそうに言い訳をしているようにも見えた。

「……きょ、うふ、の……ほ、う、こう……。ど、らご、んず、ろ、あ?」

「心当たりがあるのか?」

 再び妖術師は大きく頷く。

「……ミロク」

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