中央への道⑦

 蛇が脱皮でもするように腕に巻かれていた拳帯がするすると剥がれ落ちる。

 その内側にはびっしりと見たこともない不可解な文字が刻まれていた。

 そしてその下から現れるのは、奇怪な文様が刻まれた、朱い鱗に覆われた腕である。

 誰が見てもそうだ、誰もがそれを連想する、その場にいる誰もが『封印が解かれた』のだと理解する。

「開放、重層龍鱗ヘヴィ・スケイル……」

 途端、前腕が膨れ上がるように腕が大型化しているのが見て取れた。

 毛玉を抱いている左腕と比較すると極めて不釣り合いなその右腕は、前腕の肥大化とともに次第に分厚い鱗に覆われていく。指は爪と一体化し、連立するそれは刃のように鋭い。鱗の隙間からは光が漏れ出ており、辺りに硫黄のような刺激臭が漂い始めた。

 明らかな異形の腕に、誰もが息を呑んだ。歴戦の大剣使い、数々の強者をその大剣を持って葬ったガレスでさえも。

「来ないのですかな?」

 その一言に、ガレスははっと気を取り直した。見とれている場合ではないのだ。

「ではこちらから」

 振り抜かれた貫手を大剣の腹をもってなんとか反らす。強靭な爪と鱗が魔力で強化されているはずの表面をそぎ取るように削り、装飾に傷跡を残した。

 お返しとばかりに勢いをつけて切り上げるが、ミロクはそれを手甲で受け止めるようにして巨大な右腕で反らした。

「援護しろ!ヴァンダム様を守るんだ!」

 まだ弓兵は生きている。毒が塗られた矢を文字通り矢継ぎ早に放つが、開放された分厚い龍鱗の前では正に無力だ。気をそらすのに精一杯だが、その一息はガレスにとって十分な隙となりうる。

 大剣とは思えない疾さで振り抜かれるそれを、長大な尻尾が弾いた。相手を片腕と侮るなかれ、腕よりもっと自由自在に動く尾がそこにあるのだ。

「化け物が……」

「言われ慣れております」

 ガレスは油断なく大剣を構え、踏み込む隙を探していた。冷静に状況を分析する。奴は矢は受け止めているが、大剣の攻撃は明確に反らしている。つまり、この剣を受け止めるだけの強靭さは持ち合わせていないはずだ。

 しかし、逆にガレスも自らがあの巨大な腕をまともに受け止めて無事で居られる自信もなかった。

「なにをやっている!速く仕留めろ!」

「御意に……」

 忠誠を誓った主の声も、今は耳障りに感じる。今はこの怪物を仕留めるために全身全霊を注ぎ込まなければならないのだ。

 もし今ここにヴィシャスがいるのなら、やつの『再生』を頼りに猛攻を仕掛けることが出来るのだが、無いものねだりはしたくない。

 今あるものでなんとかしなければ……。

「ふんっ!」

「なんのっ!」

 巨大な爪が振るわれ、それを大剣で迎撃する。激突する甲高い音はまるで金属同士がぶつかるような音だった。指の動きに合わせて自在に振るわれる爪を相手取るのは、極めて連携の取れた剣士を五人をまとめて相手取るかのような感覚だ。

 しかし、相手は片手、明確に手加減をされているのだと考えると腹が立って仕方ない。

「ふざけやがって……」

 しかし、ミロクが片腕を封じてまで抱え続ける毛玉に、そこまで大切にするほどのものだろうか?ふと思い立ったガレスは攻撃の目標を変更する。

「む……?」

 突き出された切っ先が向かう先は、抱えた毛玉だった。それに合わせて飛んでくる矢もまた、毛玉を狙っている。

 この小さな体格、どちらが当たっても生きている保証はない。ミロクは毛玉を守るようにして右腕で大剣を受け止め、矢を弾いた。

 予想通り、その刃は強靭な龍鱗に傷を入れ、その鱗よりも赤い、赤い血が大剣を伝って滴り落ちる。

「ふん、血が出るなら殺せる……か」

 ガレスは昔誰かから聞いた言葉を思い出した。血が流れるということは、血で生きている。あとは、血が流れなくなるまで血を流させればいい。

 しかし、当の本人はこの状況のなか、鋭い牙を剥き出しにして獰猛な肉食獣のような笑みを浮かべている。

「これほどでなければ張り合いがないというもの!」

 ガレスは、血の気の引く感覚を久方ぶりに思い出した。駆け出しの頃、羆と遭遇したときと同じか、それを上回る恐怖が底にあった。

 だからこそ、冷静にならねばならない、この巨大な怪物は羆よりも数倍恐ろしいものだ。恐ろしい生き物だが、血が出るなら殺せるはずだ。

 希望はある、剣の柄を握り直し、斬りかかろうとしたとき、周囲に漂う熱気が一気に膨れ上がった。

 戦場のそれではない、目の前の怪物の右腕の光が増し、漂う硫黄の刺激臭もより強烈になっている。

「ヴァンダム様!口をふさいでください。毒気です!」

「何?」

 それは、実際に体験したことはなかったが、記録として知っていた。

 その右腕はまるで溶岩のようだった。溶岩から漂う、硫黄臭は命を奪う毒であると。

「《我が血に混じりし、頑健なる者よ……その生命の神秘を、我に連なるものに授け給え》」

「ぷい……」

 ミロクもそれを十分に理解していた。ずっと平気な顔をしているが、念の為、毛玉にも解毒の効果のある呪文をかけている。これ以上の出力向上は、毛玉には危険過ぎる。

 だが、それをしなければこちらも危険である。たとえそれ毒気が本領発揮のための副次効果だとしても。その本領を発揮させなければならないのだ。

 鱗の隙間から吹き出る光は徐々に勢いを増し、明確に推進力として力を発揮し始める。

 巨大な拳を、刃のような爪を握りしめ、致命の速度でそれは振り出された。

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